深夜

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 その日から、夜の散歩が僕の日課となる。  日中にコンビニに行く時は、コソコソと端の方に寄っていた通りを、僕は今、堂々とその真ん中を闊歩している。  僕の足音が通りに反響し、僕の呼吸音が僕の耳に届く。アスファルトを掴む足裏の感触、時折吹く夜風の湿り気、惑わすもののない無臭の空間、すべてが喜びを与えてくれた。  この夜の間だけは、僕は僕の五感を僕自身のためだけに使うことができた。 「やあ」  突然声をかけられて、ひとり夢見心地でいた僕は当然驚いた。でも不思議とあまり動揺はしなかった。  振り返ると白いシャツを着た優しそうな青年がいる。 「最近よく見かけるね」  その声は少し僕の声に似ていた。僕が子どもの頃の声にそっくりだった。  僕らはそのまま並んで歩いていた。 「ここのところ、君は何をしているんだい?」  僕は女性の悲鳴のような声を聞いたことを話した。 「はは。それでわざわざ見廻りに?大丈夫。君が心配しているような物騒な事件は起きていないさ」  まだ会ったばかりなのに、その青年にそう言われると、なんだか安心する。誰か他人と居て、落ち着くとか、気分が安らかになるとか、そういったことはこれまでなかったものだけど、彼は違うような気がする。そしてそれは自然な感情だった。 「そうだ。お祭りに行かない?」  僕は聞き返す。お祭りがあることなんて知らなかった。 「実はもう向かっているんだけどね」  青年は笑ってその白い腕で前方を指し示した。  見ると、僕らの歩く道の先で徐々に灯りが強くなっている。  さらに近づくと、通りの両端に赤色の提灯と種々の出店が現れる。僕らはあっという間にオレンジ色の光の中に包まれていた。きっと青年が「お祭りに行こう」と言ってから、十秒も経っていないんじゃないかと思う。  お面、水風船、焼きそば、金魚すくい、射的、りんご飴、輪投げ、綿飴。数々の享楽の品。  通りは老人から子どもまで、たくさんの人で溢れていた。  遠くから篠笛と和太鼓の陽気な音が聞こえてくる。  僕の知らない間に、こんなに楽し気な催しがされていたなんて。 「気に入りそうかな?好きなのから試してみたらいい。夜はまだ長いから」  青年が話す時、賑やかな周囲の音は膜が張られたかのように小さくなり、青年の声だけがスッと入ってくる。だから彼が穏やかな口調で話し続けても、僕の耳には充分に届いた。 「そうだ。今日会った記念に、君のことをカメラで撮ってもいいかい?」  そう言って青年は古そうなフイルムカメラを取り出す。  僕は笑っていた。青年が僕にレンズを向ける。彼がシャッターを切る時の掛け声は、なぜかわからないが「おやすみ」だった。
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