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宇宙航海日誌 第八九一日
わたしが起こしに行く前に青年は目覚めていた。せわしない様子で船内の機械をいじっている。
「おはやいお目覚めで」
「それは目も覚めるだろう。予定どおりにこの船は進んでいないことがわかったのだから」
「直りそうですか」
旅立ったときと変わらない調子でわたしは聞いた。
「どうにもうまくいかない」
「そうでしょうね。わたしに内蔵されているシステムは修復不可能だと言っています」
わたしの言葉に青年は一瞬固まった。時間が凍ったような静けさが流れる。ふたたび、ときを取りもどした青年はあてつけるように口にした。
「冗談じゃない。このままではなにもない空間を死ぬまでただよう羽目になる。そんなこと許されないぞ」
「許されるも許されないも、そういう事態になったのです。どうしようもないでしょう」
「お前というやつは。この世になんの未練もないのか」
「さあ、わたしは極力あなたの手伝いをするように命じられただけです。たとえ今回の任務が失敗に終わっても、この経験はつぎに生かされるのです」
わたしの記録した情報はあとから宇宙へ行く者たちのかてになるだろう。冒険は、はじめからうまくいくとは限らない。
「つぎだなどといっている場合か。いま、この宇宙船に乗っているわたしたちはどうなる。死んでしまうのだぞ」
「あなたは人間だから死ぬでしょうね。わたしは機械なので壊れるでしょう。修復は、まあ望めないでしょう」
「ほら見ろ。ここで消えたらなにも残らない。全部むだになる」
「そうは思いません。先ほども言いましたが、このたびの航海はきちんと保存されています。その記録が壊れない限り、むだにはならないのです」
その後もわたしと青年は論争を繰りひろげた。無意味なものだとはわかっていたが、わたしには青年の世話をする義務がある。無視するわけにはいかない。ほぼ一日中、青年は機械をいじり、ことあるごとにわたしの言うことに反論していた。精神的に疲れたのか、病人のような顔をして夜を迎えた。
「そろそろおやすみになったほうがよいでしょう」
「これが眠れるものか。寝ているあいだにもわたしの破滅は刻一刻と近づいているのだ」
「しかし、睡眠不足になっては余計にミスが増えるばかりです。つまらない失敗をしては寿命が縮んでしまいますよ」
「余計なお世話だ。わたしは最後まであがく」
どうにもならないことは確定している。それでもあがこうとする青年を眠りにつかせるため、わたしは少々強引な手段をとった。睡眠ガスを青年にかがせて強制的に眠らせる。宇宙船の計器のいくつかが異常を示す赤いランプをともしている。もはや消えることはないだろう。
「おやすみなさいませ」
わたしは点滅するランプを眺めながら夜をすごした。
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