楽しい朝食

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楽しい朝食

 翌日、好天気になり清清しい港の朝を迎えた。 # ピュウル~ キュルルルル~・・・  カモメが港の周りを飛び交っているようで、窓の外からその鳴き声が聞こえて来ていた。  約束したホテルレストランでの朝食。映画の1シーンのようにバルコニーのある窓から、昨日の停泊している客船が見える。美しい窓辺の風景、柔らかな日差しが注ぎ、ダイニングは絵画の中にいる様なのどかな空間に包まれている。尚子と典子、そして兼次の3人は、朝食を取りながら楽しく語り合っていた。 「変なことを尋ねてもいいですか。昨日、ホテルのお風呂で、外国人の方々を全く見かけなかったんですけど、お部屋に備えてあるのですか。」 「それはね、日本人と違って欧米人は入浴の習慣が基本的にないんだ。」 「そうそう、かのフランスの太陽王ルイ14世も生涯風呂に入ったのは1度だけって聞いたことがあるわ。」 「え~、だって身体が臭うし、不潔なことになりませんか。それに不快な気分が取れない気もしますが。」 「だから俺達には分からない、香水が当たり前の文化なんだろうな。英国にいた時、風呂なんて見たこと無かったな。ただ、汚れたら洗い落とすことはするので、バスタブていうデカイ陶器製の洗面器のようなものにお湯を張って洗う感じだった。最近、シャワーていう上から水を撒くようなやつがあるが、風呂じゃないな。それどころか、他人と風呂に入ると病気をもらう可能性があるので、衛生上良くないと考える者もいるんだよ。」 「そうですか、お風呂だけでも随分と私達と習慣や感覚が違っているんですね。日本人のお風呂って汚れを落とすこともあるげど、1日の疲れをとって心身を癒すことも大切なところなんですよね。温泉が人体の血行を良くしたり、殺菌作用で肌の表面を綺麗にする衛生面もあるんです。実家の旅館に来ているお客さんの目的ってそれなんですよね。」 「尚子ちゃん、良いこと言ったね。かつて、古代のヨーロッパでも公衆浴場が盛んだった。それは、心身の健康維持のことだけでなく、身分階級に関係無く裸で語り合う社交場としての価値観もあったからだ。要は物事に何を見出だしているのかということなんだよな。固定観念ほど人の成長を妨げるものは無いと思うよ。風呂ひとつとっても、ただ汚れを落とすというだけじゃなく、心の、肉体の醸成や憩いの場として価値を見出したところが素晴らしい、共感に値する。俺も今の欧米を真似たホテルの在り方に満足していない。日本人なりの日本人にあった独創的な様式を作り上げて行きたいんだな。」  兼次が、塗り終わったバターナイフを持ったまま、自論を展開しているところである。 「また伯父さんの哲学の話が始まったわ。西園寺の男達って、皆、学者の会話みたいでつまらないのよ。尚ちゃんよく合わせられるね。」 「全部は解っていないんですけど、伯父様の博識には感心するわ。お話していると知らないことを色々と教えて頂けるし。」  尚子の言葉を受けて、兼次は更に得意げな顔になった。 「ほらほら、典子、尚子ちゃんを見習わないとだめだぞ。学識があること、上流社会の人間達に付き合っていく必要な嗜(たしな)みみたいなものだからな、これが無いと鼻にも引っ掛けてくれん。まあ、俺は本来一般庶民だからこいつ等との会話は退屈なだけだけどな。ところで、いかがわしく面白い庶民の娯楽、ダンスホールの魅惑の夜はどうだったんだい。俺も、ジャズが好きでね。渡米した頃は、ニューオリンズやシカゴのライブハウスによくぶらっと行っていたもんだ。ジャズの形もスウィングジャズに様変わりして来たが、俺はやっぱりデキシーの方が肌に合う。個人が自由に表現した演奏の方が好きなんだよ。あそこの支配人の宮本とたまに酒飲んでいるんだが、そこでジャズについてよく語り合いながら盛り上がっているんだ。最近、ニューオリンズからバンド呼んだって聞いてたけど、それ目当てで行ったんだろう、どうだった?」 「凄く良かったよ。やっぱり日本人のバンドはまだまだね、弾き方はそれらしいけどリズムの感覚や雰囲気が全く違うわよね。」 「まあ、それは仕方ないよ。ジャズは、黒人の人達の昔からの音楽を基盤にして、米国にいる様々な人種の音楽と融合して出来ているから、そう簡単には行かないだろうね。そうか、せっかく本場のジャズ演奏が聞けるなら、俺も支配人に声かけて行ってみるか。」 「それから、もう1つ驚いたことがあるんです。」  突然尚子が目を丸くして話に割って言ってきたので、兼次はどうしたんだろうと気に留まった。そこで、典子が前置きを入れた。 「尚ちゃん、ホセさんのことだよね。ギターの人が、ヨーロッパから渡って来たスペイン人だったの。そこで支配人さんの企画したギターのソロ演奏があって、それが本当に素晴らしくて大感激したんだよ。」 「フラメンコって初めて間近で見たんですけど、感情を表現する音楽だったんですね。それまで、ジャズの流れる和やかで落ち着いた大人の雰囲気で皆さん楽しく歓談していたのです。演奏は、まるで有名な詩の朗読を聴いているかのように心の底まで響いてきました。すっかり皆さん自分自身の気持ちに入り込んでしまって、だれもかれも心打たれて黙ってしまったんです。」 「さっきまで隣でぷかぷか葉巻くわえて偉そうに踏ん反り返ってた親父が、子供みたいにボロボロ流してたよね。私もそうだったけど、ハハハ。」  幼児が夢中になって話し込んでいる様で、見ているだけで顔が綻んでくる。 「へ~、フラメンコか。そう言えば最近、スペインの舞踊団が来日していたが、日本ではスペインの音楽はまだまだ馴染みが薄いよな。2人がそこまで言うのなら是非見てみたいものだ。」 「あら、世界中を巡っていらっしゃる博識の伯父様でも余り知らないものがございましたのね。」 「ムムムム、伯父に向かってなんて言い草だ。スペインは、王制が倒されて以来動乱続きで、とても行ける所じゃないんだぞ。」 「そうなんです。司会の支配人さんもそう言ってて、ホセさん大変だったようです。」 「えっ、あいつ、司会やってたの、本当、出たがりだよなあ。どうせ、案内、説明に託(かこ)つけて、俺がわざわざ現地に行って契約したんだとか言って自慢げにやってたんだろうな。」 「凄~い、伯父さんよく分かるわね。支配人さんとはそこまで知れた仲なんだ。」 「あいつ、自分の手柄話になるとすぐ出て来るんだよ、じきに政治家になるかもしれんな。まあ、そんなことはどうでもいいが。」 「それで尚ちゃんと私、すっかりフラメンコ、ホセさんの演奏にすっかり魅せられちゃって、今度の金曜日にまたホールに行くつもりなんだよね。」 「なんだ?、じゃあ金曜、また2部屋都合しておけば良いのか。」 「あっ、いや、とりあえず1部屋でお願い。」 「不良娘、今度はピンで夜遊びか。」 「失礼ね、私はその日、用事があって行けないの、行くのは尚ちゃん。」 「えっ、尚子ちゃんなの、そりゃ独りじゃ危ない。」 「むっ、さらに失礼ね、私じゃ大丈夫っていうこと。」 「まあまあ、でも尚子ちゃん、誰か一緒に行く人いないの、できれば男の人が良いね。」 「一応姉さんが行けるか、聞いてみようかと思って。」 「駄目駄目、あんなすぐ男に声かけられてほいほいついて行く尻軽娘、ちょっと待ってて。」  そう言って兼次は席を外して、オーナールームに入って行った。
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