1:酒に飲まれてはいけません

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1:酒に飲まれてはいけません

 朝目覚めると、全裸だった。  初夏とはいえ、朝晩はまだまだ冷え込む。寝苦しさで思わず服を脱ぐには、早すぎる季節だ。  いや、そもそも寝苦しかろうとも、下着まで脱ぐことはない。  何故自分は全裸なのか、とクシェルは身を起こして、めまいのする頭で考える。  緑色が混ざった茶色のどんぐり眼も、平素になくうつろだ。  めまい――そうか。  昨晩は人生初の飲酒を、しこたま楽しんだのだった、と回らない頭が思い出した。未だ体に残る酒精を追い払いたくて、ふるふる、とクシェルは首を振る。肩にかかる金髪が、それに合わせて揺れた。  が、かえってめまいが悪化して、両手で側頭部を押さえる羽目になる。完全なる愚策であった。  鈍い脳は、かなり遅れて下腹部の鈍痛も伝えて来た。  同時に、全身を覆う甘い気だるさも。  なんだろ、この感覚は。こちらも初めての代物である。  ここにきてようやく、クシェルは自分が全裸であるにもかかわらず、全く寒さを感じていない事実に気付いた。  暖房なんて入れていないはずなのに、と考えていると。  隣から、穏やかな寝息が聞こえて来た。  寒さを感じない原因は、この人肌であるようだ。 「え……」  いや、待て。どうして他人が、自分のベッドにいるのか。  思わず息を殺して、寝息の主をのぞきこむ。  ぼさぼさの黒髪の持ち主は、割と見慣れた横顔の男性だった。  ただし、寝姿を眺めるのはこれまた、生まれて初めてであるが。  ベッド横のサイドボードには、彼のものと思しき銀ぶちの、細身の眼鏡もある。  こっそりと、クシェルは自分たちを覆うシーツをわずかに持ち上げた。中をのぞきこむ。 「……うん、裸だ」  それも両者ともに。 「あー……、これはやってしまったな」  天を仰いでへへ、と笑いながら、彼女は呟いた。  幼く見える小さな顔が、柄にもなくニヒルな笑みを浮かべる。  額をぺちり、と叩き、未だぼやける頭に発破をかけた。  次いで昨夜の記憶を、気力を振り絞って引っ張り出す。  クシェルは精霊に仕える巫女だ。  巫女たちは純潔であることが望ましい――というか、純潔でないと精霊と交信できない。そのため、女性たちだけで、この神殿にて共同生活を送っている。  ただし身辺警護のため、付かず離れずの距離で聖騎士たちもいる。  隣で眠りこけている男性ことスヴァルトも、そんな聖騎士の一人だ。  彼の受け持つ護衛対象の中にクシェルも含まれているため、日々挨拶程度は交わす間柄であった。  逆に言えば、それ以上の付き合いは皆無。  いわゆるただの知人、だったのだが。どうしてこうなった。  金髪をかき回して懊悩(おうのう)する内に、ようやく記憶の引きずり出しに成功した。  昨日は建国記念日だった。  普段は清貧の日々を過ごしている巫女と聖騎士も、この日ばかりは酒とご馳走を存分に堪能した。  そしてニ十歳を迎えたばかりのクシェルも、人生初の酒を大いに飲み、もちろん盛大に酔っ払い。  そんな彼女の醜態をいたたまれなく思ったのか、スヴァルトが部屋まで送ってくれることになり。  で、そこでも思い切り羽目を外して、一線を越えたようだ。その辺の記憶は若干あいまいだが、全く覚えていないわけではない。やらかした確証はある。  大人の階段を、勢いよく駆け上がり過ぎたかもしれない。  クシェルは試しに両腕を天井へと伸ばし、自分を守護する精霊への交信を試みた。  しかし 「ビッチに用はねぇぜ!」 と言わんばかりに、爽やかなまでに無反応。ウンともスンとも言わない。 「うん、だろうね」  へへ、と再び笑った彼女の声が聞こえたのだろうか。 「うぅ……」  スヴァルトが小さな唸り声を上げながら身じろぎし、ゆっくり目を開けた。
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