優しいお休みなさい

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「今夜は月がとてもきれいね。」  私は西側の大きな窓から空を見上げた。 「こんなきれいな月、あの人にも教えてあげないと。」  仕事で少し遠く離れた場所に住む恋人の顔を思い浮かべながら電話をした。 「…も、もしもし」  まるで寝起きのような寝ぼけた声の恋人に、 「やだ、もう寝ているの?」  あきれたように聞く私に恋人は、 「あ、ああ、ここのところ忙しくて…」  恋人は慌てて答えた。 「少し待っているから空を見て。」  私は急かすようにはしゃいだ声で言った。  恋人は、 「わかった。見てくるよ。」  私は恋人が戻ってくるのを待った。 「見てきたよ。」 「どう、月がきれいでしょ?素敵でしょ?」 「そうだね、綺麗だね。」  私たちは少し話をしていたが、私は瞼が重くなってきた。  ゆっくりと話す私に恋人は、 「もう遅いから早く寝た方がいいよ。」 「わかったわ。日記を書いてから寝るわ。あなたも体に気を付けてね。」 「お休み。」 「お休みなさい。」 また寝るか、このまま起きてしまおうか迷う・・・。  あの朝からどれくらい過ぎただろう。  名も知らぬ自分よりもずっと年上の女性が早朝に電話が来ることがあった。  彼女の住んでいる国は夜でも自分の住んでいる国は開け始めの朝だ。  なぜ彼女の電話が自分の電話にかかるようになったのは不明。 また、なぜ付き合うようになったのか定かではないが、心地いい声と優しい口調がとても好きだった。 (本当に恋人の事が好きなんだろうな・・・。) 声からだけの想像だが、彼女はほんわかした雰囲気で、周りの人を暖かな空気にしているのだろう。 そんな彼女に一番愛されている恋人は既にこの世にはいない。 だが、彼女には存在しているのだろう。 僕を通して・・・ 彼女と話しだしてから、いつしか自分の口調も穏やかになったと言われている。  月の話の電話から、ぱったりと来なかった。 こちらからかける事は出来ないし・・・。 プルルルル~  彼女の電話が本当の夜に来た。 「・・・もしもし」  電話から聞こえてくるその口調は似ているが声の張りが違う。 「どなたでしょうか?」 「この電話番号に祖母がよくかけていたようなので、色々と調べました。私は孫になります。」 (ああ、どうりで…) 「そうでしたか。初めまして。」 「こちらこそ、初めまして。祖母は認知症も患ってました。こちらが夜でもそちらはまだ明け方ですよね。そんな時間に電話を何度もかけ申し訳ありませんでした。その祖母は数日前に亡くなりました。」 「…そうでしたか。」 「もうそんな時間にこちらから電話する事はありませんのでご安心下さい。またそんな祖母にお付き合い下さいましてありがとうございました。あなたと電話をした日の日記はとても楽しそうでした。最後の日記には『あの人に素敵な月のプレゼントが出来て良かったわ。』と記されてました。」 (あ、あの日の事だ。) 「わざわざご連絡をありがとうございました。」  早朝の電話から解放されてほっとしたと同時にあの優しいお休みなさいが聞けないと思ったら寂しくなった。  
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