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翌夜。
また青年に会う。この夜、青年はぜんぜん吠えない芝犬を連れていた。
二言三言交わして、僕らはまた歩き出す。青年は青い甚平なんかを着ちゃって、カラコロと下駄を鳴らして歩く。それがまた似合っている。
悲鳴をあげる女性がいないとわかった今、今宵の僕の目的は金魚を掬ってやることだった。
金魚のいる出店を目指して、人混みをくぐり抜ける。このお祭りの喧騒の中にいることが、僕にとって、もうすっかり心の落ち着くものになっていた。身体がお祭りの雰囲気と熱気と、一体になっていくのを感じる。
出店に着くと、僕らは子どものようにはしゃいで、泡ぶくが立ち込める水槽の前にしゃがんで陣取る。その横で吠えない芝犬は、ゆったり泳ぐ金魚をきょろきょろと目で追っていた。ふさふさした毛はくすぐったくて、思わずその腹や背をくすぐってやりたくなる。
青年は慣れた様子でポイを二つ寄越した。
はてなマークが頭上に浮かんでいた僕だったが、案の定、一匹目を掬う前に一つ目のポイを破いてしまった。
あはは。
なぜか僕は青年が笑う前に、微笑んでいる彼の映像が頭に浮かび上がった。だからそれが実現するまでの間、ヤキモキして次のポイを握ったまま固まっていた。そんな僕を芝犬が見つめる。その鼻息だけが僕の頭の中を占める、そんな時間が一瞬だけどあった。
「あはは。どうしたの?固まっちゃって。そんなにショックだった?」
その言葉を聞いて、というか反応を見て、僕はほっとしたような、悲しいような、そんな心の状態になった。そして、頭を撫でられているような、くすぐったく心地いい気持ちにもなった。
僕は返事の代わりに、服の袖をぐっと捲って二つ目のポイを水の中に突っ込む。
水面がスーッと二つに割れる。赤や白、それから斑の入った金魚たちは、お構いなしにくるくると泳いでいる。
結局、金魚たちは水槽を飛びだして宙を舞うことも、僕の目に触れる機会も訪れなかった。
それはきっと、僕が心の底ではそれを望んでいなかったからに違いない。息苦しそうにぱくぱく口を動かしている姿を見ると、どうも金魚が不憫に思えて仕方がなかったから。
僕が帰ると言うと、青年は「よく眠れるといいね。おやすみ」と言ってくれた。
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