夢を追わなくなった

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夢を追わなくなった

 そして翌日。授業が終わって、朝からずっと逸る気持ちのままに、急いで川村の店に向かった。 # ドタドタドタ・・・ 「はあはあ、和さん、こんちわ、た、田上さんのCD焼いてくれた。俺もう、昨日からそのことで頭がいっぱいなんだ。」  店に駆けこんで来る音とその声を聞いた川村が、店の奥からにこにこしながら出て来た。1枚のCDを右手につまんでぷらぷら振り回し、左手にポータブルプレイヤーを持っていた。 「お待たせ、すぐ聞きたいだろうと思ってね、お古だけどこれもあげるよ。」 「本当ですか?、ほんじゃ、遠慮なく頂きます。」 「ひどく落ち込んだ時は、これを聞くと良いんだよ。今はCDなんて優れたものができて、音に気を遣わなくてよくなったよね。カセットテープだとだんだん音が劣化していくし、かと言ってレコードは傷つけたくない大事なものだから、そんな特別な時にしか針落とさないんだ。次来てくれた時、どういう感じで心に響いたか、感想聞かせてくれるよね。」 「勿論ですよ、で今日はこの後、ライブハウスのリハの予定が入っているんでこれで失礼します。」 「そうかあ大変だね、なんだか学生なのか、ミュージシャンなのか分からないね。取り合えずCDを渡したからね、感想楽しみにしてるから。」  雅章は、DCとポータブルプレーヤーを受け取ると、早々と店を出た。直ぐにでも聴きたいが、言った様に何処かの茶店でゆっくりとなどの時間は無い。 # ピロピロピロ・・・  向かう電車に乗車すると、途中車内でならと思い、座席が空いていかないか、キョロキョロ見回していた。 『おっ、空いた、それも一番奥、ラッキー。ギターを立て掛けられる、ベストなポジションだよ~ん。』  素早くそこへ移動し、ギターを連結部の出入口ドアの手摺に立て掛け、気を落ち着けて座った。そして、プレーヤーの上蓋(うわぶた)を開いた。 # カチャカチャ カチャカチャ  物が手に付かないほど慌てている。なんとかCDをドライブにセットし、もつれたコードにイラつきながらもイヤホンを両耳にした。 『さあCDちゃん、お待たせしました、私目に感動を伝えてくださいね。』  プレイヤーの再生スイッチを入れる。 # ・・・・ 『????・・むっ、音が出ない、故障か?、お古って動くってことだよな、おかしい。』  プレーヤーをよ~く見ると・・・何故かが分かった。 『ガガーン、電源のデジタル表示が点灯してない、電池切れしてんじゃん。』  CDを聴けないことで落ち込んでしまった。  その頃川村も、そのプレイヤーのことを思い出していた。 『あ、いけね、電池ずっとそのままだった。』  そうして数時間後、ライブハウスでは、雅章がヘルプに加わっているライブバンドのリハーサルが終わり、メンバー全員がステージから外れて、控室に戻って、向かい合わせに置いてあるソファーにドカッと腰を下ろした。 ”あ~終わった、終わった。” ”皆、お疲れ~。”  ドラムスの吉岡が、ライブの曲順について提案してきた。 「あのさあ~今更なんだけど、4番目と5番目の曲順入れ換えた方が良くない?、なんか気持ち的にそっちの方がしっくり来るんだけど、みんなどう思う。」 「ん~今のままでも、構わないけど・・・まあ僕は、どっちでもいいすよ。入れ替えた場合、セッティングとか大丈夫すか。手間取るようなら、僕が得意のMC入れますけど。」 「OK、OK、キーボード鈴木としては、伊澤のMCで問題ないよん。俺も入れ替えた方がいいな。そうすればセッティング変えないで4番目までぶっ通し、その方が客もウケるんじゃないかな、マサ君どう思う?」 「俺は皆さんの決めたとおりで大丈夫ですよ。ところで、まさかギターの琢磨さんが急に田舎に帰るなんて思わなかったっすよね。」 「マサ君、それは言わない約束よ。母親に泣きつかれれば、まあ、しかたないかな。俺達もこれからプロとして食っていけるか難しいところだし、歳も30間近だし、やっぱ、安定した生活を考えるよな。俺も、真面目に就職のこと考えようかな。」 「なに轟、お前、大学の頃、成功したら俺はこのバンドで親父お袋を見返してやるんだ。バンドなんかやってる奴は人間のクズだ呼ばわりした高校の先公を前に、母校のOB挨拶やってやるって言ってたじゃん。あの勢いは、どこへ言ったんだよ。」 「でもさあ、このまま定職無しのバンド野郎だと結婚も出来ないぜ、ホント。」 「まあ、まあ、近頃の轟さんのボヤキはほっといて、本番の土曜に向かってテンション高めますよ。これからの若者を前に夢のない会話は控えましょう、ねえマサ君。」 「えっ、伊澤さん、なんか言いました。」 「ねえねえ今日のマサ君、プレイは相変わらず切れ味最高だけど、ちょっと気持ちも切れてるって感じなんだけど、なんかあったの。」 「アハハハハ、ここで一番おやじ臭えお前が、オヤジギャグかますかあ。」 「へん、どうせ俺は頭頂部がヤバいですよ~だ。」 「まあまあ、轟さんも吉岡さんもよしましょうよ、実は、これなんです。」  雅章は、例のCDをギターケースのサイドバックから出すと、右手の指先で摘んで、皆の前に見せた。 「昨日、行きつけの楽器屋でですね・・・」  田上と偶然に出会い、それから衝撃的なセッションとなった経緯(いきさつ)をひと通り話していった。  すると轟が、思わず声を漏らした。 「うわっ、そのDC聴きてえ!」  鈴木も興奮気味で、加わって来た。 「ねえねえ、マサ君、後でそれ貸してくれる。その田上ってギタリスト、俺が生まれる前の人か、それにアメリカの音楽業界で活躍したんだろ、全然知らね~な、みんな知ってる?」 ”う~ん” ”ぜんぜん” ”俺も・・・”  やはり他のメンバーも、知らない様子であった。 「そうか、それで今日はそのDCのことで頭が満杯だったんだ。マサ君にそこまで言わせるテクニックと表現力かあ、直で見るとホント凄かったんだろうな。最近は、好きなアーティストのコンサート以外、他人のプレイで感動することが殆んどなくなってきたもんね。そういう経験って大事だよな。」  夢を追う力とは、他人から受けた刺激によるところもあるだろう。吉岡は、現実に埋もれてしまい、自分の夢を追わなくなってきていることを嘆(なげ)いているようだった。
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