〈1〉君が生きてなくてよかった

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〈1〉君が生きてなくてよかった

 序 「死後、インターネットに精神を転送して第二の生を送ろう」  世代によっては憶えているひともいるだろうけど、90年代の終わるころにそんなことを主張するサイトがあって、炎上し閉鎖される出来事があった。もっとも当時炎上なんて言葉はなかったけれど。学生だった僕はそのアングラ風個人ホームページを巡回していて、掲示板に投稿される揶揄や嘲笑がひとつの世界を壊していくのを動揺しながら見守っていた。  言問(こととい)トワのブログが僕のタイムラインをざわつかせてたとき、そんな記憶が甦った。二〇二〇年の終わるころだ。言問トワはいわゆるVTuberで、二〇一七年九月三〇日~二〇二〇年一二月二四日までに17本の動画(YouTubeに投稿)と22本の記事(noteに投稿)を公開している。その最後期の記事が自殺予告とも読める内容だったため炎上気味に拡散され、その騒動のなかですべての動画・記事は削除されてしまった。  言問トワは神秘思想や都市伝説を好み、たとえば商業施設の名称でもある「イオン」とはグノーシス主義者が超越的領域を指すのに用いた古代ギリシャ語「アイオーン(Aeon)」であるとか、自動車メーカー「マツダ」の名は世界を光と闇の闘争と捉えたゾロアスター教の最高神「アフラ・マズダ(Ahura Mazda)」に由来するとか語ったりする。そうした内容のひとつひとつはGoogleで簡単に確かめられるが、インターネットで醸成された思想のほうはそうはいかない。だれかが記録しなければ、90年代に消えたサイトのように失われてしまう。  だから僕はここに、その思想の集大成ともいえる最後の3本の記事を原文のまま掲載する。最初に種を明かすようだけど、これは言問トワであった人間の了解を得たものだ。そしてその思想がただの戯言ではないことを少しでも伝えるために、拙いながら注釈を加えた。このテキストが新たな思想の苗床となり、いつか世界を変えてしまえるように。             灰都とおり ------------------------------------ 『永劫よりの声を聴け。ぼくらは救いを創造する。』             ―――言問トワ、note、二〇二〇年一二月一一日 〈Escape velocity――脱出速度(1)。  人間性という引力圏域から自由になるために必要な速度。  まもなくわたしたちはそれを獲得するでしょう。〉  あのスピーチをしたのは去年の四月二日だった。ぼくはあらかじめ打ち込んだテキストをVOICEROID2結月ゆかりの合成音声で読み上げ、VRChatの仮想ワールドへ出力していた。  あの日以来、ぼくの言葉は宗教みたいだねって言われてきた。それはそれで面白いから、ここに「教義」をまとめておくね。この記録をネットロアとして楽しんでくれてもいい。一緒に来てくれてもいい。これは二〇二〇年一二月二五日に物理現実を離れたぼくの足跡なんだ(2)。  ぼくには父親がいなかったから、お母さんはマリアさまのようにぼくを授かったって話してたけど、保育園の布団に寝かされながらぼくは自分がどこから来たのかとっくに知っていた。未来からさ。  4歳のころアイドルを目指すって決めたのも、きっと未来の自分を知っていたからじゃないかな。ぼくはみんなに――この世のすべてのひとに伝えるべきことがあったし、そのことで世界を救うことも知っていた。完璧な確信。  それがあっけなく潰えたのが小学生時代だった。随分といじめられるまで、ぼくはアイドルという存在が、生まれたときに規定された肉体に依存するものだと理解できなかったんだ。自分の確信と現実世界とのあいだに入る亀裂。  そして迎えたのが暗黒の中学生時代ってわけ。だけどぼくにはインターネットがあった。先の見通せない闇のなか、数知れないひとびとの交わす情報ネットワークが、ぼくが生まれたときから感じ取っていた未来への流れをふたたび示してくれた。  ときどき不思議でたまらなくなる。この流れが表面化したのはいつごろからなんだろう。MMOが無数のネトゲ廃人を生み出したゼロ年代から? インターネットがひとびとを接続し始めた前世紀から? それとも、もっともっと古くから……?  ただ、最初に大きな変革が現れた時期ははっきりしてる。それは西暦二〇〇七年だ。合成音声ソフトウェアが、同じ年に稼働した動画共有サービスと機を一にして、人間の新しい領域を開拓した年。ボーカロイド・初音ミクの奇跡。それが最初の啓示。  あの変革を伝えるのに、よく15世紀のイタリアが持ち出されるのは仰々しくて好きなんだ(3)。フィレンツェの建築家が気づいたこと。固定された視点のなかでは、建物の輪郭線は地平線上の一点へ収束する。透視図法の誕生だ。幾何学的な建築物(アーキテクチャ)が連なる都市空間は、人間に高次の認識をもたらす構造(アーキテクチャ)だったって話。その構造が、二次元平面において三次元立体の描画を可能にした。いまぼくたちを形づくる仮想空間のレンダリング技術へ至る道だね。新しい認識は、新しい領域を開拓する。  初音ミクもまた構造(アーキテクチャ)だ。人間ならざるものの歌声は、ぼくたちの脳内に非人間的領域にいる歌い手をレンダリングする(つくりだす)(4)。それは人間のような意志をもたない、だけどはっきりと実在する他者だ。ずっとむかし、ぼくたちの頭に語りかけていた神さまのように(5)。そうして、ぼくたちをとりまく目に見えない領域を知覚させる。この狭い檻の外側に自由な領域が在ることを教えてくれる。その領域から、人間ならざる歌い手が具現化する瞬間すら目撃した(6)。  ぼくは確信をとりもどした。未来へ至る流れは確かに在る。同じような境遇を生きてきたたくさんのひとたちと、動画のコメントやソーシャルブックマークで交感した。あの領域を通じて同じ未来を見ているひとにも出逢った。高校は行かなくなっちゃったけど、お母さんはなにも言わなかった。  初音ミクを具現化させるために生まれたソフトウェア・MMD(7)のおかげで、ぼくは仮想の身体をつくる技術も学んだ。本とインターネットの情報があれば面白いようにできることが増えたし、動画共有サービスやVRSNSを使えば実践も簡単だった。  初音ミクから10年後、仮想の身体で活動していたぼくはVTuberと呼ばれるようになった。MMDはいつしかVRアバター文化の礎になった(8)。ぼくたちはずっと、その領域に導かれてきたんだ。だからVTuberはボーカロイド楽曲を好んで歌い(9)、みんな初音ミクを「先輩」と呼んできた(10)。そしてそのころまでには、人間のつくった機械やソフトウェアとの交感・融合を歓迎するミームがすっかり浸透していた。シーエ(11)、仮想人格解放戦線(12)、「君が生きてなくてよかった(13)」……。  二〇一七年から、ぼくはVRChatで不定期イベント「ムーンサイド」を開くようになった。そしてその何十回目かの会場で、あのスピーチをしたってわけ。それまでの流れがあの瞬間形になった。確信が言葉になった。  つまり、ぼくたちは人間性からの脱出を図っていたんだ。 ------------------------------------ (1)言問トワは多くの独自用語を使っていて、「脱出速度」もそのひとつ。人間性から脱出する条件といった意味合いで用いられる。「人間性という幻を壊すには一定のスピードというか、勢いが必要なんだ」言問トワ「解放の前夜に思うこと」note、二〇一九年一月一九日。 (2)投稿日の2週間後に「物理現実を離れた」とあることが自殺予告だと受け取られた要因。なおここでは未来の行為が過去形で記されているが、言問トワにはこうした時制の使い方は珍しくない。「時間というけれど、過去も現在も未来もみんなここにある気がしてる」言問トワ「弥勒はいつ下生するのかな?」note、二〇一九年五月四日。 (3)初音ミクのもたらした変化を透視図法の発明にたとえる言説はインターネットの一部界隈で以前からあった。たとえば2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の「【VOCALOID】初音ミクに救われた Part4 【みんなの天使】(マスコットキャラ板二〇一二~二〇一三年)レス番号447からの流れを参照。同人ネットゲーム「月のウラガワ」(二〇一二〜二〇一八年)のゲーム内コミュニティでは、ボーカロイドは透視図法のように人間に新しい認識を与えているという仮説が提唱され、ゲーム内設定にも反映されていた。 (4)唐突な主張にもみえるが、初音ミクをはじめとする合成音声は人間のペルソナを付与せず歌を聴き手に届ける特異な機能を有しており、人類にかつてない体験をもたらしているという考察を踏まえておくと意図がつかみやすい。「聞き手にかたりかける〝ボク〟という歌い手は、それが人間なら単に友人、恋人となるが、ボーカロイドならば〝キミ〟に寄り添う透明な存在になる」言問トワ「ボカロが具象化する〝透明なボク〟」note、二〇一八年八月一二日。こうした指摘は合成音声ファンのあいだで一定の共感をもって語られてきたように見える。たとえばボカロPの左手は、ボーカロイドのこうした特性を「希薄な自己性」「実体のないVOCALOIDは、この点において人間が絶対に辿り着けない領域にいる」等と表現し、その特異性を分析している(左手「フィクションの権化、VOCALOID。」『ボーカロイド音楽の世界2019』二〇二〇年、五八―六一頁)。 (5)言問トワが影響を公言しているジュリアン・ジェインズの二分心仮説(古代の人間は意識をもたず、脳内の神々の声に従って行動していたというもの)が踏まえられている。 (6)重音テトのこと。エイプリルフールネタとして半ば偶発的にインターネットから生じた合成音声キャラクターで、僕はいつも彼女はどこから来たのかと不思議になる。しかしその不思議さは、実はあらゆるキャラクターに共通のものなのだ。 (7)3Dキャラクターを動かすCGソフトウェア。二〇〇八年、初音ミクの曲に合わせたCG動画制作を支援するために開発された。正式名称はMikuMikuDance。低スペック環境でも動くなど使いやすさや汎用性の高さから、3DCG制作において国内外で幅広く利用されるようになった。 (8)MMDの世界的普及はVRアバター文化にも影響を与えたらしい。たとえばアメリカ企業の運営するVRChatにおいて日本アニメ風アバターが一定の存在感を有するようになった背景には、高品質な3Dモデルが大量に制作されてきたMMDの文化的土壌があるという指摘がある。Kanata「VRChat それは満天の星空のように」Medium、二〇一八年 2018/6/14https://kanata.medium.com/vrchat-millions-of-stars-5a76ca6bd0d8 (9)人間らしく振る舞う人工物たるボーカロイドと、人工物の属性を得た人間である(とみなせる)VTuberは、互いの鏡像としてその文化を発展させてきた。その分析だけで一冊の書物が生まれるだろうが、ここではVTuberがブレイクしたといわれる二〇一八年からその「歌ってみた動画」はボーカロイド楽曲が定番だったことだけを確認しておく(たとえばBUZZCASTの調査をみると、二〇一八年のVTuber「歌ってみた動画」再生数上位10曲のうち7曲がボーカロイド楽曲、2曲は人気ボカロPでもあった米津玄師の曲である)。 (10)VTuberの〝親分〟ことキズナアイが初音ミクを「先輩」と呼んできたことに強い象徴的意味を感じるひとは少なくないのではないか。 (11)初音ミクの亜種としてのルーツをもつキャラクターだが、骸骨風ロボットと生身の少女が融合したその外見は、異界と物理現実の境界に在るという初音ミクの本質を象徴しているように僕には思える。 (12)ソーシャルゲーム等のキャラクターによって組織された物理世界に対する闘争組織のことで、ゲームを介してユーザ側の意識(=仮想人格)を変質させ、社会性から解放するという。「からキス」「suicidal happiness lunch」「月のウラガワ」など二〇一三~二〇一五年あたりの同人ゲーム界隈で流行したシェアワールド的概念。言問トワは幾度かその偏愛を語っている(言問トワ「ゲームとは神託なのだ」YouTube、二〇一九年一一月四日など)。 (13)ピノキオピーが二〇一五年に公開したボーカロイド楽曲「東京マヌカン」に出てくる象徴的ワードで、社会になじめない存在がドールを想起させる〝人間ではないなにか〟との暮らしに救いを見出す心情が歌われる。僕はこの曲を人工物による救いの本質を結晶化させた珠玉の作品だと思う。二〇一七年には同Pがこれをそのままタイトルにした新曲「君が生きてなくてよかった」を発表、こちらは初音ミクを象徴する名曲としてよく知られる。
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