9月上旬 1

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9月上旬 1

 その日も話が(まと)まらなかった。山中穂積(やまなかほづみ)は、そのこと自体にも、不機嫌になってしまう自分にもうんざりしていた。  穂積の会社の上層部は、思いつきのように、最近流行(はや)りの「産学連携」をやろうと言い始めた。大学と会社、あるいは役所が連携して何かをぶち上げ、世の中の人々のお役に立とうとかいうやつである。互いの売名が第一の目的で、大学側は受験生が増え、会社側は利益が出ればそれに越したことはない。だが大学と民間企業の双方にメリットがあり、しかも世間に持て(はや)される企画など、そうそう見つかる訳がない。  ここ数ヶ月、企画1課は総力を上げて、工学部などのある大学に、一緒に事務機器を作らないかとアプローチしているが、成果は上がっていない。穂積は課長として、そろそろ打開策を出さなくてはいけなかった。  穂積は会社に戻る気になれず、大崎で山手線を降りた。まあサボタージュであるが、営業の連中はこういう行為が日常なのだから、少しくらい許して貰おうと、勝手に決める。  駅直結のレストランゾーンに入り、カフェを目指して下りエスカレーターに乗ると、その先に知った姿があった。その女は、身なりの良い男性をカフェの入口で見送っていた。男は昇ってくるエスカレーターに乗ってきたので、穂積とすれ違った。柔和な顔だちにスリムな体躯。自分と同類の匂いがした。  カフェの入口に立つスーツ姿の女は、エスカレーターから降りた穂積の姿を認めて驚きの表情になった。穂積は真っ直ぐ彼女に足を向ける。 「山中さま、ご無沙汰いたしております」  女は柔らかく微笑み、耳に心地よい声で言った。山中もこんにちは、と丁寧に応じる。 「この辺りに御用ですか?」 「いえ、大崎に来れば神崎さんの顔が見られるかなと思いまして」  穂積の軽口に、神崎綾乃(かんざきあやの)はふふっと笑った。穂積は彼女が好きだ。極上とは言わないが、美しい。4〜5歳下だろうか、丁寧で感じが良く、話していると常に心地よい。彼女は敏腕経営者だ。その容姿からは想像もつかないが、風俗店を営んでいて、穂積はその店の客である。 「コーヒーを飲みにきたんです、お付き合いくださいますか?」  穂積は綾乃を誘い、カフェに入る。もしかすると飲んだばかりかも知れないが、知らないふりをするのが肝要だ。さっき彼女が見送っていた男性も、彼女の店の客だろうから……完全会員制のゲイ専門高級デリバリーヘルス、ディレット・マルティールの。 「山中さま、相変わらず指名の固定をなさるおつもりはございませんか?」  穂積の近況報告が一段落すると、綾乃は微笑みながら言った。 「これまで来てくれた子が気に入らない訳じゃないですよ、いろんな可愛い子と知り合いたいものですから」  穂積は中学生の頃には、自分が同性愛者だという自覚があった。いつもどきどきする相手は、男子だった。自分はおかしいのだと、ずっと独りで悩んだ。皮肉にも穂積は女にもてたので、高校時代はカモフラージュのために女子と交際し、大学1年の時にアルバイト先で一緒だった年上の女性に童貞を捧げた――苦痛でしかなかった。  その直後、思いきって訪れた店で知り合った男性に誘われた。迷いながら彼について行くと、今思えばおもちゃにされたのだったが、後ろの貞潔を奪われ、いかされまくってしまった。もう二度と女とはしないと穂積は誓った。  高校生くらいまでひょろっとしていた穂積は、しっかりした体つきの男が好きである。しかしディレット・マルティールでは、ほっそりした、20代の若い子ばかり指名している。清潔感のある、礼儀正しく美しい青年たちは、いつも穂積の容姿や仕事を褒めそやし、たまに可愛らしいおねだりやいたずらを仕掛けてきつつ、穂積が彼らの主人であるかのように(うやうや)しく扱ってくれる。まあ、ハマっていると言って良かった。 「先月に新人がデビューいたしました、まだまだ至らない部分も多いのですが……」  綾乃はコーヒーに少しだけ砂糖を入れ、口をつけた。 「山中さまはお優しいとスタッフたちも申しておりますから、育てるおつもりで可愛がっていただくというのは如何ですか?」  また気を引き立てることを言ってくる。穂積は小さく笑った。 「ブロンズクラスの料金で指名できるなら考えましょう」  穂積は一見さんお断りのこのクラブを、半年ほど前に取引先の社長から紹介してもらった。スタッフたちは指名料金で3つのクラスに分けられている。ゴールドクラスやシルバークラスの売れっ子たちには、普通のサラリーマンである穂積の手は届かないので、ブロンズクラスの子を順番に指名している。利用を月に一度だけにして、会社の連中との飲みを減らせば、ゴールドクラスの子を選べなくはないのだが。  綾乃は穂積がコーヒーカップを置くのを待ち、鞄から小さな厚みのある冊子を取り出した。アルバムである。そして2名の新人の写真を穂積に見せた。 「右のスタッフは30歳、左のスタッフは現役の大学生です……新人はデビューから3ヶ月まではブロンズクラスより1万円お安くで指名できますよ」 「試用期間ですか」  はい、と綾乃はにっこり笑う。穂積は2人を見比べて、自分の気持ちに違和感を覚える。30歳のスタッフのほうが容姿は好みなのに、20歳のスタッフに目が行くのだ。何だろう、懐かしいような感じがする。  穂積は少し考えて、20歳の、ぎこちない笑顔の子を指名することにした。綾乃はあら、と目を見開く。 「山中さまのお好みと少し違うように思いましたけれど……」 「いや、何かな、この子ちょっと……思い出せないんだけど……昔好きだった子に似てるとか、そういう感じがするな」  穂積が珍しく曖昧な話し方をしたせいか、綾乃は2、3度瞬きをして、口許を緩めた。 「そういうインスピレーションも大切ですね、もしかしたら長いつきあいになるかも知れませんよ」  新人の名はたかふみというらしかった。ネット予約のプロフィール画面には掲載していないと前置きをして、綾乃はたかふみが東京のトップの私大の商学部に在籍していることを教えてくれた。 「どうしてそんな子が風俗で働かなきゃいけないのかなぁ?」  穂積は心底驚き、思わず言った。塾でも家庭教師でも、高時給で引っ張りだこだろうに。綾乃は少し眉の裾を下げた。 「北陸の実家にお母様しかいないのです、妹さんが来春大学受験で……奨学金を受けて塾でアルバイトをしても足りなくなると」  苦学生というシチュエーションにも、父性か母性かわからないが、その辺りの本能がくすぐられた。穂積はスマートフォンを出して、スケジュールをチェックする。 「えーっと……じゃあ早速……この子明後日の夜8時から空いてるかな」  綾乃もスマートフォンをスワイプし、慣れた手つきで何やら確認していた。 「はい、大丈夫です……今仮押さえにしておきます、本申し込みのURLをお送りいたしますね……ホテルは上野でよろしいですか?」  楽しみが出来た。初顔合わせは、何度経験しても少しときめく。彼らはよく訓練された手技や舌技で、いつも穂積を天国に導いてくれるが、やり方にやはり個性があるのが面白い。デビューしたばかりなら、技術はあまり期待しないほうがいいのだろう。でも初々しいのは悪くない! 穂積が満足そうなのを見て、綾乃も笑顔になっていた。  特定の彼氏などおらずとも、穂積は幸せだった。マイノリティであることの孤独感や疎外感など、金次第でどうにでもなる。それが彼の持論だった。
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