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ただいま
終わらない仕事に区切りをつけて、私は日にちが変わる直前に玄関のドアをそっと引く。
こっそりこそこそ、隠れているわけではない。
びっくりしないように、慎重に行動しているだけだ。
前に、こんなことがあった。
解錠してふだんの勢いでドアを開けたら、カナヅチでクギを叩いたような金属音がした。
妻がうっかり、チェーンロックをかけてしまったのだ。
私は日ごろ、「仕事で帰宅しないと伝えた日は、戸締まりを厳重にしてくれ」と言っている。
だから妻が間違えてチェーンをかけてしまうことがあるのだが、その夜は闇に響いた音のあまりの大きさと突然さに、私の心臓がジャンプしてしまった。
驚きはそのまま苛立ちに変わり、妻が気づいて解錠しにくるまで玄関のドアを打ち鳴らし続けるという、大人げない行為に及んだのだ。
明るくなるまで続いた口喧嘩に疲弊して、私は反省した。
そこで出した答えが、「玄関のドアは、そっと開ける」という予防策だった。
もしもの場合は、妻のスマートフォンに電話すれば済む話だ。
妻を起こすことなく、ダイニングルームへ至った。
ノンアルコールビールと夕食の残りを食み、ひと息入れてから風呂を浴びた。
温まりながら浴槽の壁を手のひらでこすり、湯を抜いている間に頭を洗う。
最後に軽く柄付きのスポンジで風呂掃除の仕上げをする。
いつの間にか習慣づいていることだが、そういえばこれも、ごたごたの挙句に始めたことだった。
夫婦間で衝突があると、いつも妻の方に利がある結果になる気がするのだが、気のせいだろうか。
髪の毛を乾かしながら、鏡に映った顔に吐息をかけた。
目の下のたるんだ皮膚に疲れをにじませる五十男は、力なく笑い返した。
近頃の私はなんだか、オジサンの方が少女よりも可憐な気がするのだ。
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