先駆者として

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先駆者として

 熱い思いのこもった言葉である。そしてさらに、こらえきれなくなって宮本も同調する。 「そうです田上様、兼次様が語られた今のお気持ちは私も同じなのです。私はホセの才能に惚れ込みました。彼に出会った時、かつて私にもあった情熱が甦っていたのです。若かりし頃ですが、西洋音楽に魅了された私も演奏家を目指していました。しかし、留学先のオーストリアで突然原因不明の手足が麻痺する病にかかってしまいました。私は無念の思いでしたが、チェロを置きました。」 「そうなのか、確か日本人で初めてオーストリアの名門オーケストラに認められたチェロ奏者がいるというのを聞いたことがあるが、宮本君のことだったのか。なんで今まで話してくれなかったんだ?」 「私自身の話はどうでもいいのです。今、これほどの才能溢れるホセをこのまま終わらせるわけにはいかない、見過ごせないのです。もし彼の母国が混乱の状態で無ければ、彼は輝かしい実績を積んでいたことでしょう。米国においても、残念ながら彼のギターの実力を認めても、フラメンコはまだ舞踊や歌での印象が強く、生活のため仕方なくジャズ演奏をすることにしたのです。田上様、この国ではほとんど知られていない音楽ですが、その曲調や感情表現は国を超えて人々が共感する素晴らしいものです。それは、実際にホールの演奏を観てお分かりですね。是非、日本人でのフラメンコの先駆者を目指さして頂きたいのです。」  気が付くと、事務所の外から何やら沢山の人の声が聞こえていた。 「宮本支配人、ホールも終わったようだよ。今日は、この辺でお開きにしようか。尚子ちゃんには、十分俺達の心意気は伝えた。夢の実現は前に進ませない限り、いくら語ってみたところで夢のままだ。語る時間があれば、実現に向けて次に進もうじゃないか。」 「そうですよね、西園寺様の力強い今のお言葉、私も勇気づけられました。では、田上様、お父上様への確認は宜しくお願いいたします。先ほどの通り、私共もこの依頼の説明に海堂を向かわせますので。」 「そうだな、俺も、保証人として責任を持つ以上、お父上にその旨の挨拶を送るよ。」  もう尚子も、今は心が固まったようである。 「宮本様、兼次伯父様、海堂さんが、これほどまでに力を注ぐおつもりなんだと分かりました。私の父に対してもこんなに配慮していただいて、ありがとうございます。きっと間違いなくお気持ちは伝わります。」 「そんな道楽事にここまでつぎ込むなんて、他人からは理解できないことだと言われるかもしれないな。だが俺達に道楽の意識は全くない。新たな分野への事業拡大だな。当然、失敗したときのことは、覚悟の上だよ。」 「そうです、田上様には思いきり挑んで頂きたいのです。」  すると、控えていた海堂が迎えの車が到着したことを告げに来た。 “西園寺様、尚子様、お迎えの車が参りましたので、案内いたします。”  ホールの入口辺りでは、他の客達も迎えの車に乗り込んでいた。今日の演出への感想やホセの最後の演奏を惜しむ声があちらこちらで聞こえる中、尚子と兼次も車に乗り込んだ。そして宮本が見送りの挨拶をする。 「それではまた後日に、今後の具体的な事柄の打ち合わせについてご連絡させて頂きます。まず西園寺様にお話を通しますので、宜しくお願いいたします。」 「分かった。また、酒を酌み交わしながら楽しくやろうな。酒はやっぱり、シェリー酒かな。」  宮本と兼次はいつもの様に、笑顔によってお互いが同じ志(こころざし)を共有していることを確かめ合っていた。すると海堂が、同様に笑顔で力強く声をかけた。 「尚子様、私達女同士も殿方お二人に負けてられませんね。これからは西園寺様と支配人と同様のご関係を、いやそれ以上にお付き合いさせて頂きますので宜しくお願いいたします。」 「海堂さん、嬉しい、大変心強くなりました、一生懸命頑張ります、宜しくお願いします。」  尚子は、これほど思いを込めて自分を支えようとする人達がいてくれると、心に強く感じとっていた。感謝の気持ちでいっぱいになり、涙ぐんでいた。 「おいおい、女同士もあるが、俺がいることも、忘れないでくれよ。」 「そんな伯父様、当たり前です、分かっておりますよ。それから宮本様、お願いがあるんですけど。」 「はい、何でしょうか。」 「海堂さんにもお頼みしたのですが、これからは私のことは尚子でお願いいたします。」 「そうだな、これから一緒にやっていくのによそよそしい所が無い方が良いよな。」 「わかりました、それでは尚子様、お気をつけて。」  こうして4人は、来たるべき夢を実現する仲間として出発した意識を確かめ合って、車はホールを後にした。 # フオオオオオ・・・  振り返ると、宮本と海堂がその場から離れることなく見送っている。それは、姿が分らなくなるまで動くことはなかった。  帰りの車内では、フラメンコの会話でもちきりだった。 「尚子ちゃん、今日は色々あって、疲れたろう。こういったことは、じっくり手順を踏んでいく長丁場だから、急がなくていいよ。また明日の朝、食事を取りながらこれからのことを話してみようかね。ホテルに着いたら起こしてあげるから、少し休みなさい。」 「伯父様。」 「何だい。」 「私、フラメンコもそうですけど、先程申し上げたようにスペインの事すら良く分かっていないのです。私なりに色々調べてみますが、伯父様は世界を回っていらっしゃいます。実際の社会、生活などご存知でしたらお話して頂きたいのですが。」 「ああ、スペインは2、3度滞在したことがある。それほど詳しくないが、その頃のことを話そうか。あと、うちの資料室に映画やニュースフィルムがあるかもしれないな。部下に探してもらおうかな。」 「本当ですか、すごく助かります。スペインの国がどういう歴史をたどって来たのか、どのような民族の方々なのか、どういう食生活なのか、知りたいことが山ほどありますよね。そしてその中でフラメンコが生まれたのでしょう? 少しでも本来のものに近づくには、その歴史、風土を知ることが必要ですよね。」  そう言って、尚子は目をキラキラ輝かせて振り向くと、兼次は疲れて腕を組んだまま深く寝息をたてていた。 『伯父様、お疲れ様です、今日は、ありがとうございました、ゆっくりお休み下さいね。』  車は夜の海岸通りに沿って走っていく、そこから見える事業所や住宅も、この時分には明かりも無く眠りについている。しかしながら尚子には眠気など微塵も無く、これからの冒険のような日々が来るのかと気持ちを膨らませていた。
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