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奇跡の予感
「んん、ああ、まあそうだな。美味いものを食えば、喧嘩も収まるか。宮本君、大人げなかった、済まない、もう立ち上がってくれ。先週、尚子ちゃん達と作った料理の数々だ。凄く美味いから、また昔話をしながら楽しもうじゃないか。」
「すみません、私が余りにも不甲斐無いばかりに、皆さんに多大なる迷惑をかけてしまいました。」
ようやく、険悪な雰囲気に明るい兆しが見えて来たと感じ、すかさず高橋は言葉を入れた。
「それでは、畑山君、辻さん、配膳を宜しくお願いします。私は、尚子様を呼んで参ります。」
高橋の鮮やかな対応で、張り詰めていた室内の雰囲気が収まって、何となく和やかになった。取りあえず席に戻ることができた宮本は、緊張感が続いているのか、暑くもない室内で独りハンカチで額の汗を拭っている。そして、それぞれの席上に手早く最初の料理が配膳されて行くと、顔色を伺いつつ、兼次に話しかけた。
「西園寺様、非常に有能な部下を持っておられますね。」
「ああ、君の所も同様だが、高橋には、しばしば唸らせられるんだよ。さっきのように、あいつの状況判断とその対応が鮮やかなのは天才的だよ。今のもそうだ、尚子ちゃんのフラメンコへの情熱が変わってないところを何故見ないのかって斬りこんできた。俺なんかよりずっと事業の運営に向いていると思うよ。でもあいつ、なかなか自分から何かをやりたいって言って来ないんだよな。いつかホテル経営を自由にやらせたいと思っているんだけどね。」
「でも、今の彼は、おっしゃるようには思えませんが。」
「君もそう思うか。それがだ、今回のフラメンコの事業には、あいつからやりたいと名乗り出て来てな。興行なんか全く興味無い奴だと思っていたんだが、驚いたよ。」
「そうですか、高橋君も私達と同じ思いを感じたんですよ。尚子様のフラメンコに対する情熱が伝わり、凡人には出来ない何かを成し遂げるのではないかという期待です。」
「そうそう、そう言ってたよ。まだこれからだというのに、尚子ちゃんには、自然と胸躍らせられるんだよな。これが、ホセ君にも伝われば良いのに・・・スマン、失言だった。」
「いえ、本当に残念です。しかし、ホセのフラメンコに対する気持ちがここまで誇り高くあると予想出来ていなかったのは失敗でした。でもほら、見てください、久しぶりの郷土の料理に大はしゃぎですよ。」
「スペイン人は、気分屋だからな。まあ、日本人が作ってみた今回の料理を認めてもらえただけでも良しとするか、レストランで使えるからな。」
確かにホセは、満面の笑顔とともに大きな声で海堂に話しかけていた。未だ尚子が戻って来ていないので少し待つように言っている海堂は、退席を逸(はや)っていたホセを抑えるのに苦労していた。
すると、応接室の入口から高橋の声がした。
“お待たせしました。尚子様が、戻られましたので食事を始めましょう。”
高橋が室内に入り、続いて尚子の声がした。
“失礼致します。”
一同は、絶句した。
『おい、これは・・・。』
兼次の心の中で思わず出た一言は、周りの者達も同様であった。そこには、細部まで装飾が施してある、深紅のフラメンコ衣裳を身に纏った尚子が立っていたのだ。
”エストゥペンド!“ # パチパチパチ・・・ ”トゥ エレス エストゥペンド!”
ホセが突然立ち上がり、拍手をしながらこう連呼しはじめた。そして、室内にいた者全員も立ち上がって、尚子の素晴らしい衣裳姿に拍手した。
# オオオ・・ パチパチパチパチ・・・
“見事だ、本当に素晴らしい。尚子様。”
“ああ、尚子ちゃん、驚きの一言だ。スペインでも、この姿に敵う女性はいないんじゃないか。”
“女神様が、降りてきたのかと思いました。”
“ですよね。女性の私でも惚れてしまいました。”
そして、尚子は皆に一礼すると、応接室の中央スペースに進み出た。それから左手で胸を押さえ、大きく深呼吸したところで、右手を前に差し出しながら、深く奥行きのある声で歌い始めたのだ。
♪ ラ マラ ノウチェ ケ パソ・・・
それは、資料室で初めて蓄音機で聞いたソレアの曲であった。
ゆったりとした伸びやかなる歌声。それは、尚子がこれまで正式に学んできた力もあって、独創性を十分に引き出していた。その荘厳な曲調に古典的西洋声楽の聡明感が加わって、本来のものとは違った尚子にしかできないカンテである。その張りのある突き抜けるような声が轟くと、応接室はさながら尚子のフラメンコを鑑賞するために開かれた宴の様であった。
”ファンタスティコ!”
# パンッ パッ パンッ・・・
ホセはそう掛け声をし、パルマを打つように尚子に拍手を送る。
「尚子さん、歌が凄くお上手ですね。」
「畑山君、知らないんだね。彼女の専攻は声楽なんだ、素人じゃ無いんだよ。」
「そうなんですよね。音楽など全く無縁な私でも、尚子様の歌に込められた情熱が伝わって来ます。才能ある方とは、彼女のようなことを言うんでしょうね。」
「海堂君、それを素直に認めるところも才能なんだよ。人は普通、自分より優れた者を認めたくない羨みがあるものだが、才能ある者は、それを認め受け入れようとするものだ。建設的な考えが出来る者は、決して批判はしないんだよ。」
そう周りで興奮気味に話していると、宮本が声を張って言いだした。
「西園寺オーナー、それはそうと見てください。ほら、ホセの心境に変化が出てきていると思いませんか? なあ、海堂、そうだよな。」
確かに、ホセも尚子の衣装姿に胸が熱くなっている様で、身を乗り出してパルマを打っている。
「ええ、ひょっとして奇跡が起こるかも知れません。」
「そうかもしれん。彼は、才能ある者の最たる人物だからな。もし、尚子ちゃんの歌が本物だと認めるなら奇跡は起こるぞ。」
「海堂、彼のギターを持って来ているな、直ぐに用意をしてくれ。」
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