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 翌日の昼、社員食堂で愛すべき後輩の姿を窓際に見つけた穂積は、ラーメンのどんぶりを持ち、半ば嫌がらせでそのテーブルに足を向けた。桂山暁斗は昼食を一人でゆっくり、仕事を忘れて楽しみたい人間である。それを知っていて声をかけようとするのだから、嫌がらせだった。 「お疲れさまです」  桂山は穂積が前に来たことに気づき、慇懃(いんぎん)に挨拶して来た。彼は不快感は出してこなかったが、相変わらず疲れているようだ。 「一緒にやってくれる学校、女子大とかどう思う?」  桂山は課長になってから外回りを減らしているが、この会社のトップセールスの座をキープしている。企画担当としては、営業に新しいプランを正確に理解しておいてもらいたいので、彼にはまめに動きを報告するようにしていた。 「いいんじゃないですか?」  桂山はあっさり返した。昨夜たかふみからやや不器用な愛撫(ではあったが、彼は手と口を使い穂積を十分満足させた)を受けながら、彼の妹が来春女子大を受験すると聞いた。さすがたかふみの妹だけあり、都内で偏差値トップを争う女子大の中の一つを狙うらしかった。それを聞いて、思いついたのだった。 「うちはダサくてむさ苦しいから……女子大とやると華やかでいいと思います」 「だよな、俺もそう思うわ」  ややテンションの上がった穂積を、桂山は少し不思議そうに見つめた。  彼は食事を終えていて、アイスコーヒーのグラスを持ち、ストローに口をつけた。何故か、アイスティを飲んでいたたかふみを思い出し、つい訊いた。 「美味い?」 「……社食のコーヒーがアイスもホットも割といけるって教えてくれたの、山中さんですよ」 「そうだっけ?」  桂山は苦笑を顔に浮かべる。いい加減な奴だと思っているのが伝わってくる。彼のこういう態度は昔からで、穂積は彼を不愉快にさせるのを常に何処かで楽しんでいるので、今日もしてやったりと思うと、微妙に快感だ。  ラーメンを飲み下した時、穂積のスマートフォンが小さく震えた。たかふみからのアフターのメールである。ディレット・マルティールのスタッフは、会った翌日に必ず一言寄越(よこ)してくれる。スタッフの個性が感じられるので、これも楽しみのうちのひとつだ。 「山中さま 昨日はお忙しい中、 ご指名くださりありがとうございました。 至らないことが多く、 不快に思われたようでしたら、 心よりお詫びいたします。 にもかかわらず、最後まで 暖かくおつきあいいただき、 とても嬉しく、励みになりました。 またのご縁がありましたら、 こんなに嬉しいことはございません。 今後ともよろしくお願いしますと 申し上げることを、お許しください。 たかふみ」  おっと、これはあちらから誘っているのか。意外と攻めて来る子だ。穂積は顔の筋肉が緩みそうになるのを(こら)えた。 「俺昼一(ひるいち)に神田へ行くんですよ、お先に失礼します」  桂山が腕時計を見て席を立った。うん、ご苦労様、と穂積は応じた。 「良い知らせですか? 楽しそうですね」 「まあな、仕事じゃないけどな」  桂山に気取(けど)られたのに内心焦りつつ、穂積は緩くごまかした。桂山はグラス片手に、背筋の伸びたきれいな後ろ姿を見せながら、返却カウンターに向かっていく。彼が離婚して以来――いや、入社して以来、ずっと抱いている思いが、脳裏にちらついた。独特の人当たりの良さ、異性への関心の希薄さ、セックスレスが理由での離婚。あいつ、ほんとはゲイなんじゃないのか?  穂積は企画1課の部屋に戻って、いくつかの書類にハンコを押してから、パソコンのロックを外した。たかふみの妹が受験する大学を筆頭に、ブランド力の高い女子大を探すつもりだった。女性、または誰もが使いやすいものを提供する――そんなコンセプトを大切にして、製作が無理ならマーケティングに学生をかかわらせればいい。桂山と、彼に忠実で優秀な部下たちを使えば、学生の勉強にもなる。  窓の外を見やって、高く青い空にうろこ雲が浮かんでいることに気づいた。女子大とのコラボは、上手く行きそうな気がする。穂積のこういう勘は、どちらかと言うと当たるのだ。上のくだらない言い分など、岸部長に手伝ってもらいねじ伏せてやる。だいたいこの会社は、歴史はあるかも知れないが、桂山の言う通りダサいし、上の発想が何かと前時代的だ。女子大なんて、と言うじいさんはきっといるが、こちらが必死でアピールして初めて、優秀なレディたちがエントリーシートを出してくれるかも知れない、そんな知名度でしかないのだ。  大学のホームページを流し見しながら、今度はいつたかふみに会おうかと考えた。現状打開のヒントをくれたあのおぼこい青年に、感謝の気持ちを伝えたい(きっと彼は戸惑い恐縮するだろうが)。それに、光源氏ごっこという、ひどく楽しげな戯れを、本格化しなくてはいけないから。……たかふみが垢抜けて売れっ子になって、俺が指名できなくなるのも困りものだがな。  穂積は夏の疲れの気怠さが一気に抜けるような気がした。季節が、動く。
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