軽音部

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軽音部

「いや、それが僕もよく知らないんだ。専属したバンドは無かったし、終始フリーで活動していたから、自身が表に出てくることはほとんどなかった。だから田上さんは、日本ではあまり一般には知られていないんだよ。アメリカ音楽業界の有名な音楽プロデューサーに発掘されて、彗星のように突然デビューして来たんだ。今マサちゃんが見たように、当然その卓越したテクニックに最初、誰もが驚いた。特に彼が凄いのは、神業のようなリズム感覚、独創的な音使いとコード選択で、誰も真似ることすら出来ない。半年も経たない内に、当時、全米ではあらゆる音楽アーティスト達が認める存在になったんだ。つまり、ミュージシャンが認めるギタリストだよな。それからは、様々なバンドのサポート、レコードのプロデュースに招かれ、活躍するようになる。そしていつしか彼に異名が付いて、東洋の奇跡とか亜細亜の音神と呼ばれるようになったんだ。このアルバムに、田上さんが伝説となったソロ演奏が収録されてあるから聴いてみると良いよ。伴奏や間奏みたいに曲中にソロを入れたものはそれなりにあるけど、単独で演奏したものは唯一これしかないんだ。それにこのライブでの演奏には逸話があってね、予定のプログラムには無かったものなんだ。田上さんがバンドリーダーに頼んで急遽入れたそうだよ。後でCDに焼いておくから、明日にでも取りに来るといいよ。きっとマサちゃんのギター人生にとって何らかの影響を与えてくれると思う。でもさ、人生って何が起こるか分からないもんだね。田上さんの演奏を直で聴けるなんて、本当に、もう、その代わりに明日死ねってことになっても本望だよ。今でもまだ体が震えてるよ。」  川村は、まだ続く熱い気持ちを抑えきれず、興奮しながら語っている。しかし雅章は、正直言って、そこまでの感覚は無かった。思いがけないものに出会った時、驚くことはあっても往々にしてその実感が理解に追い付けないことがよくある。子供の様な川村のはしゃぎっぷりで、興醒め(きょうざめ)していたわけではない。おそらく、田上という人物がどんな道を辿って来たかをもっと深く知らなければ、真の感動は得られないと思っていたのかもしれない。 ”それじゃあ、また。” ”必ずおいで。” ”一週間後に、行くから大丈夫。” ”あははは、そうだね。”  雅章は店を出た。そして、入った時とは全く違う人物になっている様な気分であった。予想だにない奇跡が訪れ、自分はその渦中の1人になっていた。まるで神が降臨し、その神託を受けた者のような感覚になったのであろう。  ところで、独り暮らしの学生とは、お気楽気ままなもので、試験期間以外では、好きな時に寝て、起きて、バイトしたり、サークル活動するなどと実に自由奔放そのものである。雅章もまたしかり。そのまま何処かで適当に飯食ってアパートに帰るつもりであった。が、先程のバトルセッションの興奮が続いていためか、無性に音出ししてみたい衝動に駆られて、学校にまた引き返し、軽音部の部室に足を向かわせた。 ♪ ♪♪~♪ ♪~♪ ♪♪~♪・・・  どこかの軽音部員のバンドが音合わせをしているようだ。部室に近づくと、ドア越しに演奏する音が次第に聞こえてくる。 #  バタン ”ちわ~” ”あれ、マサ君。” ”お~、マサか。” ”マサ先輩、お久しぶりで~す。”  それは、同学年の部員、国際文化学部の佳世子が、最近ユニットしたポップロックのバンドだった。ちなみに、この学部は真面目に勉学に励まないと進級しないのであるが、雅章は、商学部、相当適当にやっても単位が取れる。  文化系の部活は、体育会系と違って、それ程男女や上下にこだわる人間関係を持たない。佳世子達は、雅章の実力に敬意は持っていたが、学生同士の馴れ合いの関係であった。 「滅多に顔出さないのに、今日はどうしちゃったの?」  佳世子がそう言うと、ドラムスの陰からは、菅野の声もしてきた。 「そうですよ、僕ら1年部員の間じゃ先輩は神の存在、ですが、見たことも無い奴もかなりいるんですよ、もっと出て来てくださいよ。やっぱ神だけに、なかなか姿を見せないなって、ふざけたこと言ってる奴もいるくらいです。」  雅章は物事を口に出さない性格で、また気難しそうに見える風貌(ふうぼう)であったため、とっつきにくい印象を受けるのである。率直にいえば根暗な奴に見える。部員達どころかそもそも人付合いが悪い。佳世子達は、心を開き親しくしている数少ない仲間であった。 「アハハ、そいつ結構面白いな。いや、なんだ、楽器店で刺激的な出来事があったんで、それに感化されてね、ちょっと弾きたくなって寄ったんだ・・・練習の邪魔して悪かった、そんじゃ、また。」  そう遠慮して部室を後にしようとしたが、佳世子が呼び止めてきた。 「ちょ、ちょっと待ってよ、せっかく来たんだから。下手っぴでつまんないと思うけど、私のバンド、どんな具合か診てってくれない。西條プロから見てもらってさ、感想を聞きたいのよ。」  雅章はこの後予定も無く、それに腹も減っていた。来る途中で買って来たハンバーガーを部室で食うつもりだったので、軽くOKした。 「俺、菅野と同じ、マサファンの1人、なだけに、本当、スゲー緊張するな。」  そう言うのは、同じ商学部2年、ギターを担当している高橋だった。 「高橋先輩、言い方、滅茶苦茶、でも僕もすよ。部室が突然オーディションになっちまいましたよね、いやあ、スティックが冷や汗で滑る滑る。」  菅野はそう言って、2本のドラムスティックの真ん中を両手で握り、ぐりぐりとねじり回す。 「別に、お前等の審査する訳じゃないから思い切ってやんなよ。実力が出てないのに感想言っても、参考にならないだろう?」 「お~、やっぱプロ、言うことが様になるなあ。俺が同じ台詞、後輩達に言っても、全く無視だからなあ。」 「大丈夫ですよ、 高橋先輩は、打ち上げの時に絶妙な宴会芸で目立っているんですからね。」 「ほら、お前も俺を軽く見てるだろ。あ~あ、俺も音で勝負してえよな。」 「ほらほら、せっかくのチャンスなんだから、みんなやるわよ。」  そうして、バンド練習が再開した。うまく行っているバンドとは、演奏の下手上手い関係なく、メンバーの気持ちが前向きで熱心であり、バランス良くまとまっているものだ。そういうバンドは、観ている方もついつい楽しい気分にさせられてしまう。998746a5-0114-4ef3-8b41-3b9d5539620b ♪ ♪♪~♪ ♪~♪・・・  夢中でやっていれば時間の感覚は無くなる。皆、ワイワイやっているともう深夜になっていた。
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