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25:その帰り道
思わず恫喝混じりの嘆願をしてしまったが。
なにはともあれ、スヴァルトとこうして仲直りすることができた。
クシェルの気分はたちまち上向きとなる。
浮かれる彼女に、スヴァルトがある提案をした。
「せっかくですので、お店までお送りさせてください」
「いいのかい? 私は大歓迎だけど、仕事は大丈夫なのかい?」
緑交じりの茶色い瞳が、じぃっとスヴァルトの険しい顔をうかがう。眼鏡を押し上げて、彼は小さく笑う。
「仕事で郵便局へ行くつもりでしたので、よろしければ是非」
騎士団詰所から郵便局へ行く道すがらに、マルツ亭はある。途中まで一緒ならば、とクシェルも素直に、彼の申し出を受け入れた。
「ありがとう。それじゃあお願いするよ」
「はい」
嬉しそうなスヴァルトに、クシェルも歯を見せて笑った。そして二人連れ立って歩き出す。
途中でそうだ、とスヴァルトが一言呟いた。次いで、制服のポケットに手を伸ばす。
「遅くなりましたが、お返しいたします」
ポケットから出て来たのは、以前騎士団へお邪魔した時に貸した、ハンカチだった。
すっかり綺麗になり、おまけにアイロンも施されている。
貸したこともすっかり忘れていたので、クシェルは金髪に指を絡めて笑う。
「へへ、ご丁寧にありがとう」
「いえ、こちらこそありがとうございました。直接お渡し出来て、よかったです」
スヴァルトはキリリとした、非常に凛々しい顔でそう言った。クシェルは真面目くさったその顔に、つい脱力。
「君は極端だなぁ。仮に、万が一……いや、億が一殿下と私が恋人でも、君との友達関係は変わらないだろう?」
それもそうですね、と返答があると思ったが、違った。
スヴァルトは表情を険しいものに変えて、ゆっくりと首を振った。
「いえ……それでは、自分が嫌なんです」
「え? どういうことだい?」
「貴女と殿下が恋人なら、自分はきっと嫉妬してしまいます。だから、会うべきではないんです」
なぜ嫉妬してしまうのか、と問いかけようとして。
スヴァルトの潤んだ青い瞳が、ひたむきにクシェルを見つめていた。その熱量に、思わずドキリとする。
歩みもつい止まった。
棒立ちになった彼女の小さな手を、スヴァルトの大きな手が優しく取る。そのまま、手を引かれて再び歩き出した。
これではまるで、デートの時と逆である。
早鐘のように打つ心臓を持て余すクシェルへ、スヴァルトが語りかけた。
「この手。殿下にも、触れさせないで下さいね」
「う、うん……分かった」
「良かった」
そう言って、スヴァルトははにかむ。いつになく幼い笑顔にまた、クシェルはどぎまぎした。
クシェルが内心で泡を食っているおかげで、会話は続かなかったが、二人の間に流れる空気はとても柔らかだった。
手をつないだまま、二人は無言で歩く。
すれ違う住人も、微笑ましげに二人を見守っていた。
やがてマルツ亭の前に到着し、スヴァルトは手を離す。今までクシェルの手を握っていた手のひらを、少し物寂しそうに見下ろして、彼は言った。
「明日、遊びにうかがってもいいですか?」
スヴァルトのお願いに、ぱっとクシェルの顔が明るくなった。
「もちろんいいに、決まってるじゃないか。待ってるよ」
大歓迎の彼女の笑みに、スヴァルトも目を細めた。
「ありがとうございます。それでは、また明日」
「うん、それじゃあ」
手を振って、郵便局へ向かう彼を見送った。
そして、店に戻ろうときびすを返したところで。
マルツ亭の物陰から、誰かが出て来た。
誰だろうか、と顔をうかがう暇も与えられず、その人物に二の腕を掴まれる。その勢いで、持っていたカゴを取り落とした。
「やっ……」
クシェルの全身を、たちまち恐怖心が覆った。たまらず、悲鳴混じりの声がこぼれ出る。
しかしクシェルの腕を掴んだ人物は、それに頓着しない。ずんずんと、マルツ亭と隣家の間の小路を進む。
路地の行き着く先は、水路だった。こんなところにまで自分を連れ込んだ人物――グラナスから、クシェルは猛然ともがいて腕を振りほどく。
そして水路を背にし、不似合過ぎる剣呑な表情を浮かべて、第七王子をにらみつけた。
「何するんですか」
「何、とはご挨拶だな。せっかく会いに来てやったというのに」
今日も庶民的な服に身を包んだグラナスが、芝居がかった仕草で手を広げる。口元には、いつもの微笑を浮かべていた。
しかしクシェルの顔は、おっかないままだ。
「会いに来てくれ、と頼んでませんので。それに、スヴァルト君に妙なこと、吹き込まないでください」
「妙、とはなんだ?」
「とぼけないでください。何で私が、あなたの大事な人なんですか。スヴァルト君はクソ真面目なんだから、困らせないで下さい」
「別に彼を、困らせたかったわけじゃない。俺はただ、本心を伝えたまでだ」
腰に手を当て、グラナスは胸を反らす。相変わらずの態度のデカさだ。
対するクシェルも腕を組み、へん、と厭味ったらしく笑った。
「なにが本心ですか。知ってるんですよ、何人もの巫女をつまみ食いして、退任に追い込んだの」
「あれはちょっとした火遊びさ」
「そんな火遊びをする方は、ごめんです」
グラナスの微笑が、冷笑に変わった。
「お前だってしたじゃないか。だからここに、いるんだろう?」
グラナスが一歩踏む込むと同時に、素早く腕が伸びて、クシェルの背中に回り込む。
「ちょっ……」
「お前が火遊びしたからこそ、俺も遠慮なく手を出せるというものだ」
そして、冷笑と共に抱き寄せられた。
恐怖心よりも嫌悪感で、クシェルの体はたちまち強張った。
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