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宇宙航海日誌 第二日
「起きてください。もう朝ですよ」
のんきに眠っている青年の体をゆする。
「なんだ。まだ外は暗いじゃないか」
「あなたはなにを言っているのです。ここは宇宙なのですよ。暗いに決まっているではありませんか」
「そうだったかな」
寝ぼける青年を説得するのにてこずる。出発前、周囲のひとがおどろくほど理想に燃えていたのに、いざ任務がはじまったら寝坊だ。人間という生きものは一貫性がない。やっと目覚めた青年が窓の外を見る。
「なにも見えないな」
故郷の星を探しているのだろう。窓に顔を押しつけて、必死に目を凝らしている。わたしは計器を確認して青年に告げた。
「すでに人間の視力で見られる距離にはありません。あきらめてください」
「ずいぶんひどいことを言うものだ。いいじゃないか。もう帰れないかもしれないのだよ」
「帰れないのなら、なおさら見る意味はないでしょう」
「まったく、きみはひどく冷たいひとのようだ。ただ故郷の星がある方角を眺めるだけでもあたたかい気分になるものだよ」
青年は目を閉じた。感傷に浸っているのだろうか。わたしにはよくわからない感情だ。
「わたしは機械です。人間ではありません」
「まともに否定することはないじゃないか。きみだって心のようなものがあるだろう」
「回路のことですか。それとも動力源のことでしょうか。わたしのどの部位が、人間のどの器官に対応するのか、あいにく教えられていません」
「そうか、そうか。余計なことを聞いた。すまなかったね」
不満げな様子で青年はこの日の仕事に取りかかった。昨日はあんなにはりきっていたのに、一夜明けて急に冷めた態度だ。精神状態が一定ではない。しかし、これも人間の特徴である。気分の上下が既定の範囲内に収まっていれば、特別問題はない。わたしは青年の作業を見守り、なにか指示があれば手伝いもした。窓の外に見える星空はまだ見慣れたものだ。いくら長距離航行の技術を手に入れたといっても、わずかな時間でそう遠くまで行けるものではない。そうやって代わり映えのしない空を眺めているうちに、わたしたちは夜を迎えた。朝、あれほど見えないと指摘したのに、青年は地球がある方向へ何度も視線を向けていた。
「なにか見えましたか」
意地悪くわたしは聞いた。なにも見えるわけがない。しかし、青年の答えは意外なものだった。
「それは見えるさ」
「本当ですか。それはよくありません。脳に異常をきたしているのかも。すぐに検査いたしましょう」
手際よく検査の準備を進めるわたしを青年が止めた。
「その必要はない。人間には見えるんだ。あの星にいる家族や友人のすがたが」
「あなたはよくわからないことを言いますね」
窓からわたしの目を限界まで使って地球を映してみた。もちろん、人間は確認できない。黒い空間が貼りついているだけだ。
「きみにはまだ見えないのだろう。いつか見える日が来るといいな」
「そうですか。つぎの更新のときに見えるようにしてもらいましょう」
わたしの言葉に青年はすこし笑った。なにがおかしいのかわからない。脳内で答えを探しているわたしの横を通りぬけて、青年は言った。
「おやすみ。今日はいい夢を見られるといいな」
「昨日は悪夢だったのですか」
「いいや、なにもなかった。だが、この長い旅だ。愉快なできごとはちょっとでも多いほうがいい」
青年のすがたが寝室へ消える。
「はあ、よくわかりませんが。おやすみなさいませ」
宇宙船は静寂に包まれた。青年は異常なしと申告していたが、万が一ということもある。わたしは青年が寝ているあいだに簡易的な検査を実施した。その結果、たしかに青年の脳は正常に稼働していることがわかった。ひと安心するべきなのだろう。
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