くるわ育ち 浮浪者が同居

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くるわ育ち 浮浪者が同居

 名古屋駅から程近い旧中村遊郭は大正時代に造られた街。 この街で十四才まで育ちました。    住んでいた家はかつての娼館で部屋数は大小で三十程あった。 総ヒノキ造りで、経年変化して、黒光りしていた。  苦界に身を沈めた多くの女性の怨念なのか、 今にして思うと、 どことなく鬱蒼とした佇まいだった。  屋敷は我が家の所有ではなく、 家業が娼館経営だったわけでもない。  事情があってその屋敷に住んでましたが、 話が長くなるので今回は省きます。 (つまり財産家ではないということです、はい)  家は、宴会用の大広間が二つ、 洗面所や便所が上下階にあったことを記憶している。  トイレの個室が多過ぎて、ほんと、恐かった。 使っているのは一室だけで、他は開かずの扉。 昼でもトイレは怖かった。  夜中にトイレへ行く時は決死の覚悟だったなあ。  恐いといえば、 家には大階段が二つあって、 その内のひとつは、 階段を上がり切って右に曲がると、 そこは壁一面、巨大な鏡で(サイズ的には畳二枚ぐらい)、 その鏡もとてもじゃないけど正視はできなかった。 自分の後ろに居ないはずの誰かが立っていそうで、 鏡の前は走って通った。  くわばらくわばら。  中村遊郭の建造物はすべからく中庭があって、 その家も同様だった。  建物で四角く囲われた中庭は、 そこを通りさえすれば、 邸内の何処へでも容易に行き来ができる通路となっていた。 銘石や小さな池のある中庭で、 子供が遊ぶには不向きな造りだった。  ある時、 使っていない部屋に浮浪者が住み着いていたのに、 (ホームレスという言葉はこの時代は無かった) 誰も知らずにいて、 日ごろ閉じているはずの戸に隙間が見られたことから、 誰だったか、 とにかく異変をおぼえ、 110番をしておまわりさんに来てもらったら、 中に四十絡みの男が居た。  家人全員、一か月以上、気付かなかった。  
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