くるわ育ち 家出娘の今

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くるわ育ち 家出娘の今

 大門(おおもん)町、羽衣町、日吉町、名楽町、寿町、賑町と、 各町の名称にも享楽を生業とした町の特徴が見て取れた。  日吉町というのは、 太閤 豊臣秀吉(幼名 日吉丸)が当地の生まれということで、 あやかって付けられた町名です。 出世魚みたいなイメージで幼名にしたのかな。  全盛期には遊興費の高さ日本一、娼妓数日本一、 廓内の建物は大正末期の建築技術を最大限に発揮して造られ、 昭和の半ばには作家、遠藤周作がこの地を訪れた際、 凝った造りの数多の娼館を目の当たりにし、 文化財保護地区として遺すべきとエッセイに書き記していた。  昭和三十一年に赤線廃止となり、 多くの娼館が旅館、料亭、飲食店、また特殊浴場となった。 他にも大型キャバレー、ジャズクラブ、ストリップ劇場、 毛色の変わったところでは、 女装趣味の男性を対象にする店などがあり、 人々のあらゆる欲望を商いに変え、 バブル期の地上げ騒動や、 特殊浴場に関する県条例の厳格化が施行されるまで、 街は繁栄した。  裸の人間模様の街、遊郭。(くるわ)。 昭和の半ばのあの街に一日でいい、帰ってみたい。 あの猥雑で、混沌とした街に育った私が、 堅気で居るのが信じられない。    背中に派手な和柄模様の入ったノミ屋の彼氏と付き合っていた 家出娘の女の子が、 当時、ちょっとした知り合いで、 たまにそのカップルのアパートで花札をやったりした。  中学も出ず家出してきて年齢を偽って特殊浴場で働いてた その女の子の彼氏であるノミ屋の彼と私で花札をやった。 何故なのか、賭けずにやってた。  私は運が良かったのかな。 賭けてたら、えらいことになっていた。 彼も素人ではなかった。 つまり「構成員」さんだった。  「電話番の仕事しないか」と誘われ、 元組員さんがやってる芸能事務所でバイトしたりしていて、 そこにも和柄模様の絵を身体に入れたお兄さんやオジサンが 出入りしてたのに、 一切、手を出されることもなく、単にバイト。  一回だけ、繁華街へ遊びにいこうと誘われたけど、 相手はオジサンだし、 当時は他に興味のあることがあって、 和柄を背に入れたオジサンと遊んでる場合なんかじゃなかった。  何が幸いとなるか分からない(笑) あっ、美人だったら、それでは済まなかったかな。 良かった、たいしたことなくて(自虐)  上記の、ノミ屋さんと付き合っていた、 中学もほとんど通ってなかった彼女は、 今や、他の男性と家庭を持って、 昼間は午前中だけ銀行の社員食堂でパート、 午後はジム通い、 車は一人娘さんが買ってくれたというコンパクトカーで、 犬を三匹飼っている。  娘さんは数学教師。 その婚約者は国家公務員。 幸せそうで、眩しいです。  親の再婚で家に居場所がなくなって、 遊郭へ流れてきた彼女。 自分の力で幸せを掴んだんですね。 旦那様は彼女が特殊浴場で働いてた時のお得意さん。  娘さんには、  「中村のスナックで働いていた」  と言ってあるとか。 今度、 娘さんの結婚式に出てくれと頼まれています。  
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