謎の老紳士

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謎の老紳士

 時は流れていく。  未来は、気付かぬうちに訪れ、過ぎ去り、過去となる。  それは、今よりそれ程遠くない在りし日のことである。  俺、雅章、って奴。仲間は俺のこと、マサって呼んでる。一応ミュージシャン、ギタリスト。アーティストって言い方してる奴がいるけど、意味が分からないんでその言葉は嫌いだ。今、YS大の2年、もちろん軽音部所属っていうよくあるパターンなんだけど、ちょっとそこら辺のギター野郎とは違う存在なんだと思うよ。今はフリーなんだけど、いずれはプロになるのかな。巷の業界の人にはけっこう知ってもらってる。それで、プロ歌手のレコーディングのバックアレンジとか、アイドルのイベントライブバンドのヘルプなんかに誘ってもらって弾いてるんだね。地元のT音楽事務所のプロデューサ、鶴さんは、俺のこと買ってくれててさ、将来デビューさせるから、ちゃんと学校卒業しとけって言うんだ。  雅章は、頼んでいた部品が届いていると思い、行きつけの楽器屋へ学校の帰りのついでに寄ってみた。 ”ちわーす、和さん、頼んでた品来てる?、今バイトしてる先のライブハウスでさ、演奏で使いたいんだけど。”  すると、レジの奥から人影が現れた。 「ああ、やっと入ったよ。70年初期のD社、ダブルコイルのピックアップ、それも保存状態がいい奴なんか数少ないからな、ずいぶん捜したよ。出力の具合もちゃんとチェックしといたから、バリバリ音出せるよ。」 「さすが、いつも通り手厚いっすね、恩に着ます。」  この店主である川村は、この楽器店の個人経営者、和とは彼の名が和幸だからである。そして雅章とは彼がギターを始めた中学生の頃からの付き合いで、もう8年になる。  ふと、雅章が目を少し移すと、レジの傍に見慣れないギターが立て掛けてあった。 「おっ、新規モデル?、ストラト、3本。」 「さすが目ざといね。それね、昨日仕入れたばかりなんだ。音出してみる?」 「ホント?、じゃあ遠慮なく。」  さっそく興味津々の雅章は、その中の1本を取って抱え、ギターアンプの前に座り込み、音を出し始めた。 ♪ ギュイーン・・・  それから試奏して、15分ほど経った頃である。 「和さん、なかなかいい感じじゃないすか。フロントとセンターのハーフトーンなんか、ちゃんとめり張りが効いててクリアーに分るよ、ネックもいい感じで握れますね。」 「マサちゃん、いつもの売りネタになるコメントだね、助かるなあ、それパクって使わせてもらうね。」  そんないつもの楽器の話で2人が盛り上がっているところに、客が1人、店に入って来た。 「いらっしゃい・・・あっ、たっ、田上さん、ですか?、こちらに来てらっしゃったんですか?」 「ああ、顔をおぼえててくれたのか。」 「も、もちろんですよ、10年ほど前になりますよね。それまで何度かお見えになられてましたよね。」  その客は、ツイードジャケットにボルサリーノ風の帽子を被った、ちょっと小粋な格好をした老紳士だった。それにしても、川村の応対がすごく馬鹿丁寧であり、目の当たりにしている雅章は、当然不思議に感じていた。  老紳士は、川村にある依頼をした。 「わしのギターの3弦のペグがあまくなってきてな、取り寄せられるか調べて欲しいんだが。」 「承知いたしました、すみませんが、ちょっと奥に行って調べてまいりますので、このメモに使用ギター名とペグの型番を書いて頂けますか。」  川村のコンシェルジュの様な接遇(せつぐう)を見ながら、雅章は2本目のギターの試奏をしていた。     巷には、時折、横柄な態度を取っている高齢者を見かけることがある。年を取っているから偉いとでも思っているのか、それとも現役の頃の地位や名誉をいまだに引きずっているのか。来ていきなり、部下に命令しているかの様に川村に申し付けている。雅章は、そんなことを思いながらその老紳士を感じ悪く思っていた。  するとその老紳士が突然、声をかけてきたのだ。 「ふーん、おまえさん、結構弾けるようだな。チョーキングからメロディーに移った時、指運に意識が行き過ぎて、ピッキングが甘くなる様だな。薬指の押さえを意識した練習をすれば、音の粒がもっと揃ってくるぞ。」  雅章は図星を突かれ、少し動揺した。確かに薬指の運指では、わずかだが不安定に感じているところがあった。それを、ピッキングの様子で見抜かれたのだ。しかし、軽音楽をやる族とは、大抵自負心が強く、自分の個性が一番だと思っている。雅章も同様、その高いプライド意識に触られたことで、カチンと来てしまった。 「それじゃあ、おじいさんも結構やれるってことだよね。こいつ等の音、他の誰かが弾いてる鳴りを聞いてみたいんだ。和さんが戻って来るまで、ちょっとセッションしない?」  そう言って3本目のギターのネックを握ると、その老紳士の目の前に差し出した。  街角で、音楽通ぶって上手い、出来るを言い合っている奴等がいても、巷でそうそう本当にプロの腕前の者などいない。雅章は折り紙付きのプロ級のレベル、自分より腕前のある奴なんかここら辺りで見たことはない。  老紳士は、ギターを見ながら少し戸惑っている様子だった。それを見て雅章は、自分に意見したことに後悔しているんだろうな、なんて思っていた。 「面白い、よしやるか。」  老紳士はそう言ってギターを受け取り、帽子を取ってカウンターの上に置くと、向かいにあるアンプにシールドを通した。そして、そのアンプの上にドッカと座り、ストラップを肩にかけ、スイッチを入れた。 『それじゃ、自分の音をモニター出来きねーんじゃなーい?』  雅章はそう思いながら、これから始める喧嘩セッションに、少し興味が湧き始めていた。するとタイミング良く、部品の在庫を調べに奥に引っ込んでいた川村が戻ってきた。 「田上さん、ありましたよ。随分レアなオールドギターの部品なんですよね。確認に時間かかりました。オリジナルは廃盤になってますが、後継した工房で復刻したものがあってですね、知り合いの店にアテがあることが分かりました。取り寄せに1週間ほど掛かりますが、それまでお待ちください。」  そう言いながら川村はいそいそと売り場に現れると、これからセッションを始める田上と雅章の姿を目の当たりにした。
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