存在価値

1/1

11人が本棚に入れています
本棚に追加
/43ページ

存在価値

「尚子ちゃん、驚いた? 俺も初めて見た時、これはまいったなと思ったよ。」 「如何でしょうか、楽しんでいただけるようですか?・・・私達は日本人、どんなに欧米諸国のものを取り入れようと、結局は単なる真似事、同じ世界を作り出すことは出来ないのです。それよりも私は、日本人としての誇りを持ち続けたいのです。この応接には、日本人は日本人の心を弁えて頂き、外国人は日本人の心に触れて頂けるよう配慮致しました。」  部屋の中央に、円みがかった足の短いテーブルが置かれていて、その周りには寛いで会話出来るよう座椅子が並べられている。兼次と尚子は、宮本と相対して着席し、そこへ海堂が菓子と茶を配膳した。 「皆様、ご相談に入るまえに、一服どうですか。」  一旦、場の雰囲気を和ませようと勧めている訳だが、それによって尚子の緊張感を取ろうとしているのだ。 「すみません、頂いて宜しいですか。」  尚子は気を落ち着けようと、すすんで茶を一口もらった。 『あら。』  それは、横目に入って来る様子である。兼次がまるで自宅にいるように既に菓子をモグモグと口にほうばりながら茶をズルズルと飲んでいた。全く遠慮の無い兼次の姿は、まるで兄弟同士の様で、次第に尚子の顔がほころんでくる。 「それでは宜しいでしょうか、田上様、ご相談というのは・・・。」  宮本は、尚子の心の状態に気を配りながら、本題の話に移り始めた。 「・・・先程、失礼ながら西園寺様に田上様のご印象を伺っておりました。」 「私の印象ですか?」 「そうです、現在、音楽学校に声楽を学ばれ、普段の我が国の女性とは違って、つまり日本人であっても洋装がよく似合うその容姿、そして何事にも素直な性格を持って応対しておられる方であるとお聞きしました。今回私共が招聘(しょうへい)しました米国のバンドの演奏に、非常に感銘を受けておられるそうですね。そして併せまして、西園寺様から全面的なご支持を頂けるとの思わぬ幸運にも恵まれました。私にとっては、この上ない十分な条件が整っており、後は田上様のお気持ちをお伺いすることにだけになりました。」  ここで、宮本は一つ間を置いた方が良いと考えたのか、手元にある茶を一口飲んだ。それは、尚子が次の言葉を落ち着いて聞けるよう配慮するためだった。 「私は、ホセをこのままにしておくつもりは無いのです。バンド演奏ではなく本格的なフラメンコのソロ演奏会を企画したいと考えています。そこで、田上様にホセと組んで頂き、カンテを加え総合的に演出したいと思っているのですが如何でしょうか。なお、契約ご承諾の場合には、さっそくですが、ホセとの訓練に取り組んでいただきたく存じます。訓練期間にかかる費用等は当然我が事務所で賄わせていただきますのでご心配いりません。並びにこの件について、父上様のご了承を伺いに海堂を向かわせます。併せまして、この契約には、支援者である西園寺様が保証人として立たれます。その他、活動に関わる事故の対応などもお任せ下さい。」 『先程、海堂さんが仄(ほの)めかしたのはこのことだったんだ、どうしよう。』  突然フラメンコの興行を依頼されたのである。そして当然、全く考えがまとまらない状態だった。すると狼狽(ろうばい)している様子を見かねたのか、兼次が、間に割って話しかけて来た。 「支配人、今日はここまでと言うことで良いですかね。今まで社会に出ていない尚子ちゃんには、そう簡単には返事できないはずだ。事を焦ればよい商談は出来ないと君も分かってるはずだ。保証人に立った俺が、後で責任を持って説明する。場合によっては俺を通して返事をするということでも良いかね。それでも尚子ちゃんは思慮深い人物だ。十分に検討してから返答をしてくれるだろう。」  確かに、まだ自立した大人でないことに対する配慮までには十分な考えが及んでいなかった。それは、自分が実際に子供を育ててみないと分からないのではないだろうか。兼次のその言葉に宮本は協応した。 「分かりました。西園寺様のおっしゃる通り、この度の申し出は、慌てて事を運んでは全てを台無しにするだけですね。田上様、驚かせてしまいお詫びいたします。」  成熟した大人達の言葉が交わされている。相手の立場や気持ちを尊重し、理性的な関係を築いている。尚子は、兼次と宮本の気遣いある応対で少し落ち着きを取り戻した。 「兼次伯父様、宮本様。私自身、まだ未熟で誠にすみません・・・そうですね、できれば兼次伯父様や父と相談して返答致したいと思います。ホセさんの演奏には、それは深く感銘を受け憧れています。でもそれだけでは、フラメンコのことを何も知らない私がホセさんの邪魔をしてしまうだけでしょう。雑誌や新聞記事などで知っているくらいで、本来のものを観演したのはホセさんが初めてです。ですから、この音楽がどのようにして生まれ、伝わり、スペインの方々に愛されているかを知らないと、歌い演じることなど出来ないと思います。ですからホセさんからフラメンコのご指導を受けるかどうかを決める前に、しっかりとお国柄や生活の様子について解っておかなければいけませんね。とりあえず父にこのことを知らせて、私がこのお話を引き受けるなら賛同してくれるかどうかを伺ってみます。今の私から返事が出来ることは、これくらいです。」  兼次も尚子の後押しをする。 「おっ、尚子ちゃん、やる気あるようだな。さっそく面白くなって来た。全面的に尚子ちゃんを支援するから何でも言ってくれよ。ホテル事業の拡大に進んだ時以来だな。久々に気持ちが乗って来たよ。俺と宮本君は、実業家として成功を収め、社会的にも認められた地位にまで上り詰めた。しかし2人で酒を酌み交わしながらいつも語り合うことがあるんだよ。成功はしたが、はたして本当の夢、つまり俺達の憧れるロマンを追っていたかだ。そうすると色々と理屈をつけないとそれを証明できないと分かった。だが、今回は違う。さっき宮本君と尚子ちゃんの話をし終わってから、このことはお互いとも純粋にロマンを追ってやろうとしているんだよな、損得など除外しているんだよな、と確かめ合っていたんだよ。ホセの才能と尚子ちゃんの成長にロマンを感じるんだ。俺は、音楽は聞いたり見たりするぐらいで専門家ではない。宮本君はホールをやってるから分かっているかも知れないが。だから、その音楽というものの可能性は俺にとって全く未開の世界だ。そこに挑もうとすることに、自分の存在価値を見出したいんだよ。」  すると、この兼次の言葉の途中で尚子が口を挟んだ。 「そうなんです。気にしていたんですけど、何故全く未熟な私にここまで期待して頂くのか不思議なんです。それに、フラメンコはこの国ではまだ馴染みがないので、認めてもらえるのか不安です。」 「アハハハ、そうそう、尚子ちゃん、仕事の話し合いに遠慮はいけない、その調子だよ。それでそれは、宮本君がすぐに答えてくれたよ。夢(=ロマン)とは未知数であるからこそ叶えるために情熱を注ぎ、尽きない限り諦める道理も無い、とね。宮本君がホセの相手として尚子ちゃんを選んだからこそ、俺はこの話に乗ったんだ。尚子ちゃんは未知数、言い換えれば無限の可能性だ。経験者ならおのずとその結果が予測できてしまう。そんなのどう考えてもつまらないじゃないか。純粋に物事を捉え、素直に吸収していく尚子ちゃんのその素質だよ、そこに思いもつかないような将来性を感じているんだよ。大人になっても子供の様に物事を本能的に捉えていく才能を持っている者はなかなか居ない。優れた芸術家が持つ感性だ、尚子ちゃんにはそれがある。俺はそこに賭けてみたいんだよ。」
/43ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加