ホセ・アマリージャ・ロレンツォ

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ホセ・アマリージャ・ロレンツォ

 夢の時間は刻々と流れ、夜も更けて、演奏も終盤になってきた。すると今度は、開演の時とは違う光沢のある立派なタキシードを着た紳士がステージ前に現れた。 ”御来場の紳士淑女の皆様、お楽しみ頂いていることと存じます。司会の者が冒頭の説明の中で触れておりましたが、私は、当ダンスホールの支配人の宮本と申します。さて、本日の演奏も残すところあと2曲となりました。ダンスをしておられるお客様も一息ついて頂くためにも、ここで1つ口直しということで、今回は特別のプログラムを用意いたしました。これから本楽団のギターを担当している者がソロ演奏いたします。彼の名は、ホセ・アマリージャ・ロレンツォ、欧州南西部イベリア半島の国、我が国では古来よりイスパニアと呼んでおりますが、スペイン国の者であります。現在この国では、王制が倒れ国内が不安定な状況にあります。彼は、民族音楽であるフラメンコ、スパニッシュギターの正統な継承者なのですが、この動乱を避けるため一等国である米国に渡りました。しかし移住して一旦落ち着いた米国においても、あの株式大暴落による景気の低迷に陥り、今なお経済混乱が続いております。彼が所属するニューオリンズの老舗ナイトクラブは、10数年程前の世界大戦で町が軍港となり、その軍の指揮下による統制で歓楽街が衰退したためクラブは経営難となります。そのため、今はシカゴに営業拠点を移しております。併せてこれまで上演しているジャズスタイルも、時流に合わせスウィングの要素を取り入れていくようです。私は以前よりこのクラブのオーナーと面識があり、海外にもクラブ収益の活路を求めたいとのことで、彼から本楽団の遠征興行の打診を受け取りました。さっそく、私はバンドの実力を伺いに渡米し、その力量を吟味してまいりました。そして、わが国での活動費用を全て負担しても、本楽団は余りあるほどの実力であると確信しました。それはこうして数多のお客様にご来場しておられますので、わざわざ説明する必要はありませんでしたね。そしてこれから演奏する’ホセ’、そこで彼に出会ったのですが、今でもその体験したことのない不思議な音色と旋律に驚き、鳥肌が立つ思いだったことを覚えています。当ホールで彼を皆様方に紹介出来きることを誇りに思います、また、この卓越した演奏に十分に満足して頂けると自信を持っております。話が長くなりましたが、これから彼が送り出すフラメンコの調べを聴きながら、遠きスペインの夜の宴に思いをはせつつ、魅惑的なひとときを味わっていただきます。それではスパニッシュギターの正統継承者、ホセ・アマリージャ・ロレンツォです、どうぞ~。”  ステージの中央に袖の無い黒い椅子が、1つ置かれた。そしてその者は現れた。  腹にサッシュという紅の飾り帯、ボレロを羽織りスペインの民族衣装に身を包んだ背の高い紳士が、ガットギターを持っている。b2de65d4-e535-441b-b017-d2bee15d6551  素敵・・・。  会場の女性達は、間違いなくそう思っているだろう。案の定、尚子も典子も目が釘付けになっていた。  ホセは静かに椅子に座り、そして親が子を抱きかかえる様にして膝の上にギターを据えた。すると同時に、会場全体が水を打ったように静かになった。これからどのような音曲が奏でられるのか、尚子達を含めホールの客達は、皆、固唾を飲んで見守っている。やがて、ホセはおもむろにギターのネックへ左手を添える。そして直ぐさまサウンドホークに備えた右手の5本の指が鋭くギター弦を弾いた。 ♪ ジャラ~ン・・・・  疾走感のある歯切れの良い音色が響き渡った。力強いストロークのコード弾き、ラスゲアードしたのだ。それは、ゆったりとしていたが、やがて速さが次第に立ち上がっていく。 ♪ ジャカジャカ・・ジャンジャン・・・ 息をつく間もなく、一気に頂点に登り詰め掻き鳴らされていく。そのため、尚子はその間息を飲んで、苦しくなる程高揚する感覚になった。 『凄い、音が叫んでいる、激しい気持ちを抑えきれなくて訴えているようだわ。』  すると今度は、その激しさから一変する。 ♪ ♪~♪、♪♪♪ ジャガ ♪~♪、♪♪♪、ジャン~・・・  譜割のない穏やかなアルペジオに、時折アクセントのようにコード弾きが組み込まれて、切々とした旋律が流れ始めた。それはソレアという深く、荘厳な曲調で、物悲しく孤独感を表現したフラメンコだった。 ”ううう~ ぐす、ぐす・・・”  辺りでは、この感傷的な調べに涙する客もいるようである。 孤独を爪弾くというところ、その意味はどこにあるのか。独り米国に渡り、そこからさらに亜細亜の極東の地に赴いた心の淋しさを奏でているのだろうか。そんな個人の心情など、ホールの客達に伝わる訳はないのであるが、音楽とは不思議なもので、聴く者それぞれが自分なりに理解して感情を煽(あお)られていく。  それから曲調が、変わった。 ♪ ジャン、ジャカジャンジャカ・・・ 一転して、リズミカルな雰囲気に移り、軽快で躍動感溢れるラスゲアードとゴルペが響き渡る。そこに自然と気持ちを踊らせてしまう。手拍子したくなるが、聴いたことの無い複雑なリズム。そこにはさらに、ラスゲアードの合間には、さりげなく短いアルペジオが織り込まれている。 『一体、どうやって弾いているのかしら。とても人の成せる業じゃないわ。』  尚子は、すっかりホセの奏でる魔術のようなフラメンコの旋律に心を虜にされていた。 『こんな素晴らしい音楽があるのね、スペインという国には。今は混乱状態だと言われてたけど、是非行ってみたい。そして、夜の街でここかしこで行われるフラメンコの宴を直に観てみたい。』 ♪ ジャガジャ~ン ジャンジャガ・・・  フラメンコギターの幻想的な音色は、ホールに響き渡り続ける。宮本がプレゼンしていたように、見たことのない遠い異国を想像させ、その憧れに誘われてしまう。  やがて、演奏は一番の見せ場になった。 ♪ ジャンジャンジャンジャン、ジャガジャガ・・・ 続けざまに繰り出されるラスゲアードとゴルペの応酬で、聴く者の感情が幾度も刺激され煽られ続ける。気持ちの高ぶりを抑えきれず、また涙してしまう者もいるようだ。それは、ブレリアという曲調のフラメンコだった。 『典ちゃんも、瞬きもせずに泣いている。言葉や態度で無くても、音を操ることでこれほど強く深く胸に響いてくるなんて・・・これが本当の、心を込めて表現するということだわ。』  尚子は、これまでやっている音楽に対する自分の姿勢がいかに甘いものだったか、つくづく思い知らされていた。そして、つい先程までジャズに魅了されていた心が、いつの間にかすっかりとフラメンコに対する熱い思いへと変っていた。
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