癒しの言葉

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”失礼いたします。”  ウエイターが、兼次が頼んだ同じ飲み物を宮本の前に置いた。 「ああ、ありがとう。」  その出されたグラスをもう少し自分の方に引き寄せながら、宮本は、また口を開いた。 「田上様は、しなやかな接し方で包容力のある方ですね。話は私事に戻しますが、ホセのフラメンコギターは思わぬ収穫でした。彼さえ良ければ、どこかの時点で、彼を中心とした定期的なライブ演奏を企画したいと考えております。」 「そうですわ、折角あの魅力溢れる演奏を沢山の方々に聴かせて頂けるよう私からも是非お願いいたします。」 「田上様は、ホセのことをご存知なのでしょうか。」  すると兼次が返事をした。 「ああ、先週ダンスホールに典子と来てな。その演奏をとにかく素晴らしいと熱く語るんだよ。それで、俺も興味をそそられて今日訪れたわけだ。」 「なるほど、西園寺様がホセを強くご所望されたきっかけは、典子お嬢様や田上様でしたか、そうですか、そうですか。」  復唱して頷いている宮本の様子を見て、兼次は何かを感付いていた。 「それでは今宵、西園寺様は尚子様が先週味わった感動を、尚子様はバンドの実力が思い違いでなかったことを確認して頂きましょう。」 「宮本支配人、自信の発言だねぇ。それでは、お手並み拝見と・・・。」  宮本は背広の内ポケットから銀色の懐中時計を取り出して、時刻を確かめた。 「そろそろ開演です。私はこれから所定の執務がありますので、ここで失礼させて頂きます。」 「宮本様、色々とお手配ありがとうございます。」 「直々の案内、世話になった、じっくり愉しませてもらうよ。」 「どういたしまして。それから演奏が終わりましたらお話したいことがありますので、すぐにお帰りにならないよう宜しくお願いします。」 『お話?、さては・・・?』  兼次がそう予見した時、司会の紳士がステージ前に登場した。 ”紳士淑女の皆様、今宵、ダンスホール’バーボンメインストリート’にお越しいただき、誠にありがとうございます。”  司会が流暢に歓迎の挨拶と今日の演奏の進行内容を説明し、客達がステージに注意を向けるようになると、ざわざわと騒がしかった会場内は落ち着いた雰囲気になる。そしてホール内の明るさが、肉眼では人の表情が分からない位に落とされていき、ステージにスポットの照明が当てられる。 # オオオ パチパチパチパチ・・・  拍手と歓声が沸き起こると共に、きらきらと輝く派手な緞帳が開かれた。待ち兼ねていた楽団の演奏開始である。 「おっ、あのドラムスとウッドベース、ニューオリンズやシカゴで見たことあるぞ。宮本の言ったことは本当だよ。こんなところで本場のジャズバンドの演奏を観れるとは思わなかったな。」 # ♪♪~♪♪♪~♪ ♪~♪♪♪♪~♪  軽快なスイングジャズが流れると、皆、リズムに合わせ、気持ちも華やぐ。 「それでは気分が乗って来たところで、尚子嬢様、お相手願えますか?」 「え~、私、踊ったことないです。」 「大丈夫、俺がリードしてあげるから、ステップを知らなくても一緒についてくればいいよ。」  兼次は躊躇(ちゅうちょ)している尚子の手を取ると、ホールの方へいそいそと連れて出て行く。そしてスウィングのリズムに合わせて、二人は踊り始めた。 「そうそう、スロー、スロー、クイック、スイングダンスは簡単だろ。このダンスは、この規則さえ守れば自由に踊っていいんだよ。そこにその人の個性が出てくる、即興の感性が大事なんだぞ。」 # シュルッ ツツッ シュルシュル・・・  周りで踊る客達を見ながら、尚子は兼次に調子を合わせて、ステップを踏む。 「こんな感じで良いんでしょうか。」 「そうだ、呑み込みが早い。」 「だんだん楽しくなってきました。」 「よしよし、上手い上手い。」  しばらく2人はお互いに声を掛けながら、踊りに夢中になっていた。すると、兼次がなぜだか目を潤ませている顔に変わっている。 「伯父様、どうかなさいました?」 「いやな、もし今も生きてれば、我が子とこうして酒を嗜み、ダンスを愉しんでいるんだろうな。なぜだろうな、尚子ちゃんと踊っていると急にそんなことが頭に浮かんでしまったんだよ。」  尚子は、屈託の無いニッコリとした笑顔で兼次の気持ちに応えた。 「ご家族様との心痛むご事情を典子さんから伺いました。今宵は私を娘さんだと思って、心ゆくまで踊ってくださいな。」  尚子の気遣いの言葉を聞いて、兼次は、家族を失くしたことへの苦悩が癒されたのだろうか。 「尚子ちゃん、優しい娘だね、ありがとう。今日は俺にとって、忘れられない記念日になったよ。」  尚子は、いつまでも家族への変わらぬ思いを持つ兼次の姿を目の当たりにして、親が子に何を感じているのか少し分かったような気がした。 『親とはたとえ子が亡くなっても、子に対する思いや愛情は変わらないんだわ。ああ、お父さん、伯父さんと同じ親ですもんね。私は、なんて、可愛くない子なんだろうか。好き放題にしているのに、何も言わずに許してくれている。そのことをもっと真剣に受けとめていなくてはいけない。』  尚子は具体的にはまだ分からないが、父からの愛情に応えられることをしたいと願うようになっていた。 「ちょっと休もうか、良い気持ちになってね、年甲斐もなく酔いが回って、踊り続けてたら体力が持たなくなったよ。尚子ちゃん、全く疲れた様子が無い、凄いね、やっぱり若さには敵わないよ。」 「いえ、リードをして頂き、私はくっ付いているだけです。席に戻って、少しお休み下さい、お水をもらって参りますので。」  2人は席に戻り、尚子は兼次の飲み物を取りにカウンターへ向かう。すると、バンド演奏も一旦休憩に入った。 『あっ、ホセさんの出番が始まる、席に戻らないと。』 “すみません、お水を1杯、グラスに頂けますか。併せて・・・。”
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