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「あの広場に行かれたんですか? ジェラードも?」
「新婚旅行でね。バニラ味が格別だったよ」
十年以上前、憧れの映画の舞台で、奥様と一緒にアイスクリームを食べたそうだ。ミルクにバニラを香りづけしたシンプルな味は、きっと甘かったに違いない。
いつも冷静で穏やかな神谷さんに、ロマンチックな一面を垣間見る。
「それより、花田さん。お盆休みで良かったのに」
結局、私はお盆明けに5連休を、残り2日分は7月中に取らせていただくことになった。
「保護者様からご希望があって」
「そっか、仕方ないね」
保護者会を終え、生徒のクラスの三者面談希望を募ったところ、『仕事のためお盆期間を希望します』と、何組かリクエストされた。休日だからこそ、我が子の為に時間を割くのだろう。
「私も祭りです」
「そっか。僕と一緒だね」
私もこの夏は、クラス100名の面談祭りだ。
アイスクリームが恋しい季節を迎え、ついにX塾は夏期講習を迎えた。
「おう、花田ちゃん。暑くてたまんねぇよなぁ」
エントランスの開閉音と共に、嗄れた声が流れ込んできた。
不満を扇ぐようにうちわを振っている強面は、現代文講師・坂下哲先生だ。今日はかき氷柄のアロハシャツに麦わら帽子、ビニールサンダルが眩しい。この格好で渋谷駅から来たのか。
「まるで海の家ですね、坂下先生」
「かき氷食うか?」
おどける坂下先生は、呵呵と笑いながら講師室へと向かう。
「いいよなぁ、組織側の人間は。こちとら授業コマ入れられまくって無休だよ」
「先生ご自身でご勤務希望されましたよね?」
「そうだっけ。もうボケたかな?」
自由奔放な予備校講師は、いたずらな表情でとぼける。
「あ、来た! 生徒を待たせ過ぎ!」
スタンバイしていたのか、講師室前の廊下から飛ぶように女子生徒が現れた。ソフトクリームのように白い肌を露わにしたノースリーブワンピースが眩しい。
私のクラスの生徒、中島ももさんだ。ひざ小僧まで完璧な美少女は、今日もアイドル然としている。
「質問ってまだ授業前だろーが」
「予習万全ですもん」
そして、アイドルは坂下先生信者だ。
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