流浪の民の音楽と舞踏

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流浪の民の音楽と舞踏

「私も聞いていると、一刻も早くホセさんからフラメンコの心を教わりたい気持ちです。」 「あっそうそう、尚子ちゃんに嬉しい報告をしないとな。今度の約束の会合に、宮本君とホセ君が来てくれるそうだよ。」 「本当ですか、どうゆう風にご挨拶しようかしら。スペインの挨拶の仕方って分からないわ。服装は何がいいかしら。アンダルシアの女性の服装ってどんなものかな。でも、日本人だから和服が良いのかな・・・。」 「アハハ尚子ちゃん、今からそんなに気配りしてたら会合まで持たないよ。」  ずっと黙っていた高橋が、話に入ってきた、 「それではついに、西園寺フラメンコ楽団の初顔合わせですね。」 「こら高橋君、宮本君の前で、そんなこと言っちゃ駄目だよ、俺は後援者だよ、ウシロダテ。それでな、ただの顔合わせじゃつまらないからな、せっかくだから、何か面白い趣向の会合にしたいんだが。」  すると高橋は、尚子、畑山と顔を見合わせてから、当然の事のように兼次に申し出た。 「オーナー、簡単です。このスペイン料理の会しか考えられませんよ。」 「しかし、お前等は休暇だし、この仕事を任せた訳ではないんだよ。」  直ぐに畑山は、その気遣いについて言い出した。 「いえ、やらせてください。自分が今まで経験したことの無い、胸踊るような事が起こるのではないかということですよ。尚子さんのこれからに夢を感じるんです。それに加わってみたいんです、ねえ、高橋さん。」 「そうなんですよ。尚子様がフラメンコで何処までやってくれるのか期待感が沸いて来るんですよ。そこに自分でも出来る事はやってみたい気持ちなんです。オーナー、私もお手伝いさせてください。」  2人の部下の頼もしい言葉であった。 「・・・そうか、お前達も尚子ちゃんの可能性に、何か夢のようなものを感じているんだな。俺は、これで確信した。尚子ちゃんのフラメンコは、俺のホテルにさえも大きな力を与えるんじゃないだろうか。俺は、いつか俺にしか出来ないホテル事業をやりたいと思っていた。それが何となく見えてきたような気がする。」 「微力ながら、尚子さんが生み出していくフラメンコの世界の一員として、オーナーに従って行きたいんです。」  皆、高まる気持ちを吐き出して、何かに戦う前の決起をしているかの様である。 「じゃあ、皆の力強い志が一致したところで、ペスカド(魚料理)から一皿、カルネ(肉料理)から一皿もらうとするかな。あれ、尚子ちゃん、何処へ行ったのかな。」  見ると尚子は少し離れたところにいた。そして嬉しさに感極まって、ボロボロと涙をこぼしながら、食しに来た職員のために小皿へ料理を分けていた。  そうして試食会が終わった。  全てを片付けた後、尚子は、午後から4階の兼次の資料室に再び訪れていた。まだ数える程なのに、不思議にも自分の部屋に居るような心地良さを感じていた。そして今回は、高橋が用意してくれていた数々のフラメンコに纏わるものが置かれていた。来日したスペイン舞踊団のポスターや雑誌の記事。アンダルシアを紹介した書籍。アンダルシアを訪れた旅行者の手記。フラメンコ衣裳のカタログ図鑑。それらの他に、数本のフィルムと数枚のSP盤のレコードが置いてあった。  早速、チェストの傍らに置いてあった蓄音機にレコードの1枚を試聴してみた。すると曲の冒頭に、カンタオール(女性のフラメンコの歌い手)が、深く伸びやかな感じで歌い始めると、トケのゆったりとしたラスゲアードが奏でられた。フラメンコの曲は、ソレアからだった。そして次第に曲調が変わる。複雑なパルマが打たれると、それにリズムを併せるように床を踏み鳴らす、サパティアードするバイレの音が出てきた。それは時に力強く、時に優しく、微妙な抑揚を放っていた。 『こんなことが、私に出来るのかしら。』  尚子はこれまで、フラメンコを演じることがそう簡単には行かないとは薄々分かっていた。しかし、沢山の人からの支えを受けていることで、その時は根拠の無い漠然とした自信に甘えていた。それがこの蓄音機から聞こえて来る掴み処がなく複雑で、にもかかわらず流れるようなリズムで舞踏する響きが流れてくると、尚子の感性に鋭く刻み込まれていく。それに併せて、スぺインの歴史や文化を色々と知っていくにつれて、その難しさが本当に分かってきたのである。 『とにかく、ホセさんにお会いするまで出来るだけ曲を聴いて、そらで覚えるくらいにならないと駄目だわ。』  蓄音機を聴きながら、傍に置いてある旅行者の手記を手に取った。記述の中に、フラメンコの事が触れてある。  ’フラメンコは、ヒターノと呼ばれるジプシー(流浪の民)の音楽と舞踏である。ヒターノが、どのような民族であるかは定かではない。スペインのヒターノの集団の中には、他にモリスコというイスラム改宗の民、主に北アフリカの種族でもあるムーア人が存在していた。フラメンコは、ヒターノの音楽、ロマンセに、これらムーア人の音楽が影響して出来たものと考えられている。レコンキスタによって追放令が出された後もなお、モリスコはイベリア半島に潜伏して残った。フラメンコの複雑なリズムの演奏と舞踏であるファンダンゴは、モリスコ、つまりムーア人に由来すると言われる。’ 『フラメンコは、欧州から渡ってきた人達の音楽というわけではないのね。確かに、西洋音楽とは全く違うようには思っていたんだけど、伯父様から聞いたスペインの歴史の中で、レコンキスタによってイスラムの人達は居なくなった訳ではなかったんだ。フラメンコはイスラムの文化が生き残っていた証(あかし)なのね。』  フラメンコの成り立ちの後に、音楽の構成について記述されてあった。  ’歌をカンテという。ヒターノ達のロマンセの音楽の真髄とする所である。心の奥底から出す、深く響きのある声で歌う。’ 『今流れている感じなのね。アルトに近い声域で深く唸り響かせるところを学び取らないと。女性の歌い手は、カンタオーラと呼ぶのね。』  ’舞踏をバイレという。床を踏み鳴らしてリズムを取るサパテアード、独特の手の動きで感情を表現するブラッソが踊りの特色である。’ 『女性の踊り手は、バイラオーラというのね。』 ’フラメンコギターを用いて演奏するトケ。’ 『ホセさんのことだわ。あの複雑なリズムのギターを、叩きながら弾き込む奏法をゴルペというのね。』  そんな記述を読んでいると、ドアをノックする音が聞こえてきた。
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