昭和からの脱出

1/1
前へ
/43ページ
次へ

昭和からの脱出

「アハハハ、途中で息絶えちゃうか。確かに行き着けないかもしれないけど、僕と違って目指せる力があるから羨ましいよ。それでその感じだと、田上さんについてもっと知りたくなったのかい。」 「うん、ネットで色々検索してみたんだけどちょっとしか判らなかったんだ。」 「それで、どうだったんだい。」 「田上さんは、出生地はよく分かっていない。そして父親が、どのような人物か分かっていない。生まれた頃は、この国が太平洋戦争に突き進んでいく情勢だった。田上さんの日本人離れした顔つきや体格からみても、当時の敵性外国人を排斥する情勢で避難のため帰国したアメリカ人ではないかと言われているんだ。俺の友達は、アメリカに渡ったスペイン人だって言ってたけどね。それから田上さんはF県F市の旅館を営んでいる祖父のもとで少年時代は育った。敵国人と共にしていたことによる難を逃れるため、母親が幼い田上さんを連れてその故郷に戻って来たとのことなんだ。母親が芸術への造詣が深かったせいもあって、早くから楽器に触れていたらしいよ。その後母親は再婚し、田上さんを祖父の元に残したまま嫁いでしまった。母親はそこで子供を産むんだけど、難産で命を落としてしまうんだ。音楽、特にギターの基礎技術と理論を本格的に学んだのはこの少年期みたい。そして青年になると、関東の音楽学校に行くため単身上京する。それから先が、全く分からないんだ。和さんが言ってたように、20年近く経って当時メンフィスのライブハウスで凄腕の東洋人がいることを聞き付けて、アメリカ音楽業界の重鎮ロイネル・ハワードが田上さんのパフォーマンスを見て、その場で契約金の話をしたことが逸話になっているそうだよ。俺が調べて分かったのはここまでっすよ。」 「へ~、インターネットって、そこまで分かるんだ、便利だねえ。」 「えっ、和さん、パソコン持ってないんですか?」 「いや、あるけど。同級生の電気屋から買わされて、でもさっぱり分からなくってさ。今、文書と表作成で使ってるんだけど、それじゃだめ?」 『お、おっさんだ。』  雅章は、川村のアナログぶりに若干呆れて目が点になっていた。 「今、俺達若い奴らは、ほとんど携帯やパソコン使ってネットで情報収集や交換やっているんだ。だから、ここに来る若い奴等相手の商売じゃ、ネットを利用しない手はないよ。」 「そうか、携帯でも出来るんだ。」 「和さん、携帯電話持ってないの?」 「いや~、楽器屋は外回りとか余り無いから、必要としなかったんだな。」 「え~、和さん、昭和から脱出しましょうよ。ほら、これを見てみて。」  雅章は、携帯電話でネットの検索サイトを川村に見せた。 「お~、これは凄いな。友人の楽器屋がネットで売買やってるって言ってたけど、こいつだ。確かに便利だ、これからウチもやらないと駄目かな。」 「和さん、何、悠長なこと言ってるんすか。お金の面倒みてくれれば繋げますよ。部員にパソコン詳しい奴いるから、店のページ作りましょうよ。」 「えっ、本当?、ついに我が川村楽器もIT導入か、ムハハハハ。」  すっかり川村ワールドにハマッてしまっている。 「とりあえずインターネットが出来るようにしたいから、何やればいいか教えてくれる?」 「いつでもいいっすよ。とにかく勉強のため時間作って大型家電ショップ行きましょうよ。」  雅章は、楽器屋でなんでこんな話しているんだろうと思っていた。すると、ふと、あることが頭を過ぎった。 「そう言えば和さん、田上さんはやっぱり携帯、持ってないよね?」 「当たり前だよ。田上さんに連絡つけるの、本当大変なんだよ。電話してもまず出てくれないしね。必ず連絡取りたい場合は、手紙しかないんだ。」 「て、手紙すか。」  一抹の不安は、見事に的中した。 「田上さんは、文字書くの得意なんですか。」 「やっぱ、昔の人だからね~、むちゃくちゃ字が綺麗なんだよ。」 『ヤベ~、俺、字下手くそだし。いくら田上さんとでも、手紙のやり取りなんかやってたら、高橋、菅野から何言われるかわかんないもんな。マサ先輩、老人と文通してるんすか、お前、介護ボランティアのバイトに鞍替えか、なんてことで絶対に噂広めるからな。あの馬鹿2人なら言いかねん。』  この後、明日のライブハウスの最終の音響チェックをする予定がある。時間に余裕がなくなり、雅章は店を出ることにした。 「和さん、俺、田上さんに直接会って話したいんだ。これからちょくちょく来るからね。それと次来る時、パソコンの具合診てからネットに繋げる話をするよ。それまでにネットの勉強しといてくれる。俺もできればどの辺りのプロバイダが良いか調べておくから。」 「ああ分かった、じゃあプロバイダって何か、から調べないとな。」 「・・・。」  雅章は、左肩にギターを担いだ。 「そんじゃまた。」 「ああ、待ってるよ。」  そしてその晩、明日のライブの音響チェックを今日の出演バンドのセッティングでやっている時だった。 「すみません。今の曲の時、少しモニターの返し、強めでお願いします。」  演奏したことの無い所であれば、サウンドチェックはかなり時間がかかる。ここで働いて1年にもなると機材の癖もよく分かっているもので、30分程でメンバー皆終了し、休憩所に引き上げて来た。 「皆さん、明日はよろしく!ガンガン飛ばして、客を巻き込みましょう。」 「よし、このライブで俺の人生を変える。あの先公を見返す第1歩だ、なあ吉岡。」 「そうだ轟、虎の目だ、EYE OF THE TIGERだ。」 「お前、歳ごまかしてるだろ。」  すると、轟が田上について話してきた。 「そう言えばマサちゃん、ネットで見た、見た。田上さんって強烈な人だな、俺、スゲー尊敬する。絶頂期で辞めるなんて、ロマン感じるよな。アメリカに渡ってデビューするまでどういう生活してたんだろうね。ネットで色々見たけど、それはやっぱり無いね。でもそんな偉大な人とセッションするなんて、マサちゃん幸福者だ。演奏は見れなくても、是非話してみたいね。」
/43ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加