貴賓応接大広間

1/1

11人が本棚に入れています
本棚に追加
/43ページ

貴賓応接大広間

「映写が終わっています。お話がありますので、機械を止め、明るくしますが宜しいでしょうか?」 「ええ。」  辛い思いに駆られながら、高橋は映写機を止めて、部屋の暗幕を引き開けた。そして傍にあったフラメンコの衣裳の図書を手にとって、尚子の前に置いて広げて見せた。 「オーナーから、用命を受けました。尚子様のステージ衣裳をいずれ近いうちに作ることになるので、好みを聞いておくようにとのことです。宜しければ、今度の日曜日の会合までに急いで1着作って見ましょうよ。どのような感じのものが好みか、こちらの見本集の中から選んで頂けますか。」 「まあっ、本当ですか。夢の様ですね。」  無邪気に微笑みながら、子供のように反応する尚子であったが、もう高橋には、高い壁に挑もうとする立派な1人の大人の女性に捉えていた。 「いいえ、尚子様。もう今では夢ではないんですよ。現実の目標と考えましょう。私は用命を受けて、宮本支配人の下に居る海堂秘書と同様に、尚子様の支援を全力で致しますので、どうか遠慮無くおっしゃってください。私もこの事業に意気込みをもって加わらせていただきたいと思っております。」 「高橋さん・・・」  尚子は、また、気持ちがいっぱいになりそうであった。しかししっかりと心に決めた以上、もう浮ついてはいけないと思い、見本集に目を戻した。 # パラ・・・パラ・・・ 一通り衣裳の見本の様子を見てある程度望みを決めたのか、尚子は、返事をした。 「高橋さん、良かったらこの様な感じのものを着てみたいのですが・・・。」 「お決まりですか。意外と早くお決めになられましたね。うちの家内、好みが煩いもので、2、3日はかかりますからね、ははは。」  尚子は、本棚に向かって1冊の本を取り出した。そうそれは、初めてこの部屋を訪れた時に見つけたスペインを紹介した本だった。そして、あの挿絵の踊り子を高橋に見せた。見本集に目もくれず、真っ先にその本を取り出したところに、尚子が既にイメージしていたものなのだなと高橋は理解した。 「ほう、深紅の素敵な衣装ですね。それ自体は清楚な印象ですが、大きく胸元が開いたところは、すごく女性的な魅力が伝わってきます。今にも情熱的な舞踏を始めるような雰囲気が感じられる挿絵ですね。うん、これは尚子様にピッタリな衣裳だと思いますね。後ろ姿が分かりませんが、私が知っていますこの町一番の熟練の仕立屋に依頼しますので大丈夫でしょう。今度の日曜日が面白くなって来ました。間違いなく、オーナー並びに出席者の皆がその姿に驚くこと間違いないでしょう。」 「本当ですか、そう言っていただけると勇気が沸いて来ます。」  映像の踊り子を見た時、その衝撃で血の気を失ってしまった様に顔が青ざめていたのだが、赤みを帯びて元気が戻ってきた様子を見て、高橋は安堵した。 「あれ、尚子様どうなさいました。」  そして尚子は、こらえきれなくなって、すこし涙ぐんでいる。 「私は、幸せ者です。くじけそうになった時は、いつも誰かが救いの手を指し延べてくれるのです。それに甘んじてばかりで、このままで良いのかと不安になる時があります。」  すると高橋は、まるで幼子にお話を読んであげる様に優しく語りかけた。 「尚子様、運命は、よく2つの言葉で引用されます。運命は、切り開くもの、そしてもう1つは、運命は、導かれるもの。今は、導かれているのではないかと思います。尚子様は、強く人を惹きつける不思議な魅力をお持ちです。フラメンコを目指している姿を見ていると、何か素晴らしいことをやるのではないかと期待してしまうのです。オーナーを始め、このことに関わっている者達は、皆その将来への期待を感じているのですよ。しかしそのことによって私達大人は、尚子様に重い責任を負わせてしまったのです。そしていつかはその責任を果たすために、自らの力で無ければ運命を切り開くことが出来ない時が来るのではないかと思います。尚子様、お願いがあります。その責任を果たす運命が余りにも重く、堪え難い時は、私に正直におっしゃってください。尚子様自身にはなれませんが、それがオーナーや宮本様に背くことになっても、私がお守り致しますので。」  尚子は、それを聞いて言葉が出なかった。高橋の言ったことは、尚子自身が置かれている立場を明確に説明していたからだ。責任とは兼次や宮本達の夢の実現のことであり、尚子が成し遂げるかにかかっていたからだ。皆が期待すればするほど、尚子は自分が孤立して行くのを感じていたのは確かだった。 「高橋さんの言葉は、私にとっての最後の救いを作ってくださいました。正直のところ、私がフラメンコを習得できるのか自信がありません。どうすることも出来なくなった時、おすがりするかもしれません、お願いいたします。」  再び蓄音機でフラメンコの曲を流す。踊り子の挿絵をどのように仕立てるかの話で色々な思いが沸いている。そこには、親しい仲間同士の強い絆が生まれていた。  そしていよいよ翌週の日曜日。フラメンコの夢を志す者達が、一同に会する日が来た。 尚子は、気持ちを新たにしてこの日を迎えていた。それは、つい2日前に父、尚佐から承諾の書簡を受け取っていたからだった。尚子への激励はもとより、兼次や宮本に対する依頼の記述も多く書かれていた。それは、尚子の才能を見出だし、立派な自立した大人へと育てようと支援する2人への感謝と尚子を託すにあたって、できうる限りの配慮をお願いしたいとの内容がだった。  港を臨む大きなテラス、フランスの王宮を想わせる豪華な室内装飾。会合は、ホテルの貴賓応接大広間で行われた。 「何度訪れても素晴らしい、相変わらず気高く美しい様相です。」  感嘆している宮本に、尚子も同調していた。 「本当に、こんな所があるなんて、私も驚いています。外国の宮殿に観光旅行で来たみたいですね。」 「内装の様式を拝啓しまして、西園寺オーナーは欧州の古典主義にお詳しいようですね。」 「さすが海堂君、欧州に長期間在住してきただけあって、この室内装飾の内容を一発で見抜いたね。此処は仏国の一級の建築家を招いて、フォンテーヌブローを参考に作らせた。これまでも、華族の方々の祝事や外国からの要人の歓迎式などで此処を使って喜んでもらっているよ。」 「オーナーは、宮本様と同様、こだわると徹底的ですからね。」 「お互い夢中になると、止まらない性格だね、宮本君。」 「アハハハ、全くお互い馬鹿が付くほどの凝り性ですからね。」  会合のメンバーは、兼次、宮本、高橋、辻、海堂、ホセ、尚子、そして料理の賄い役として畑山を加えた顔ぶれであった。
/43ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加