頭から離れない

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頭から離れない

「東洋の奇跡、だろ?」 「そうそう、東洋の奇跡って言われたらしい。無名なんだけど、あるギタリストに深く関わってて、その人の影響を受けていたらしいよ。しかし、ある時からぱったりとプレイを止めて音楽の舞台から姿を消してしまったんだ。彼はそれまでに、自分のバンドや専属のバンドを持たなかったので、演奏を知るには参加したバンドのアルバムを聴くしかないみたいなんだ。うちの親父はこれだけ語るけど、言っちゃ~なんだが、音楽のセンス無し。」 「じゃあある意味、遺伝してしまいましたか。」 「ナニ!、カン太、後で絞めてやるからな。それで、親父の話は別として、彼がもし業界から姿を消すことがなければ、音楽史上屈指の業績を残していたのは間違いないみたいだね。親父にとって田上さんは、神の存在なんだな。でも話だけだと何処までが本当なのか分らんが、知っているのは、これだけ。」 「サンキュー、苗字しか聞いてなかったんでフルネームを教えてもらった。田上尚正か、後でネットで検索してみよう、助かったよ。俺の行きつけの店の店長が涙して固まってた理由、やっぱりその異名たる由縁にありそうだな。店長もお前の親父と同じ様なこと言ってたよ。田上さんが唯一単独でやったソロ演奏が入ってるライブアルバムを店長がCDに焼いて渡してくれるんだ。聴いたら、高橋、お前に回すよ。」 「え~、本当か?、親父の持ってるアルバム、輸入版も結構あるのに、そんなの無かったなあ、だからめちゃくちゃ喜ぶだろうな。ん~さて、手数料幾ら吹っかけようかな。」  田上の話に盛り上がっている2人に、佳世子や菅野も入ってきた。 「高橋君、相変わらず悪巧みはセンス抜群ね。」 「東洋の奇跡かあ、カッコいいすね。自分なんか一生かかっても、到底行けない世界でしょうね。せいぜい楽器屋の店員レベルかな。」 「そんじゃ、菅野、明日からお前を極東の平民って呼んであげよう。」 「ひで~な、高橋先輩の全くヒネリの無いギャグすか。」  こうして反省会も、いつものように話が煮詰まって、ぐだぐだ感満載となる。夜も更けて、閉店時間近くになっていた。 「ヤベー、俺、乗り換えの終電時間に間に合わねえ、菅野、今日スマンが泊めてくれ。」 「ええ~高橋先輩、またすか。いいですけど、宿代、明日の朝飯ですからね。」 「おう、じゃあガーリックトースト、ハムエッグ、コーヒーでヨーグルトも付けてやる。」 「え~すごい、高橋君、朝食なんか買っているとばっかり思ってた。」 「エヘッ、俺、居酒屋とかファーストフードでばっかでバイトやってるんで、意外と飯作るの苦じゃねえんだ。」 「そうすよ、先輩、アーティストが駄目でも居酒屋がありますぜ。」 「カン太、毒盛ろうか。」  佳世子はさすがに泊まりは出来ない、未だ終電に間に合うということでお開き解散になった。 「それじゃまた、マサ、お前、もっと部室に顔出せよ。」 「カヨさんおやすみなさい。マサ先輩、今日は世話になりました、ぜひまた部室に来てください。」 「お前ら、以前よりずっと上手くなったな、頑張れよ。」 ”アハハハ、アンガト” ”エヘヘヘヘ、それでは”  雅章と佳世子は途中まで帰りが同じなので、同じ電車に乗った。2人は顔を見合わせ、しかめっ面になった。この時間は酔っ払いばかりで、車内は酒の匂いが充満して気分が悪くなる。それでも、お互いが今、何を考えているのか、語り合っていた。 「俺さあ、まともに就職しない方が性に合ってる気がするんだ。」 「ふ~ん、その理由は?、やっぱりミュージシャンの道なの?」 「サラリーマンはこんな毎日を送っていて、つまんねーんじゃないかといつも思っているからね。」 「あははは、マサ君には、こういう毎日、似合わないかもね。」 # コトン、コトン コトン、コトン・・・  深夜の電車が走っていく。車窓から見える街並み。もう就寝のためか点いている灯りは疎らである。しばらくその様子を眺めていた。すると佳世子が、話しかけてきた。 「ねえマサ君、今後予定しているライブイベントなんかあるの。」 「そうだね、今のところ、バイトでやってるライブハウスしかないね。ただ、プロデューサの鶴さんが、来年の春、S県のT市でやるライブイベントのプロジェクトに入ってて、ひょっとして呼んでくれないかなっと思ってる。」 「すごいじゃん、それって有名な海外アーチストも来るビックイベントだよね。私、あのイベントのスタッフアルバイトやりたかったんだけど、別件の用事があって駄目になっちゃたんだ。もし参加することになったら、ついにプロデビューじゃない、絶対行くからね。」 「おいおい、まだ何にも話がないところで煽(あお)っても仕方ないだろう。とりあえず今の俺は、田上さんのことで頭がいっぱいだ。だから、デビューのことはまだだよ。それより俺達来年3年だろ、軽音部の幹部は学祭の打ち上げの時、先輩から指名されるけど、その辺り何か聞いてるか?」 「もう来年の幹部の話?、う~ん、私は会計だって聞いてるけど、マサ君は全然分からないよ。私は、実力や信頼度からみてマサ君は部長で良いと思うんだけど、今の状況だと、そこまでやるとなると大変になっちゃうよね。そういえば辻先輩が、学祭前にマサ君から気持ちを聞いてみたいって言ってた。今回の田上さんのことも伝えておくわ。」 ”間もなく、H駅に到着いたします。間もなく、H駅、H駅・・・・” 「あっ、降りる駅だ。じゃ、何か動きがあったら私にも教えてよね。」 「ああ分かったよ、それじゃあな、帰りの道、気をつけろよ。」  佳世子は電車から出ると、ホームから手を振って見送っていた。雅章も目を向けて手を上げていたが、実は、頭の中は完全に田上のことでいっぱいだった。 『田上さんのプレイは、とんでもなく凄かった。バンドでなくソロの演奏が1つしかなければ、和さんが録音したくなるのはよく分かるよな。今日の俺は、いつになくスムーズにコード変更が出来ていたし、即興のメロディーにも迷いがなかった。多分、俺がソロ弾きした時のフレーズの癖をどこかの時点で見切って、予想しながらばっちりバッキングを取っていたんだろうな。口では簡単に言えるけど、すげえスキルだよ。優秀なセカンドギターは、リードの心が読めているって聞いたことがある。ホント、とんでもない人だな・・・しかし今になって考えてみると、俺が受けた衝撃と和さんの感動がなんとなく違うような気がする。特にそれは最後の独創的な部分だ。和さんのように泣いて固まる状態ってになるには、何か意味があるのかもしれない。CDに焼いたソロ演奏を聴けってやたらに強調してた。どうやら、そこに田上さんの真髄があるんだろうな。そう考えると待ちどうしくてしかたがない、う~早く聴きて~。』  アパートに戻れば、さっそくネットで田上のことを調べるつもりであった。ところが今日のセッションの疲れが今さら来たのか、居間に入るなりそのまま倒れ込むように眠ってしまったのである。
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