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鼻先が触れ合いそうな距離まで近づけられ、情けないほど短い悲鳴をあげてうつむけば、ケタケタと笑う声がした。気がつけば、飛鳥さんは私を囲い込んでいた手を解いて隣に立っている。
飛鳥さんの体温を失った場所は、あっという間に外気にさらされて冷えていった。
「嫌ならちゃんと言うんだよ」
「嫌って言ったら、嫌われちゃうかもしれないじゃないですか」
「それで嫌いになるような男とは長続きしないから、さっさと別れた方がいい」
「なるほどっ」
納得した私はカバンから手のひらサイズの分厚いメモ帳を取り出して、言葉を書き写す。飛鳥さんは、その様子を面白そうに眺めていた。
「熱心だね」
「せっかく教えてもらっているので覚えておかないと」
「ためになった?」
「人前でのいちゃいちゃは、心臓に悪いということが分かりました」
「それは何より」
飛鳥さんの目はすでに色気は失せて、職場で見る穏やかなものになっていた。
もう私をたぶらかす気はないのだろう。先ほどまでの行動が嘘のように、のんきに桜なんて見上げては「きれいだね」なんて言っている。
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