決戦

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決戦

    *  母に断りを入れて、わざわざ学校に戻ってきたのだが、いったい冬城が確かめたいこととは何だろうか。  もう自分の容疑は晴れたのだし、別にそこまで気になる必要もないのだが。  門の前までたどり着くと、そこに長身の影があった。  ここは冬城と江島が初めて出会った場所だった。  このまま自分たちはどんな関係へと発展していくのだろうか。  推理小説のように、江島が冬城のワトソン役になるなんてことも、あり得るのかもしれないな。いや、ワトソン役は冬城の方か。  なんてことを考えながら、江島は影に近づいた。  「こんばんは、冬城さん」  「どうも。おや、ずいぶん機嫌がいいようだ」  「そりゃあ。殺人の容疑が晴れたのですから」  「それはよかった。さて、行きましょうか。許可は取ってあります」  そう言うと冬城は門を鍵で開けると、思い切り横に開いた。暗闇の中、二人は学校に入った。  「それで、確認したいことって、何ですか?」  「これから説明しようとしていたところです。ああ、ここです」  冬城たちがたどり着いたのは、渡り廊下の入り口だった。  しかしやはり辺りは暗闇で、周りを見渡せない。  「ここが、何か?」  「ええ、では説明しましょう」冬城は渡り廊下に上がり込んだ。「現場に初めて立ち入る際、不審に思ったことがありましてね——」  「不審?」  「そうです。それは」ちょうど左に折れるところで、彼は立ち止った。「それは、ここに葉っぱが落ちていたことです」  冬城に倣って江島も下を向く。しかしもうすでに掃除されているのだろう、彼の言う〝葉っぱ〟は今はなかった。  しかし江島は、葉っぱのことに対してまったく心当たりがなかった。  「それのどこか不審なんです?」   「確かに事件の夜はたいそう風が強かったようですが、見てください。あの木々は奥の方に向かって折れ曲がっています。つまり、事件の夜、風はここからあちらへ、つまり西から東に吹いたはずなんですよ。すなわちですよ、東側にある木々の葉が、西側にある渡り廊下に落ちるはずがないんですよ。春疾風というのは、だいたい西から東に吹くものですしね」  そう言われても、江島には分からなかった。彼はいったい、何を言おうとしているのだろう。  「別に、事件の夜に葉が落ちたとは限らないじゃないですか」  「いえ。この渡り廊下は、清掃員の方によって毎晩七時ごろに掃除されています。つまり、あの葉っぱは間違いなく事件の夜に落とされたものなのです」  「‥‥‥言いたいことは分かりました。しかし、それが確認したいことですか?」  思考を巡らすも、やはり冬城の意図が読めない。  冬城は木々に視線を向けたまま、続けた。  「そこで、どうやったらこのような不自然な状況になったのか、考えてみたんですよ。しかしこの謎は一向に解けない。しかし! 昨晩、駅であなたが蛾に対してとても驚いているのを見て、閃きました。説明しましょう」  冬城が渡り廊下から出たので、仕方なく江島もそれについて行った。歩いている途中に冬城の言わんとしていることが何となく読めてきた。  冬城たちがたどり着いたのは木々の向こう側。すなわち、B棟の手前の通路である。  「説明を」  「ええ。渡り廊下の落ち葉を見て、すぐにこれは人間の手によって落とされたのだろうと察しはついたのですが、あそこ以外に葉っぱが落ちているところはない。いったいなぜあのような状況になったのか。シミュレーションします」冬城は再び歩き出す。「あの日は風の強い日でしたからねぇ、葉はたくさん飛んだはずです。そして、ここを通った人は木から落ちてきた葉っぱを被ります。そして、それに気づかないまま、木々の間をすり抜けて渡り廊下に」  「それで?」  「やはりこの人物は葉をたくさん被っているのに気づかないまま、渡り廊下の折れる地点まで歩きます。そこで、ある出来事が起こるんです」冬城は再び先程の場所で立ち止まり、さらにいつの間にか握っていたライトを点けた。「しばらくお待ちを」  「‥‥‥」  嫌な予感がした。あの夜の光景がよみがえる。そのとき、江島は——  そこで、小さい影が揺れながらこちらへ向かってくるのが分かった。江島は本能的に冬城の後ろに回る。  小さい影の正体は、やはり蛾だった。  「やはり」  「は、払ってください! ライト消して!」  「はははは!」冬城は大声で笑う。「分かりました。ライトは消しましょう。これで分かったでしょう? 葉を被った人物は、暗闇に耐え切れずこうしてライトを点けたのでしょう。しかし、それに誘われて蛾が飛んできた。彼(もしくは彼女)は慌てて蛾を払います。そこで、それと同時に自身が被っていた葉も落っこちたわけです。あの不自然な状況の出来上がりです。どうでしょう?」  「どうでしょうって‥‥‥」怖がらしておいて、まったく反省していないのに腹が立った。「何が言いたいんですか!」  「この人物の正体が、あなただったということですよ」  「‥‥‥」江島はしばらく黙り込んだ。「あ、ああ、思い出しました! そういえばプレハブに入ろうとするとき、蛾が飛んできました。持っていたライトに誘われたのでしょう。これで気が済みましたか?」  これほど茶番を見せられて、結局確認したいこととはたったのこれだけか。  わざわざ学校に来て損した、と江島は後悔した。  一方、冬城はなぜか残念がっているようだった。  「そうでしたか、あなたでしたか。ふむ。しかし、渡り廊下から、しかも木々を強引にすり抜けて入ってくる人なんて、後ろめたい考えを持っている人、すなわちその人物こそが犯人だと思っていたんですがね‥‥‥」  「それは残念だ。ただ正面が閉まっていたから渡り廊下から入っただけです」  「上履きを持って?」  「え?」今度は何だ。「何が言いたいんです」  「あなたが出て行くところを目撃した方によると、あなたは渡り廊下を出る際、一度屈みこんだらしいですね。上履きから外靴に履き替えるために」  「だから——」  何が言いたいんだ、と声を荒げようとしたが、冬城に手で制された。挑戦的な表情で、じっと見つめられる。  「あなたは帰る途中に忘れ物に気づいた、と言った。にもかかわらず、上履きを持っていたんですね?」  「そ、そうですよ。たまたま持ち帰ろうとしていたんです」  「休日前でもないのに?」  「すみませんね、潔癖なもので」  何とか取り繕うとするが、明らかに怪しさがにじみ出ていた。しかしながら、だからといって今すぐに江島を捕まえられるほどの証拠はないはずだ。  「そうですか。まあ、いいでしょう。さて、中に入りましょうか」  逃げきることができたか。しかし冬城はプレハブの中に進んでいく。  彼からの攻撃はなおも続くようだ。  なぜだ。なぜ自分が責められる?  自分は、殺してなどいない。  アリバイが成立した今、江島はそう確信していた。江島は人を殺していないはずだった。何かがおかしい。裏切られた気分だ。  冬城はプレハブに入ると、左に折れた。現場である2―Eの教室に向かうつもりだろう。  案の定、冬城は2―Eに入った。江島もそれに続く。  「何のつもりですか」  「まあまあ、説明します」  「なるべくお早めにお願いします。こちらもまだ高校生なので」  教室に掛けられた時計を見ると、時刻はすでに十二時を過ぎていた。  「では、次にぼくが現場を見てこれが殺人事件だと確信した理由をお教えしましょう」  「お好きにどうぞ」  すると、冬城は教卓を過ぎ、奥の壁に仰向けに横たわった。凶器である棚はすでに撤去されているが、死体のフリをしているのだろう。  「真壁さんはこういう風にして、右手の傍らに出席簿、左手に電灯を握っていました。そして黒板の下には、黒板消しが落ちていました。この時点で、すでにこの不自然さにお気づきでしょう?」  「あ」  江島は惨めな声を上げた。  それと同時に、自分が真壁の死体を殺害する記憶がよみがえる。  いや、おかしい。自分は殺してなど——  「そう、真壁さんは死ぬ直前、黒板を消していたと考えられていましたが、一方、右手には出席簿、左手には電灯を握っていました。そう、両手が埋まっていたのですよ。こんな状況でどうやって黒板を消していたのでしょう。念力を使えば可能ですが、真壁さんに超能力の趣味はなかったそうです。この時点で、真壁さんの死のあとに第三者の手が介入した、言い方を変えれば、これは殺人事件だと気づきました。真壁さんが死の直前に黒板を消していたと思わせるため、犯人が後から黒板消しを落としたのですよ」  「し、しかし‥‥‥」  反論しようとするも、推理の穴がまったく見つからないのである。  江島には、悔しそうに俯くことしかできなかった。  「どうでしょう、江島くん。真壁さんを殺したあなたが、一番詳しいはずです」  「‥‥‥!」  江島にリアクションをする間も与えず、冬城は喋り出した。  「あなたを初めに疑ったのは、言うまでもなく最初に出会ったときです。あなたは僕が死者が出たとは一言も言っていないにもかかわらず、誰かが亡くなったということを知っていた。そのとき江島くんは必死に取り繕っていましたが、人がなくなる事件などそうそう周りで起こることはありませんし、あの時点で人が亡くなったと推測するのはかなり無理があったはずです」  おかしい。  いつもの冬城のはずなのに、冬城ではないみたいだ。ふと彼の顔を見ると、明らかに目つきが変わっていた。  「でも、実際できた」  「そうでしょうか。とにかく、僕はあの日からあなたに近づき始めました。動機も見つかり、あなたの挙動からこの事件の犯人が江島くんであることは確信していましたが、さらにあなたがアリバイも偽証していたとなると、もうあなたが犯人だということに疑いようはありません。ここから証拠集めに移行しました。そこで、ある程度推理がまとまってから、あなたにカマをかけてみたんです」  ——何か、灯りのようなものを持っていました?    あの冬城の言葉が蘇る。彼の言う〝カマ〟とはおそらくこのことだろう。  「スマホの灯り、か」  「その通り。そしてさらに先程、蛾に襲われた、その人物はあなただと言いました。ここでようやく、すべてが揃いました。あなたが犯人であることを示す証拠がね」  「‥‥‥証拠」  考えてみるが、思いつかなかった。    自分がどんなミスをしたというのだ。そんなことをした覚えはない。  「分かりませんか? スマホのライトでは、蛾は誘われないのですよ。勘違いしているかもしれませんが、蛾は光ではなく主に紫外線に誘われるのです。一方スマホのライトはLEDライトが使われていて、紫外線は発さないのです。すなわち、あなたはスマホを灯りとして使っていない。嘘を吐きましたね?」  「‥‥‥」  相変わらず、何も言い返せる言葉がなかった。冬城はなおも続ける。  「ではなぜあなたは嘘を吐いたのか。簡単です。あなたが灯りとして使っていたのが、他でもない、真壁さんが握っていたライトだったからですよ!」  江島の頭の中で、何かが崩れ落ちた気がした。  「そ、そんな——」  「最初から疑問に思っていたのです。真壁さんはライトを握って、何をしようとしていたのだろう、と。しかし調べてみるとこのライト、理科準備室から盗まれていたものでした。さらに言えば、これはただの懐中電灯ではなく、実験用のブラックライトだったのです。これならば、蛾は誘われるはずです」  「ブラックライト‥‥‥?」  スリルを味わうために、あえて理科準備室から盗んだのだが、まさかこれがブラックライトだったとは。盗むことに夢中になりすぎて、気付くことができなかった。  「犯人、つまりあなたは真壁さん殺害後に、血の付いた手でこのライトを握ってしまったりしたのでしょう。それによって、理科準備室には到底戻せなくなり、カモフラージュのために死体に握らせたのです。まさか、黒板消しだけではなく、このライトまでダミーだったとは。最初は予想もしていませんでした」  血のついた手でメモを握り、紙が赤く滲んだ光景を思い出す。  あのとき、江島のはめていた手袋は血に染まっていた。  それを知っていたにもかかわらず、自分はそのままライトを握ってしまうという馬鹿な行為をしてしまったのか・・・・・・。  しかし——  「‥‥‥違う」  今の推理では、明らかに自分が犯人ということになってしまう。  しかし、あり得ない。違うのだ、なにせ自分にはアリバイが——。  「アリバイがある。だから自分は殺していないだなんて、錯覚していませんよね?」  「‥‥‥」  「図星ですか」  「‥‥‥騙したのか。嵌めたのか」  歯を食いしばりながら、かろうじてそう言った。もはや声を荒げる気力は残っていなかった。  最大限の抵抗をしたつもりだが、ただ鼓膜を刺激するのは、冬城の邪悪な笑い声だけだった。  「まさか、本当にあなたが騙されるとは思いませんでした。そんな頭が悪いとはね。確かに、あなたより後にプレハブを出た方が2―Eの教室に異変はなかった、と証言したのは事実です。しかし、固定概念にとらわれてはいけません。プレハブを出た順番=教室を訪ねた順番、だとは限らないでしょう?」  「あ!」  そうか。そういうことか。  江島は彼の言いたいことを理解し、騙されたことの屈辱を味わった。  プレハブを出た順番=教室を訪ねた順番、だとは限らない。  すなわち、江島よりプレハブを後に出ていたとしても、その人物が江島よりも後に教室を覗いていたとは、限らないというわけだ。  「ようやく理解したようですね。あなたにアリバイなど、成立しないのですよ」  その人物が教室を覗いたのは、江島が真壁を殺害するより前だった。  ただそれだけのことである。確かに、江島にアリバイなどあるはずがなかった。  「‥‥‥あ、ああ。そんな‥‥‥ぼくが、殺した?」やはり、そうだったのか。「あ、あああ、ああああああああああ!」  気付いたときには江島は冬城に殴りかかっていた。ここから逃げるには、彼を始末する。それしか方法はなかった。  しかし強い力で腕を掴まれると、床に倒され、そのままねじ伏せられる。 その際、顎を強打し、じんわりと顔に強烈な痛みが広がった。  相手がれっきとした警察官だということを忘れてしまっていた。  「‥‥‥見苦しい」  冬城は江島の耳元で、小さくそう言った。ふと顔を上げると、彼の顔にいつもの笑顔はなかった。 電車の中で見た、あの怯えた顔をしていた——
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