初舞台

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初舞台

 宮本の要請に軽く頷くと、海堂は用意のため、気配を隠すように皆が、特にホセ気が付かないうちに席を外した。兼次と宮本は、期待を膨らませる。 ♪ ケ デ ラ ベラ デ サン フアン・・・ 「尚子様は、スペイン語ができるんですね。」 「いや、全く喋れないよ。」 「ええ?、でも現にあんな堪能に歌っていらっしゃるのですが。」 「この短期間で習得するとは考えられないし、後で聞いてみるかな。」  その間に戻って来た海堂は、ギターを持って来ていることを伝える。 “○○○○・・・”  ホセは期待通り大きく頷いた。そして一旦、海堂に導かれて退室した。 「宮本君、どうやら奇跡が起こったようだぞ。この成り行きは、尚子ちゃんに任せるしかないな。どうだ、じたばたしてもしょうがないから、一杯飲みながら見守っていようか。」 「分かりました。私もこのシェリー酒は、凄く気になっていました。尚子様に全てをお縋(すが)りして、私も味わせて頂くことにします。」  やがて海堂が再び戻り、尚子に手で合図を送った。 合図に気づいた尚子が歌を止めると、海堂は皆の前に出てきて、これからの段取りを説明する。 「お気づきの方もいらっしゃると思いますが、ここからホセも演奏に加わります。ホセは、ご存知の通り日本語が話せませんので、代わって私が彼の言葉をお伝え致します。‘これまでの無礼な振る舞いを、深くお詫び致します。私はフラメンコの継承者として演奏をすることが務めであり、使命だと思っております。今回の宮本支配人の申し出が、以前と変わらない扱いだと思っておりました。フラメンコは、確かに流浪の民、ヒターノの音楽です。ですから、ヒターノの音楽がこれまで認められることなどなかったのですが、異文化との融合で芸術の域にまで高められたのは奇跡だと私は思います。だからこそ、我々はこの宝を大切にし、受け継いで来ているのです。アンダルシアの民の魂であるフラメンコは、神聖なものであることを理解して頂きたいのです。この度の会合で、皆さんのフラメンコに対する意識が、厳粛に受け止めておられると分かりました。見ての通り、日本語で申し上げられない私は、演奏で気持ちをお伝え致します。’とのことです。」  そして海堂は、ホセに合図を送った。併せて、ダンスホールの時と同様に袖の無い椅子が置かれる。 # コツコツコツコツ・・・  やがてギターを持ったホセが現れた。  ホセは皆に軽く会釈し、そして同じ芸術家としての配慮だろうか、胸に右手を当てて尚子に向かって上体を深く曲げて礼をした。  海堂は、尚子に申し出る。 「尚子様、ホセには、尚子様が未だ本来のフラメンコに触れたことが無いことを伝えてあります。ですので、安心してご自分が知っている限りの歌をお願いいたします。ホセは、フラメンコの曲、ほぼ全て熟知しているとのことです。」 「分かりました。今の曲を含め5曲しか覚えられませんでした。発音も間違ってるかも知れませんが、ご容赦下さいとホセさんに伝えてください。」  海堂は、尚子の言葉をホセに伝えた。 “○○○○・・・”  ホセは頷き、再び尚子に伝えて欲しいことを海堂に頼んだ。 「歌に入る間合いは、目で合図するそうです。間違えてもそのまま続けてくれとのことです。最初の曲は、今歌った曲で行きましょう。」 「分かりました。それではホセさん、お願いしますね。」  尚子はそう言って、ホセに開始の合図を目で送ると、ホセも尚子の合図を受け止め頷き返した。すると、兼次と宮本が申し合わせたように、同時に拍手をしながら立ち上がっていた。 # パチパチパチパチ・・・  先程のソレアのカンテが始まる。 ♪ ラ マラ ノウチェ ケ パソ・・・ 応接室の全て者が、2人の演奏に釘付けになっている。深く伸びやかな尚子の歌声に、ホセのゆっくりとした細やかなアルぺジオの旋律が加わる。 # ♪~♪ ♪♪♪ ♪♪♪ ♪~♪・・・  すると、孤独を表現した威厳なる曲調が更に趣を増して室内全体に響き渡る。 ♪ イ ェレレンテ ケ メ ダ・・・ ♪~♪ ♪♪ ♪~♪・・・  最初の配膳を一先ず終えた畑山は、その絶妙なアンサンブルへの感動で涙ぐんでいた。 「尚子さん、ホセさん、凄い、素晴らしいの一言ですね。本当に今、即興で出来た共演とは思えないです。」  兼次は、誰に語ろうとする訳でもなく、独り、今、自身の熱い思いを呟いていた。 「ああ本物というのは、これなんだよ、夢の実現の第一歩だが、ついに一番重要な第一歩を踏み出したんだ。」  兼次、宮本、高橋、海堂そして畑山は、感無量の気持ちで尚子達の演奏に聴き入り、見つめていた。 「それじゃあ、第一歩を祝して、宮本支配人、乾杯しよう。」 「そうですね。われわれの楽団の初舞台ですね。改めて、尚子さんの才能に驚かされましたよ。そしてホセが、そこを見抜いてくれたことに感謝したいです。」 「そうだろう、尚子ちゃんの可能性を見抜いた俺達の目に狂いは無かった。ところで高橋、尚子ちゃんの衣裳を作ったのを黙っていたのは、ずるいよ。」 「ははは、すみません。そんなつもりは無かったのですが。本当は食事中に発表する予定でした。ホセ様の件を辻君から聞いて、忘れ物を取りに来た尚子様にお話したんです。お互い話し合っている中で、この状況を打開するためにはホセ様の気持ちを変えること。そのきっかけにやってみようとの尚子様の発案でした。」  諦めていた状況は好転し、宮本はもういっぱいに顔をほころばせながら会話に加わる。 「そうだったんですか。大人で頭が堅くなってしまった私達にはなかなか出来ない発想ですね、本当に救いの女神です。」 「そうですよね。我々は、どうしても失敗した時の負担ばかりを考えて、すぐに行動できなくなっています。」 「尚子様には、教えられてばかりです。人の心を動かすためには、言葉では何も出来ない。相手の五感に向かって、自分の気持ちを表現し、訴えることが必要なんだと。フラメンコへの情熱を身を持って示しておられることに、つくづく私自身、反省しなければと思い知らされました。」  やがて次のカンテが始まると、曲の印象が明るい感じに変わった。 ♪ ♪♪♪ ジャンジャン ♪♪♪ ジャガジャガ ♪~♪・・・  ホセのダイナミックなラスゲアードとゴルペが小気味よく奏でられ、爽快な明るい雰囲気を醸し出している。海堂は、演奏の解説を入れた。 「これは、アレグリアスという喜びを表したフラメンコなんです。」 「そうだな、タブラオでは良く流れる曲だ。これは、自然と聴衆がパルマを打ちたくなる。宮本君、ホセ君によく決心してくれたと伝えといてくれ。そして、これから尚子ちゃんと共に宜しく頼むともな。」 「ええ、私こそ、どれだけ感謝しても足りません。本来のホセを目覚めさせてくれたのは、結局のところ、尚子様の勇気と情熱でした。」  次に演奏がセビジャーナスという楽曲に入ると、何やら入口の方が騒がしい。 「オーナー、すみません。」 「高橋か、何やら外が騒がしいな。どうしたんだ。」  すると、追加の料理を持ってきた畑山が今起こっているその事態を説明する。 「どうしたもありませんよ。職員並びにお客様達が、中で是非鑑賞させてくれって詰め掛けて大騒ぎですよ。」 「畑山の言う通りの状況です。どういたしましょう、中に入れますか。」 「入口の前で、人が溢れているのも見苦しいな。何人ぐらいいるのかな。」 「30人位ですね。」 「それじゃあ、入口傍の角のラウンジに収まるだろう。お客を優先して、静かに入ってもらってくれ。」 「承知しました。」  高橋が部下の者に命じて案内すると、30人と言わずどんどん人が入ってくる。既に人垣は、更に増えていたのだ。尚子は、それに気付いて少し戸惑ったが、ホセが笑顔で続ける合図を送ると、頷き返し、今度はその聴衆に向かって明るく話しかけるように歌いあげた・・・すると、思わぬことが起こった。 ”オーレ、オーレ、ビエン オーレ、オーレ・・・”  外国人の客の中からフラメンコの掛け声、ハレオを出す者が現れたのだ。兼次と宮本は、もう興行を始める前から期待している結果が出ている状況に、感無量である。少し涙目になり、満面の笑顔でシェリー酒を酌み交わしていた。 「色々ありましたが、船出としては最高になりました。」 「ああ、まだまだ、これからが勝負だが、今後のことは、今後考えれば良い。スペイン人の様に、素晴らしきこの今の喜びを楽しもうじゃないか。」 # ♪~♪ ♪ ジャンジャン ♪♪♪ ジャガジャガ ♪~♪・・・  最後に、尚子はタンゴの曲を心を込めて歌いあげる。ホセの小気味よい2拍子の軽快な演奏が、会場の雰囲気を一層盛り上げる。大歓声がホテルの外からでも聞こえ、行き交う人々は皆ホテルを見上げて歩いていた。 ~第二章に続く~
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