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00 序章
大学生になって初めての夏休み、約半年ぶりに母校のある高城町を訪れた。
駅に降り立って見る古い寺町の風景は、僕がまだ高校生だった頃と何も変わらない。それはそうか。ここは僕が現在暮らしている、開発が著しい都市近郊とは違う。むしろ廃れていると感じなかっただけ幸いだ。
古い町並みが残る高城の街を駅から少し歩くと、やがて形骸化された遺跡のような神社にたどり着いた。
神社の裏手には小さな墓地があり、盆休みのピークが過ぎ去った今日、どのお墓にも香や花が鮮やかに添えられている。きっと仏様たちもあの世でさぞかし賑わっていたのだろう。僕が目の前にやって来たその墓標にも、紅白の献花が供えられていた。
相変わらず、至って平凡な墓だ。とてもかつて日本一になったスプリンターが眠っているとは思えない。
僕はその小さな墓標の前で手を合わせ、随分と長いこと黙祷を捧げた。
こうしていると、なぜだかあの日のことを思い出す。
2年前、あの光り輝くトラックの上で、僕の〝パートナー〟だった彼女と共に走った——ラストランを。
まぶたの裏には、いまでも鮮明に映し出される。
大観衆に包まれたスタジアムの中、金色のバトンを右手に、赤いトラックの上を死に物狂いで走る彼女の姿が。
いつも可憐な彼女のものとは思えない、苦痛に歪んだ形相。白人アスリートのようにしなやかで美しい肢体が、いまにも力尽きてしまいそうなほど不安定に揺らいでいる。極限の疲労状態と細胞を蝕む病が、スタミナはおろか、彼女に残された命さえも蝕んでいくかのようだった。
もういい、もう止まってくれ——
頑張れ、あと少しだ——
彼女のことを思う気持ちと、アスリートとしての強い意志が心の中で激しくぶつかり合い、僕の胸はいまにも張り裂けそうだった。
しかし、彼女の走りには一片の迷いもなかった。疲労がピークに達しようとも、病の痛みに苦しめられようとも、彼女は決して挫けることはなかった。懸命に腕を振り、飢えた猛獣のような鋭い眼光でバトンを待つ僕のことを一点に見すえながら、己の命をもエネルギーに換えて走り続けた。
そう、あれはまさに彼女の魂の激走だった。
人はいつまで生きていられるか分からない。
だから、わたしはいまこの瞬間を全力で生きたい。
いつの日か、彼女は当たり前のような口調でそう語っていた。
その言葉の通り、彼女の毎日はいつも輝きに満ちていた。嬉しい時も、楽しい時も、感動する時も、苦しい時も、悲しい時でさえも、彼女は自身の人生から一時たりとも目を背けず、彼女が生きるその瞬間と真剣に向き合っていた。
君の走りを、意思を、生き様を、僕は生涯忘れないだろう。
そして、その意志は彼女と同じ時間を過ごしてきた僕にも受け継がれている。
彼女の右手からバトンが差し出される。彼女の魂が込められたそのバトンが、僕の左手に触れる。
——だから、僕も走り続けるのだ。
自分の道を、自分の時間を、全力で、最後まで。
バトンを受け取った僕は、輝かしい未来へと続く走路を駆け出した。
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