我慢できず

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我慢できず

 そして伊澤も、田上への関心を呟いた。 「今の話聞いて、僕もそのタガミ・・ナオマサ?って人に興味沸いてきた。帰ってネットで調べてみよう。轟さん、CD借りたら、メモリースティックに落としておいてくれますか。ところでその人、頂点に達している状態でこれからバリバリってところでしょう、突然辞めちゃうってもったいない、余程の事情があったんでしょうね。僕だったら、十分に稼いでからか・・・それじゃ、やっぱ、アーティストのポリシーってないですかね?」  このようにそれぞれが、今の自分と照らし合わせて、その思いを語っていると、もう12時近くになっていた。 「あの~すんません。もう遅くなってきたし、明日も授業があるんで、ここらで引き取っていいすか。」 「ごめん、ごめん、マサ君は未だ学生だもんな。俺も明日のバイトがあった、朝早いんだ、帰らなきゃ。ほかの皆はどうする。」 「おい、轟、お前の性根叩き直してやるから、ちょっと飲みに付き合え。」 「え~、お前また、昔の女の話で、クダ巻くだけだろ。俺は、音楽のため、朋子を諦めたんだ~って、何回聞きゃいいんですかね。今度のライブ、その田上さんのプレイに近づけるよう、帰って練習しようかな。」 「お前が陰練?、うそつけ、お前明日は俺と同じフリーだろが、いいから付き合え。」 「あ~あ、この2人はほっといて、とにかく解散にしましょうか。皆さん、本番土曜日、よろしくお願いいたしま~す。」 ”おつかれ~。” ”頑張ろう!” ”おい、轟、行くぞ。” ”ふぎゃあああ。”  こうしてメンバーはそれぞれ自分の趣くべき方向に、三々五々、散っていった。  若い時は、ほとんどが漠然とした感覚で日々を過ごしている。やがて人とのしがらみや社会的責任を課せられ、それを果たすための生活を送ることになる。歳を積み重ねていく毎に、それが生涯の中心となって、解放された時はもう年老いている。ずっと後になって気付くのであるが、この曖昧な若い時を過ごしたことは、忘れられない思い出となり、あの頃は幸せだったと懐かしむのである。ba34e95d-d589-4e15-964c-756dff8162e3 # ピロピロピロ ピロピロピロ・・・   なんとか間に合った終電車から降りた。そして帰りの途中、コンビニに寄って電池を買った。 『何と言っても、論議の源(みなもと)のソロだよな。』  雅章は、聞きながらアパートに向かうことにした。結局のところ我慢できなくなったということである。 # ガチャガチャ ガチャガチャ  プレーヤーの電池のパネルを開いて、電池を入れようとするが、焦って上手く装着できない。 「あれ、アハハハ、なんで入らないんだ?」  不思議なくらい不器用な自分に思わず苦笑して、なんとかフタをしまう。 # パチッ 『さあやっと、ありつけますねえ。』  両耳にイヤホンを装着して、もう一度電源が入っていることを確認し、再生ボタンを押した。 # カチッ   会場の大歓声が耳元に飛び込んできた。 # ワーワー カモン ピュー ワーワー・・・  指笛もこだまする。その中で、軽快にドラムスのタム回しが開始した。 ♪ ドンドドド、ドコドコドコ・・・ # オオオオオオ~  凄まじく連打される大小の太鼓音に、唸るようなどよめきが巻き起こっている。 ♪ タンタンスタン、タンタンタタン・・・ # ワアアアアアア~   やがてタム回しから、リムショットをアクセントに鳴らすスネアドラムへの連続ストロークが炸裂する。  そしてその勢いのまま1曲目が始まる。このバンドのスタンダードナンバーからだった。 ♪ シャン、シャカシャカ、ッシャカ、シャカ・・・   軽快なギターカッティングから始まるリズミカルで爽やかな曲調だ。もちろんカッティングをやっているのは田上。細かく刻みながら微妙な前乗りの調子で、曲の流れにドライブ感を与えている。観客達は否応無くその絶妙なリズムに乗って興奮が増幅されていく。普通、ノリが十分になった時点で、弾き方のバリエーションは落ち着かせてしまうところである。しかしこれは違う。まるで湧き水のごとく、滾々(こんこん)とアイデアが溢れ出しているように、アグレッシブにカッティングパターンが変化し続けている。いったい何処まで煽(あお)ってやる気なんだと思わせる。  やがて、ボーカルがそのカッティングに乗って、歌を乗せて来た。 ♪ 風の中に 僕らはたたずむ   大地が生まれ 幾重もの時が流れた   過去の生き様など 瞬きのほどもない   それは一瞬の狭間だろう    それでも友よ 君に出会い 共に笑い   語り合う時が流れ そして別れが来た   人々の様々な営みが その狭間に刻まれる   風の中に 僕らはたたずむ  そんな生きることの無常観を歌っているのであるが、全くヒアリングの技量に乏しい雅章には、歌詞の内容を理解することなどあり得ないのだ。よくある事だが、たまたま16ビートということでダンスナンバーにしているが、実は切実な悲愴(ひそう)を歌っている曲だったなんてことである。それを知らないで踊りまくっているなんて、恥ずかしい限りである。  そのうちに間奏のソロが始まった。  32小節しかないため、その力量を聴き味わうところまではいかない。それでも持ち前の超絶テクニックがあしらわれている。 ♪ ♪~♪、♪♪~♪、♪~♪・・・  半拍前から突っ込んで、ディミニィッシュから入って来る。それからのサビのメロディーはメジャーセブンスを基調にアレンジしている。哀愁的な曲にマッチさせた絶妙な音使いの演奏だ。最後は猛烈な速さなのに流れるように聞こえてくる3連符の早弾きがさりげなく入ってフィニッシュした。 『ん~すげえ、さすが田上さん。』  ギタリストは、概ね2つのタイプに分かれる。全面的に力強く弾き込んで、自分のテクニックをアピールするタイプ。もうひとつは、バッキングを主体にバンドの色の1つとして役割をこなすタイプだ。田上の実力から見れば、十分ソロで前に出ることが出来るはずだが、この間奏は後者に徹している。それは自分のバンドを持たない由縁なのかもしれない。それ故に、何故これほどの実力を持っていながら専属のバンドを持たなかったのかもやはり疑問であった。 『まあそれは後でゆっくり調べていけばいいか。とにかく今は、このアルバムに何が詰まっているかを見極めることだ。』
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