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おはよう
目を閉じたまま、鳴り続けるスマートフォンを手探りする。
いきなり胸に重みがかかり、口を柔らかくて弾力のある、温いものでふさがれた。
くちびるに伝わる動きから判断すると、これは何年ぶりかの寝起きのキスだ。
驚いて目を開けると、そこには記憶の中にしかいないはずの20年前の妻がいた。
これは夢の続きか。
とりあえず目覚ましを止めようと、スマートフォンを手探りした。
「探し物はこれかな」
妻の若々しい指が、こちらに向けられた画面の上で「スヌーズ」をタップする。
過去の記憶ではない。
私たちがこの年齢の頃、スマートフォンはまだなかった。
どうやら夢と現実がごちゃまぜになっているようだ。
「もしかして違った?」
上から覆いかぶさるようにのぞき込む妻の瞳には、私の顔が映っていた。
案の定、私は寝る前に鏡で見た五十男のままだ。
私のくちびるから、「ああ」と、重たい吐息が漏れた。
「探し物はそれじゃない」
「私より大事なもの?」
私は「そうかもしれないな」と答えて、目を閉じた。
「すまない。もう15分だけ、寝かせてくれ」
妻はもう一度キスをすると、身を離した。
「卵の焼き方は?」
「両目焼き」
「ちゃんと自分で起きてくるんですよ。おやすみ」
私は、「おやすみ」と呟くと、再び夢へ潜った。
今度こそ本当の、私の妻に会うために。
(了)
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