宮本支配人

1/1

12人が本棚に入れています
本棚に追加
/43ページ

宮本支配人

「おっ、今日は、ぐっとお洒落して来たね。」 「兼次伯父様、今晩は。いかがですか、私、似合わない格好に見えませんか。」 「うちの岡目娘達と大違いだよ。尚子ちゃんは目鼻立ちがはっきりして手足が長いから、洋装が本当に似合うな。やっぱり俺が一緒に行って良かった、男達が群がってくるだろうから、ホールでは目を離さないようにしないといかんな。」 「まあ、伯父様、そんなに持ち上げても何も出ませんから。」 「本当、本当だぞ、同伴者として十分自慢させてもらうよ。」  そして、ホテルのキャノピーに1台の白いモーリス車が横付けされた。 ”西園寺オーナー、どうぞお乗りください。”  ホテルボーイが、乗車を案内した。 「それでは尚子嬢、参りましょうか。」 「伯父様、冗談いやですよ。素敵な車ですね、私、本当にお姫様になった気分です。」 「アハハ、西洋では同伴する貴婦人に対しては、儀礼をはらえることこそ男子としての至上の甲斐性であり、一廉の者として認められるんだよ。」 ”それでは宜しく頼む。” ”かしこまりました。”  兼次が後部席のドアを開けると尚子は車に乗り込み、2人は意気揚々とダンスホールへ向かって出発した。海岸通りはまだまだ道路照明も乏しく、安全走行を補うというには到底及ぶものではない。しかし、アーク燈のほんのりとした明りの方が、ぼんやりと映し出される街並みの中を進んでいる様子で、幻想的な景観に陥らせる。  やがて、車がホールの入口前に来ると右手を上げて出迎える一人の背広姿の紳士が立っていた。近付くと尚子も見覚えのある人物だった。 「西園寺様、ようこそお越しいただきました。お待ちしておりました。」 「おやおや宮本支配人、今日は自ら出迎えで、随分と丁重な応接するね。」  すると、宮本も笑顔で楽しそうに兼次に問いかけた。 「今日は、どうなされました。」 「えっ、何がだ。」 「西園寺様こそ、いつもお1人、普段着姿でふらりと来られるのに、今回はこんなに若くて美しい御婦人をお連れしていらっしゃるじゃないですか。」 「ふふん、そうだろう、これでぶらっと来たら’様’にならないもんな。ところで今宵は、頼んでおいたスペイン人の彼は奏(や)ってくれるのかい?」 「はい、会社にとって最重要な客がご来場されると言ってなんとかやってくれるよう説得しました。先週の演奏で大好評を得ましたので、私もライブ演奏の定例プログラムに入れたいと思うのですが、彼も正統なフラメンコの継承者としてのプライドがあるのでしょう、通常演奏の合間を埋めるような役目はしたくはないと断られました。」 「そうか、確かにそのスペイン人の言うことはもっともだな。母国でフラメンコギターの名手として演奏していたのだから、そんな話されただけで侮辱だよな。」 「そうですね。私もつい音楽家としての彼の立場をわきまえずに申し出てしまったことは、軽率でした。深く反省しています。」  すると1人のウエイターがカクテルワゴンを引いて、宮本の背後にやって来た。 ”お話中、誠に失礼致します。どのようなものをお作りしましょうか。” 「おっ、飲み物が来たな。折角フラメンコを鑑賞するんだからな、それに相応しいものが欲しいんだが。そして、御婦人には軽めの飲み易いものを。」 「それでは、スペインで愛飲されているバチャランをトニックで割ったものなどは如何でしょう。御連れ様には、シェリーをオレンジジュースで割ったものが飲み易くお勧めですが。」 「いいね、それを作ってくれ。」  ウエイターは早速、ワゴンから必要な酒や果汁のビンを取り出すとシェーカーに調合し、手際よくカクテルを作っていく。尚子は、その様子を興味深く見ている。 「お待たせいたしました。」  ウエイターは、出来上がったカクテルをテーブルに差し出す。 「ありがとう。腕もさることながら、欧米の上級バーテンダーに劣らない、作り上げる姿も良かったよ。」  兼次はそう言って、右手でスーツの懐から1枚の紙幣を取り出すとウエイターにチップとして渡した。すると、宮本もウエイターに注文する。 「私にも、同じ物を作ってくれ。」  尚子は、グラスを渡された。 「尚子ちゃん、はい、これ。口当たりが良いけど、お酒だから急に飲まないように気を付けるんだよ。」 「ありがとうございます。なんて不思議な色合い、凄く綺麗なお酒ですね。」  すると、宮本が尚子に話し掛ける。 「尚子様というお名前の方ですか。西園寺様とはどのようなご関係になる方ですか。」 「はい、私は田上尚子と申します。兼次伯父様とは、姪の典子さんと友人関係で知り合いになりました。」 「ああ、あのT市の吉野音楽院に通っていらっしゃる典子様。西園寺様に似ているお嬢様ですね。」  それを聞いて尚子はにこやかな笑顔になり、方や兼次はちょっと気に障ったと言わんばかりに不機嫌な表情をして言った。 「宮本支配人、さては尚子ちゃんが若くて綺麗なもんだから、俺が何処かでかどわかして連れて来たなんて考えてたんじゃないか。」 「そんなとんでもない。ほんの少し思っていましたが、ハハ、ところで典子様はヴィオロンを習っていらっしゃるそうですが、尚子様ははっきりとしたお声の感じからすると声楽の方でございますか?、それとも、そのスラリとしたお身体なので舞踊の方も考えられますが。」  そんな尚子への関心を邪魔するかのように、兼次はわざとらしく言葉を割り込ませる。 「おっ、これは結構いけるな。いつも声かけないで入る時はこんなに美味いもの出されないぞ。」  宮本も兼次の言葉に応じざるを得ない。 「ええ、まあ、その、私のささやかなもてなしと云うことで、お気持ちをお納め下さい、それで田上様は・・・。」 「宮本支配人、尚子ちゃんに色々聞いているが、今日は噂に高いバンドの演奏を愉しみに来たんだ。そこのところ弁える程度になっ、なっ。」  この言葉にさすがの宮本も自重した。 「これは、失礼いたしました。田上様、不躾(ぶしつけ)なことをしてしまい誠に申し訳ありませんでした。」 「いえ、私は、気にしていませんので。」
/43ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加