欧州滞在の記録

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欧州滞在の記録

# トントン “あ、はい。” 「恐れ入ります、兼次オーナーからご用命を頂いたフロントの高橋です。都合が付きましたら資料室の方へご案内いたしますが、いかがでしょうか。」 「すみません、今、帰りの支度をしております。10分程でできますので、そのくらいにフロントへ参ります。宜しくお願いします。」 「わかりました、お待ちしておりますので、お声かけください。」 # コツコツ・・・  帰りの支度を終えた尚子は、フロントに降りて来た。そして約束通り、そこに先程の男性職員が待っていた。 「お待たせいたしました。」 「田上様、それでは資料室に案内いたしますので。」  4階の東の角の部屋であった。 # キュウ 「どうぞお入りください。」 「失礼します。」  普通、資料室と言えば、地下の薄暗い倉庫の様な印象があるのだが、そこは、いつも明るく朝日が当たるように窓辺があり、温かい色調の壁紙とカーテン、今まで暮らしに使っていたのかと思われるような少し古びた調度品が置かれていた。そして、所々に、様々なスナップ写真と、誰が描いたのか分からないが水彩画や油絵が置かれていた。 『過去の写真や絵、手紙、書物・・・伯父様の昔の物・・・ここには思い出がぎっしり詰まってるんだわ。』  すると、高橋が切々とした口調で尚子に喋りだした。 「ここは、西園寺オーナー自身を語っている部屋なんです。ここを訪れることを許された者は、今まで気心の知れた方々だけなのです。」 「本当ですか?」  尚子は、それ程までに自分を見ていてくれる兼次の真心を感じ取っていた。 「ですから当ホテルの従業員としての私は、これ以上中へは入れませんのでこの場でで失礼させて頂きます。こちらがお部屋の鍵になりますので、退室の際は、施錠お願いいたします。」 「高橋さん、ありがとうございます。」  高橋は、にこやかに挨拶を交わして、尚子に鍵を手渡すと部屋を後にした。  兼次の思い出の部屋で独りになった。スナップ写真の中には、これまで乗船したものだろうか、大きさはバラバラだが、海原や港を悠々と航行する客船の姿を撮った写真が数々あった。さらに見回してみると、部屋の中に埋もれたように、目立たなく展示したチェストの隅に置かれた物が目に留まった。 『あらっ、かわいい。』  それは未だ真新しいが、埃をかぶった女の子の人形と子熊の人形が並んでいた。その傍らに、人形に寄り添うように封をしたままの2通の手紙が置いてある。表には、ふぞろいな文字で何か宛書きされてあった。97e564ba-a59a-4210-a849-408d1b94b47e ~フランスのおとうさんへ~ 『う・・う・・・』  尚子は、その場にあった背もたれの椅子に座り、泣き伏してしまった。 手紙は、新年を南フランスで待つ兼次へ宛てた、2人の娘からのものだった。人形は、兼次が娘2人にあげる新年のお祝いだろう。2体の人形は、人形でしかない。だが今そこで、プレゼントを貰った娘達がそれぞれに抱きかかえて喜んでいるかのような錯覚を起こさせる。古来より人形は、死者の魂を留めるといわれる、亡くした愛する者への供養の代用として扱われた。兼次がそんな意図で置いたとは考え難いが、そう思えてならない程に、人形はこの上ない深い愛おしみを感じるものに見えた。 『ど、どうしてこんな心優しい人が、これほどの重い苦しみを背負い続けて生きて行かなければならないの。』  尚子は、運命がもたらす残酷な現実を見せつけられていた。 『そうよね・・・、伯父様の心の重荷を、少しでも楽にしてあげたい。』  そう自分ができる精一杯の恩返しをしようと思うのだった。 # フォーーン  窓の外から船の汽笛が聞こえて来る。するとそれに併せるかのように、港からの海風が部屋のカーテンをゆっくりと翻(ひるがえ)していた。それから、どの位時間が過ぎたのだろうか。尚子は、やっと落ち着きを取り戻していた。 『本棚には、いろんな国の書物や図鑑が並んでいるわ。その脇には何かしら、大きめの帳面の様なものが沢山積み上げてある。あと、こちらの桐の箱には、何が入っているのかしら。』  何か開けてみないと分からない秘密の箱を見ているようで、興味津々な自分に気付き始めると、いつの間にか色々と知りたい自分に戻っていた。そして、何かスペインの事が記されているものがないかと捜し始めた。 『この本、欧州に旅行した方が、書いたものだわ。』  本棚から、欧州旅行記なる題の書物を見つけ出した。尚子は、本をパラパラと通し読みしていく。 『あっ、これは・・・。』  たまたま見つけたスペインの案内が載っているページに、ある挿絵があった。それは、ギター奏者を控え、艶やかなフラメンコの民族衣裳を纏ってポーズをとる踊り子だった。 『これが、私の将来の姿。まだ実感は沸かないけど。兼次伯父様、宮本様、海堂さんなど私を支えてくれる方々を信じていれば、きっとなれる。』  尚子は、そう自分に語りながら、挿絵の踊り子を夢中になって見ていた。  積み上げられていた帳面の様なものは、兼次がこれまで訪れた場所や建物、そして出会った人物まで、写真や手書きの絵を添えて、説明や感想をしたためた記録帳だった。その内容は、あらゆる物事に渡って解説されていた。’英国の大西洋航路にて’、豪華客船の船内の風景や食事、催し事とその進行と様子、船員の服装や仕事ぶり、各等級客室の様子と客層など細かく記述してある。そして、兼次の洒落た性格を感じるスナップ写真に吹き出しが付けてあり、手にとるようにその時の様子が頭に描かれる。出航直後の船尾デッキから港を見つめる親子、カフェでお茶を楽しみ語り合う老夫婦など、様々な興味に惹かれたものが載せられていた。寄港した町でも、ターミナルで待つ婦人の様子、町並みとそこで生活する人々のことが記されていた。そんな記録帳を楽しくめくっていると、挟まっていた1枚の写真がこぼれ落ちた。’明るい日差しの中、町並みの石畳の道にて’、両手に連れている子供と母親の後ろ姿が写っていた。見ていると、自ずと家族の絆を感じ、心温まる思いになる。 『奥様と子供達かしら。大切な家族を見守っている父親が撮った1枚だわ。多分紛れ込んでいたのね。伯父様が、どんな人だったかこれを見れば思い出せるわ。もらっても大丈夫だよね。』  時の経つのを忘れて、部屋にある書籍や記録帳を眺めていると、いつの間にか日が傾き、室内が薄暗くなって来た。
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