深夜

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   月明かりの下で眠りにつけない僕は、ごく平凡なタイプの賃貸アパートの白い天井を見上げている。こうしてじっとしていると、低い天井がジリジリと接近してくるような圧迫感で息が詰まりそうだ。そんな息苦しさから逃れるよう、右に左に寝返りを打つ。刻々と時を刻む時計の針。かれこれ二、三時間はそうしているはずだ。  ガサガサと布団の擦れる不快な音。隣室のエアコンの室外機が発している唸り声のような低い音。そして、溜め息。静かな夜の空間の中にあったものは、この三つだけだった。  深呼吸をする。  僕の胸は紙風船のごとく、すぐいっぱいになって萎んでいく。  どうしたものか。  そう嘆いた次の瞬間、悲鳴のような声が開けっぱなしの窓外から聞こえてきた。  犬の遠吠えだろうか。瞬間的に生じた胸のざわつきを治めるように、僕は考える。  その音はもう一度、二度、三度と寝静まった住宅街に鳴り響く。一聴した時は声だと思ったが、それにしては鋭い。金属と金属とがぶつかり合うような、いや、もっと具体的に表現してみるならば、錆びた自転車のブレーキを目一杯かけたときのような、そんな甲高い音。  少し注意深く、その音に耳を澄ましてみる。  ああ、やっぱり犬が鳴いているのだ。  そう言い聞かせ、僕はガサガサと寝返りを打った。  住宅街は再び夜の静寂に包まれていく。遠くを走り抜けていくバイクのマフラー音が、優しく鼓膜を揺らす。 目を閉じると、今度はゆっくりと上手い具合に呼吸ができるようになっていた。少しずつ眠気が頭上から降りてくる。僕は安心する。  それと同時に、わずかばかり残っていた胸のざわつきが、喉奥からじわじわ這い上がってくる感じもした。  やはりさっきのは——女性の悲鳴だったのではないだろうか。  僕はその不安を無視しようとした。  でも、それができないのが僕の性分。どうでもいいことばかりに気を取られてしまう、カケラも役に立たない僕の性分であった。  気がつけば、僕は月明かりの下に立っていた。  慌てて飛び出してきたこともあり、布団の中で熱を帯びたままの体に夜気は心地よく、高揚と憂鬱が入り混じった僕の頭まで冷ましてくれるようだった。そしてふと思う。僕のこのどうしようもない習性が、役に立ったことが今まで果たしてあっただろうか。  そんな徒労を憂う感情は、歩き出すごとに散り散りに僕の体から離れていった。  夜の街は思っていたよりも明るい。  眼鏡をかけても少しぼやっとした視界に、街灯はむしろ眩しいくらいだ。  それに人と出会すことがないのも嬉しい。  たまに明かりのついた部屋があって、その中の人がなにをしているのか、想像を巡らして遊んだ。  一時間くらい散歩して、平穏な街の中、僕は途方に暮れて自分のベッドに戻った。  悲鳴をあげた女性も、遠吠えをしていた犬も、錆びた自転車も、なかった。いや、錆びた自転車くらいはあったかもしれないけれど。  でも帰宅した僕はそんなことも考えずに、その夜はぐっすりと眠った。
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