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兼次の魅力
乳白色を基調としたレストラン内は、壁や支柱にロココ調の可愛らしい装飾が施され、テラスからの柔らかな陽の光が差し込んでいる。朝食を取っている客達がまばらに見えているが、その中には外国人もかなりいる。普段着であるが皆、その仕草や雰囲気に気品を感じる。
「典ちゃん。」
「な~に。」
「兼次伯父様って、面白いね。」
「そうなんだよね。私も姉さんも兼次伯父さんには本音で話せるんだよ。全く飾ったところが無くて、よく面倒見てくれるし、社員の人が言ってたように頼りになるのよね。」
「昨日初めてお会いしたばかりなのに、本当そんな感じがするわ。話しているといつの間にか和やかで親しい雰囲気になっているのよね。今なんか随分前からの知り合いみたいな気持ちでいるわ。」
「そう、不思議な魅力よね。気が付いてみるとつい引き込まれているんだよね。」
2人が兼次についてそんな話しをしていると、笑みを見せながら本人が戻って来た。
「ちょっと長くなったな、ごめん、ごめん。」
「大丈夫です。伯父様の話で随分とはしゃいでいましたから。」
「典子、また余計なことを尚子ちゃんに言ってたんじゃないだろうな。」
「何言ってるのよ。伯父さんが魅力的な男性だって話してたところですよ。」
「本当かい、そりゃ嬉しいね。で、今、ホールの支配人、宮本君に話をして来たところだ。金曜日、俺が同伴で行くから宜しくと声かけたよ。それと例のスペイン人の演奏もやってくれるよう頼んでおいた。尚子ちゃん、俺と一緒だけど大丈夫かな。」
「えっ、本当に甘えて宜しいんですか?、こちらこそお世話になります、お願いいたします。」
「あ~羨ましい、伯父さんずるいよ。今度、私にも招待してよ、お願い。」
「ん~やっぱり身内だと、いまひとつ意欲出ないからな、ハハハ。」
日差しの暖かさが増していることも加わって、尚子は、今、このにぎやかに会話しながら過ごしている朝食の時間が楽しくて仕方がなかった。
『ひょっとして、家族の食卓の雰囲気ってこんな感じなのかしら。』
尚子は、忙しい父と親子2人で気兼ねなく時間を忘れて会話などしたことがなかった。
『何となく父さんを近寄り堅く感じて遠慮していたけれども、伯父様や典ちゃんが言ったように、これから私から父さんに話しかけてみよう。』
二人の仲の良い姿を見ていると、自分が勝手に父の人物像を作り上げているのではないかと思い直し、改めて父との間のことを考えていたのだった。
「尚子ちゃん、尚子ちゃん、聞いてるかい?」
「あっはい、すみません。ちょっと考え事をしてしまいました。」
「そうかあ、うわの空でにこにこしてるから何か思い出しているんだろうなあって、思ってたけどね。」
兼次の鋭い洞察に、尚子は少し驚いてしまった。
「そ、そう見えてました?、恥ずかしいです。」
「アハハハハ、それじゃ、金曜日に迎えの車よこすから宜しく。」
「ありがとうございます。心から楽しみにお待ちしています。」
やわらかい朝の日差しに溢れていたレストランも、キラキラとした昼前の光に変わっていた。港を飛び交っていたカモメも餌場を別の処へ変えたのか、あまり見えなくなっていた。ずっとこの時間が続けば良いのにと、尚子は楽しくて、遊びに夢中になっている幼子ような気持ちになっていた。
それからすっかり昼になるまで過ごしてしまった。さすがに尚子と典子はホテルを発とうということになり、兼次が見送りに来ていた。
「伯父さん、また今度、宜しくお願いね。本当、昨日と今日と楽しかったよ。」
「おう、それまで、おしとやかにしているんだぞ。まあ、無理なお願いだったかな。」
「また冗談きついんだから。」
兼次が用意しておいた貴賓専用送迎車に尚子達は乗ると、ホテル前のキャノピーを出発した。
# フルルルル・・・
「こんな立派な車まで出してもらって、大丈夫なの?」
「いいのよ、いいのよ。伯父さんは子供が居ないから、私達が自分の娘のように感じてかまいたいのよ。勝手にやってるから大丈夫だよ。」
「じゃあ、奥様とずっと2人きりなのね。」
「いいえ、伯父さんは今は、独り身よ。」
「今は?、じゃあ居たってことなの?」
「そうなのよ、20年ほど前だと欧米で豪華客船が次々に造られたじゃない。西園寺でも海運業での貨物輸送が成功してね、次の事業拡大として客船の運航を考えてたの。兼次伯父さんは、宿泊施設や娯楽施設の分野を任されてね。欧米間を航海する客船の運営調査をすることになったの。それで家族と共に米国に渡って、調査の仕事が終わるまでしばらく暮らすことになったのよ。それが10年ほど前、先に南フランスのコート・ダジュールに赴いていた伯父さんが、そこで新年を迎えようと家族を呼び寄せたの。仕事で携わった船会社の計らいで、奥さんと娘さん達はシェルブール行きの豪華客船に乗って向かったんだ。でもその船が、大西洋上で海難事故となってしまったの。不幸にも、奥さんと2人の娘さんはその事故で亡くなってしまったわ。」
それを聞いて尚子は、今までのちょっと浮かれていた気分が、すっと引いてしまった。
「そう、そんな辛いことがあった方なのね。それなのに、とてもあの気さくな様子からは想像出来ないわ・・・そうか、それで典ちゃんとお姉さんをきっと亡くなったお子様の様に感じているんじゃないかしら、凄く愛していらっしゃったんだわ、だから会うと嬉しくて仕方が無い、きっとそうよ、それに、お2人とも伯父様に雰囲気が似ているしね。」
そこまで意識したことはない。尚子にそう言われた典子は、ちょっと戸惑った様子だった。
「え~そうなのかなぁ。伯父さん、確かにうちの親と全く違うけどね。私達をそういう風に見てくれている印象は受けないんだけど。とにかく金曜日は、うちの不良伯父さんの同伴者役お願いね。」
「私こそ、こんなにお世話になってしまっているし、典ちゃんの分まで愉しんで来るわ。あらっ、学生寮に着いたみたい。」
# ブルルルルル
音楽院の門の表示の前に車は止まった。2人は門の勝手口を開けて、前庭の直ぐ隣にある寮の玄関に荷物を降ろした。
「じゃあ、尚ちゃん夕飯でまたね。運転手さん、荷物まで持ってきてもらってお世話になりました。」
「運転手さん、ありがとうございました、それではこれで。」
「典ちゃんまた食堂でね。」
2人は、ホテルに向けて引き返した送迎車を見送ると、それぞれ自分の部屋に向かった。休日の寮の周りには、ちらほらと他の寮生の姿も見える。巷では和装の女性が多かったが、音楽学校では殆どが洋服である。楽譜や楽器をもって、赤レンガの壁の前を往来する花柄のワンピース等を着こなしたの女の子が普通に見られた。
そうして待ち焦がれていた金曜日を迎えた。
海岸通りには港を臨む公園があり、天気の良い夕暮れ時になると、港を行き交う船を眺めに若い男女や子供を連れた家族等が散策をしている。そして日が暮れると人影が少なくなるが、所々に通り沿いに設置してある街燈が点灯し、その疎薄でほのかな光と船からの灯りは、夜の波止場を物寂しく感傷的に演出している。美しい西園寺ホテルは、道路を隔ててその公園とともに港の景色を一望できるように建っていた。
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