超絶技巧

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超絶技巧

「あっ、た、田上さん、これから弾かれるんですか。ち、ちょっと待ってください。」  そう言って、慌てて店の出入口のドアのノブに、クローズドの札を下げて閉めた後、外から見えないようカーテンを引いた。そして、オーディオの録音ボタンに手をかけようとした時だった。 「聞くのは構わん。申し訳ないが、録音は遠慮してくれないかの。」  強く拒絶した口調ではなかったが、歳と共にしわがれて落ち着いた声には、長く培われてきた威厳の様なものを感じる。 「す、すみません。」  とっさに川村はオーディオから手を引っ込めて、脇にあった折りたたみ椅子を組立てて座ると、叱られている子供の様にかしこまった。 # ・・・・  店内に流しているBGMも止めてしまったので、楽器屋とは思えないほど静かになっていた。雅章は特に緊張などしていなかったが、この川村の態度に触発されて、すっかり遊び気分は抜けて、いつの間にか本気でやってやろうじゃないかという意気込みに変わっていた。 「それじゃあフレーズの進行はEの3コード基本で、1巡32小節の繰り返し、ソロとバックを交替にやるということで。コード配分はバックが選択し、マイナー、セブンスの変調自由、どのスケールでもOK。交替の時は、目で合図することでいいすか。先に俺がバックやりますから、じゃあ始めます。」  すると川村が、呟くような声でちょっと口を挟んだ。 「マサちゃん、田上さんをよく見ておくんだよ。」  そして、2人はセッションを開始した。 ♪ ♪~♪ ♪♪~♪ ♪~♪ ♪・・・ 『和さんが、ここまでへりくだるなんて、このじいさん、何者なんだ?』  雅章は、興味津々だった。楽器はたしなむ程度だが、川村も店を営むほどであるから当然に、この世界の一角の者である。その彼がこんな異常なまでに気遣う者とはいったいどれ程の腕前なのか。 ♪ ♪~♪ ♪♪~♪ ♪~♪ ♪・・・  出だしは変わった音使いもなく、おとなしく地味なフレーズで奏でている。時折、トーンスイッチを切り替えながらも、特に派手なことはやってこなかった。 『なんだ、肩慣らしか?、リズムに合わせてスケールで弾いている。教則練習みたいじゃねーか。』 ♪ ♪~♪ ♪♪~♪ ♪~♪ ♪・・・ 『ん~確かに、弾き方はかっちりしているな。俺に意見するだけあって、音の粒ははっきりしている。音楽スクールの先生みたいだ。でもそんな奴、どこにでもいるぜ。』  すると老紳士は、2順目に入ると交替の合図をしてきた。 『えっ、もう交替?、持ちネタそれしかないの?、しかたねーな。まだどうするか決めてないが、アドリブで俺以上の奴に会ったことは無い。取りあえず思いつくままサラっと弾きまくるか。じいさん、俺のパフォーマンス見てなよ。』  そして3順目、演奏が入れ替わると、雅章は気合を乗せて冒頭から弾き込んでいく。 ♪ ギューン ♪~・・・  雅章は、世界のトップギタリスト達のテクニックを真似て、自分なりにアレンジしながらここぞとばかり弾きまくる。 ♪ ♪~♪ ♪♪~♪ ♪~♪ ♪・・・ 『じいさん、どうだい、これだけのプレイが出来る奴は、アマはもちろん、そこらのプロでも居ないだろ。今日の俺はもう止めらないぜ、いつもにも増して乗ってる。くうう~、こんなキレキレでソロを弾いているのは久々だよな。じいさんのバック、しっかり合わせてるのはなかなかだな。終わったらそれだけは褒めてやろうか。まあ、俺の力量に圧倒されて、何も言わず帰るだろうけど。』 ♪ ♪~♪ ♪♪~♪ ♪~♪ ♪・・・  勢いに任せて30分は弾き込んでいただろうか。しかし老紳士は、雅章がこれ見よがしに見せ付ける演奏に全く動じない様子で、それどころかにこにこ笑顔しながらバッキングを取っている。それは、雅章の技量に感心しているのか、それとも別の意味があるのか。 『じいさん、俺のソロで終わってもいいぜ。ここまでも眉ひとつ動かさないのは、ムッと来るが、とりあえず次のフレームで交替してやるか。きっとプレッシャーを感じて、無理なプレイにハマって潰れていくのがオチだろうけどな。』  そして、次の順で交替する合図を送った。老紳士はそれを受けとったようで、右眉を少し上げながら眼を開き、口元を閉めると、ギターのバランサーを少し弄り、トーンスイッチをフロントとセンターのハーフトーンに切り替えたのだ。 『うっ、このじいさん、さっき俺が色々試して分かった鳴りのいい所を、さっき眺めているだけで見抜いているのか。』  ボリュームコントロールを小指で回し、音を立ち上げながら、老紳士のソロが始まった。そして、今弾いた雅章のアドリブソロをそのままそっくりにコピーして弾き始めた。 ♪ ♪~♪ ♪♪~♪ ♪~♪ ♪・・・ 『なんだ、俺の真似、自分でも出来るってか、生意気だな。』  しかしながら、雅章もプロ並みの腕前、次第に老紳士の奏でる音を脳内で分析し始めると、いやおう無しにその力量が分かってくる。  『・・・でも、なんか、弾き方に余裕があるような、俺より音の粒が揃っている。』  そう感じながら5分程すると、弾き方が変わった。 ♪ ♪~♪ ♪♪~♪ ♪~♪ ♪・・・  それは、奇数フレーズを1拍取り、偶数フレーズを1拍加えるという尋常でないリズム取りで弾き始めたのだ。 『超ムズの変拍子だ。こんなことが出来る奴・・・、世界で数人しかいない。こ、このじいさん、な、なんて奴だ。』  いつの間にか額から汗が噴き出していた。先程の生意気な意識は消え失せて、それどころか逆に、その超絶技巧と合わせるのに必死になり始めた。
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