本物というもの

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 更に驚くことが始まった。  雅章の弾いたフレーズをもう一度繰り返し、そこにアレンジを加えてきた。3連譜のシンコペーションを基本とした、副音コードで弾き始めたのだ。 『こ、これはトップのジャズギタリストがよく行う、変則モードを使った奏法だ。なんだ、この卓越したテクニックに溢れる音使い、すげー、思いもつかない表現技術だ。じいさん、いや、おじいさま、いったい貴方は何者なんですか。俺がその名前を知らない凄腕のギタリストなんて居なかったんじゃ、いや居た、それも目の前に。』  既にもう、バトルセッションのことはどうでもよくなっていた。それよりも、次にどんな妙技が繰り出されるのか待ちどうしくてたまらない気持ちになっていた。そしてやっはりその展開は、度肝を抜かれることとなった。いや、こんなありきたりな言葉では言い尽くせない。意表を突く音階の選択。一見、感性に趣いているようで研ぎ澄まされたリズムセンス。そのアドリブの曲調は、素人が聞けば大胆な構成に思えるが、その独創的なフレーズを分析して聴いていくと、緻密に計算された音使いで編み込まれていた。 『この人にしか出来ないオリジナルだ、明らかに耳にした事が無い。完全なる独自表現。世界のトップギタリストの中でも、こんな異次元なこと出来る奴いないんじゃないか?』  次第に雅章は、この老紳士がこの神業の技量にどうやって行き着いたのかをしきりに考えるようになっていた。そして、心の奥底にどんどん染み込んでいくような趣き深い旋律にすっかり陶酔してしまった。   その時、老紳士が交替の合図を送って来た。 『えっ、もう終わり?・・ですか。もっと見ていたいんですけど、駄目すか?』  残念ながら、ついに交替の巡になってしまった。しかし雅章は、合図を受けてソロを弾くことはしなかった。 # ・・・・ 「むっ、これで終わりでいいのか・・ふう・・わしも年をとった、これ以上は体力が持たんと思っていたところだったよ。止めにしてもらって、良かったよ。」  雅章は、取りあえずこの勝負に負けたのであるが、圧倒的な演奏に、悔しがることなど消え失せてしまい、すっかり田上に魅了されてしまっていた。 「ん、なんだ、何も言わんが、どうかしたのか?」  田上が声を掛けてくれたので、恐れ多い気持ちで口出しできなくなっていたところから、ようやく喋り出せた。 「おじいさん、いえ田上さん。もっと貴方の凄いプレイを見ていたかったのですが、交替の合図があったので・・・生意気言ってしまって、すみません・・・俺は、まだ貴方とセッションする程の力はありません。もっと、もっと腕を磨かないと駄目だ・・・そして、まだぜんぜん分かってはいないけど、・・・貴方の様になりたい・・・いつか自分のプレイが、人の心に直に伝わるようになりたい。」  今の心境をたどたどしく語った。その言葉を受けて驕(おご)ることも無く、田上は、実の祖父のように、優しく返事をしてあげた。 「おまえさん、いい奴だな。今日はぶらっと来ただけだったが、面白かったよ。店長、部品があって助かったよ。1週間後にまた来るから、よろしくな。」  見ると、川村が感極まって、涙をぼろぼろ流しながら椅子で固まっていた。 「和さん、和さん。」  雅章の声掛けに、川村は我に返ったようだ。 「和さん、和さん、終わったよ。和さんの言ったことが、よく分かったよ。今日のこの経験で、多分俺のギター人生が変わる。本当に、良かったよ。」  川村は、自分と同様に感慨に浸る雅章に言葉を返した。 「マサちゃん、驚いただろう。田上さん、演奏を見させていただいて本当にありがとうございました。もう最初から、感動して、心が打ち震えて、ずっと涙が止まりませんでした。このことは、私の音楽人生で一生忘れられない宝になりました。ご注文の部品は出来るだけ早く取り寄せますから、お待ちください。届きましたら連絡いたしますので、よろしくお越し願います。」  田上は、ギターのボリュームのツマミを戻して、アンプからギターマイクの微かなノイズ音も聞こえなくなったところで、ボリュームを落としてスイッチを切った。そしてストラップを外し、ギターをスタンドに立てかけて、ゆっくりと腰を上げた。 「店長、すまないね。若いの、がんばれよ。それじゃあ、わしはこれで失礼するよ。」  田上はそう言って、カウンターに置いた帽子を取って、頭を少し前に傾けて浅く乗せるように被った。そして出入口に向かい、ドアを開けると同時に、後ろ向きの格好で右手を上げて挨拶すると、そのまま出て店を後にした。dc75397c-2dd0-4d82-bede-338049739d15 # パタン  それから、暫く時間が過ぎていた。 # ・・・・  大盛況だった祭りの後のように雅章と川村はまだ同じ位置に座ったままだった。 # ピーポーピーポー ピーポーピーポー・・・  遠くで、救急車が走っているのだろう。こんな時ほど妙によく聞こえるものだ。そして、田上と出会ったという奇跡的な幸運への余韻を楽しんでいるのか、暫くは2人共何も喋ることが無かった。ようやく雅章の心は、歓喜から欲求へと変わっていく。 「和さん、田上さんってどんなギタリストだったのか教えてくれない。あれだけの腕を持った人って、日本どころか世界でも居ないんじゃないかな。」  自らが最高と粋(いき)がっている若者が、本物というものを目の当たりにして、素直に漏らした言葉であった。 「ちょっと、待っててくれる。」  川村は、店の奥の納戸へ入って行き、2,3分程で鼻唄混じりに戻ってきた。そして持ってきた1枚のレコードアルバムを雅章の前に差し出した。 「これは昔、田上さんが演奏に参加したバンドのライブアルバムなんだ。でも、このライブを最後に突然引退というか、ステージに立たなくなってしまった。」 「ということは、病気とか、事故とか、何か不幸な事が起こったんですか?」
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