遥か彼方な道程(みちのり)

1/1
前へ
/43ページ
次へ

遥か彼方な道程(みちのり)

♪ ♪~♪、♪♪~♪、♪~♪・・・  微妙で繊細なビブラートと緩やかで滑らかでブルーノートの様なマイナーセブンスの音韻により、切なくなる感情として、絶妙に耳から脳に伝わって来る。これまでの卓越したテクニックで繰り広げられていたバンド演奏が一体なんだったのかと思うほど、心が揺さ振られるばかりだった。 『いや、そう感じているのは俺だけじゃない、この会場にいる聴衆のほとんどがそう思っているに違いない。』  雅章は、全く違うジャンルの音楽表現を独自の感性を使って、違和感なく自在に操っている田上の能力に何度も改めて驚いてしまう。  そして信じられないことに、更に曲調が変化していった。 ♪ ♪~♪ ♪♪~♪ ♪~♪ ♪♪・・・ 『・・・・』  それはこれまで触れてきたものとは違う、全く耳にしたことのない概念の旋律だった。  穏やかで、心休まる、温かく感じる、とありきたりな言い方では表せない。譜割の無い不思議な音階。繊細な部分も、力強い部分も、ゆったりとしていてリズムの観念も感じられない。コードやモードという西洋の音楽とは違うものが組み合わさっている。それが何故かごく自然に耳元に入り込んできて、素直に迎え入れている。 『いや、むしろこれが当たり前のことなのか。』  旋律を感じているとはこういうことなのではないか。  雅章は、音階やリズムなどの人間が決めた規制に捉われていないからこそ、聴いているのではなく感じることができると気が付いたのだ。 『そうだ、これは雅楽や亜細亜の民族音楽にも思い起こさせる。東洋音楽に通じるものもある。』  また更に驚くことが。同じギターのはずなのに、明らかにこれまでとは違う音色が鳴り出したのだ。 ♪ ♪~♪ ♪♪~♪ ♪~♪ ♪♪・・・ 『どうしてなんだろうか。俺の想像を遥かに超えている。和やかで優しく・・、胸の奥に触れる音色だ。』  それはひとえに、本来あるべき心に帰ろうとするものだ。  母親が子をあやすときのような、  子供が思いのままに何かを描いているような、  年老いた者が過ぎ去りし日々を懐かしむような、  本気で人を好きになった時のような、素直な思いや愛情の心である。  人は、本当の幸せを何処かで受けているにも関わらず、欲望や憎しみでその時の心を忘れてしまっている。   雅章はそんな心温まる感覚に溢れてしまい、ただ、ただ魅了されて、その安らかな音色の調べの中に身を委ねるように心酔し、無意識に涙がこぼれた。8913a501-eb89-4551-8382-0af58a9a0e49 『和さん、分かったよ。この演奏をいつも聴いていたからなんだ。テクニックでは絶対に到達できない領域にある表現力。今の俺のちんけな音楽概念では、全く頭の中にも存在しない。同じミュージシャンとして余りもの大きな違いに愕然としてしまったよ。でも、いいんだ。和さんと同じようにこの演奏を聴いて、初めて純粋に感銘を受けている自分が居たんだと分かる。それがどんなに嬉しいことなんだろう。俺は自分でも結構冷めている人間じゃないかと思ってた。でもこうやって感動できている一面が分かって、本当に良かったよ。』  そうして、田上の演奏が静かに収束した。 # ワアアアアア・・・  耳をつんざくほどの歓喜の拍手と喚声が、会場中で沸き返っている。 『何十年もの時を越えて、この観客達とこの上ない感動を共有しているんだ。何かに記録するという人の英知に、万歳!、そう言いたくなるよ。まだまだダメだけど、自分の進む道がここに向かっているのかと思うと、すげえ興奮する。』  すると再び、ボーカルのフレディのMCが始まった。 ”さあ、みんな!、今の気持ちを聞くまでも無いだろう。僕を含めて君達は、今、証人になった。田上は間違いなく世界一のギタリストだよね。僕らは感謝しているんだ。田上がこのバンドに参加したことを。このライブを行えたことを。そして、この会場に集い会えたことを。みんな、そうだろう!” # ウオオオオオ・・・  フレディの歓呼に応えて、会場の喚声が増幅し、渦と化した。 ”みんな、田上のソロで満足して終わらないでくれよ。さあ次の曲は、今年出したばかりの軽快でノリノリなナンバーだ。プログレッシブロックが真骨頂の我がバンドが、16ビートのビ・バップに挑んだ1曲。いくよ~。”  ライブ演奏が再開し、次幕に入った。ふと、携帯電話の時刻を見ると午前2時を回っている。 『いけね、明日、社会学のレポートの提出があったんだ、ひえ~。』  その夜、雅章は久々に学生らしく勉強したのだが、見事に、翌日昼過ぎまで寝てしまった。言うまでもなく、社会学の単位取得は、限りなく遠のいたのである。それから数日後、思いをのせて川村の楽器店を訪れた。 # ガラガラガラ ”ちわ~す。” 「お、マサちゃん、いらっしゃい、CD聴いた?どうだった?」  目をキラつかせて感想を聴きたいという表情が迫ってくる。川村のはしゃいでいる子供のような様子に、雅章は少し可笑しくなった。 「和さん、田上さんってまた近々店に来るんだよね。」 「ん?・・・ああ、頼まれた部品が入って来るから、予定通りなら4日後辺りかな。で、CDどうだった?」 「ププッ、すみません、そりゃあもちろん、すごく感動して、ウルッときましたよ。それは何て言って良いか表現出来ないっす。」 「そうだろ、そうだろ。東洋の奇跡って言われるの分かるだろ。」 「アハハハ、カズさん、宝物を自慢してる子供みたいっすね。でもその気持ち分かります、アメリカから来た凄腕の日本人ギタリストだから、そう感じてるのかなと思ってたんですけど、これはとんでもないですね。何故そのあだ名がついたか分かります。おかげで、俺の進む道筋が何処に繋がっているのかもなんとなくですが微かに見えた気がします。但し、余りにも遥か彼方なんで、途中までで息絶えちゃうかも。」
/43ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加