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「いいや。愛がないねん。あれは仕事やから作っとるだけで全然食うてもうまないわ」
本気で嫌がってるようで、説得させるように真面目な顔をしてそんな事を言う。
「何だそれ、わがままな舌だなあ」
「やろ?真宏のおかげで舌が肥えたわ。向こうの料理は案外美味いで」
そんな言葉に、真宏は宇佐美から目を逸らした。
うそ。最後にあった時より痩せてる。きっと本当に味がしなくて食が辛いんじゃないのか。
……そんな事に気がついたって、今の恋人ではない真宏には何も出来ない。
今の俺にはなんの権利も持ち合わせていない。
「……髪、染めたんだね」
話題を変えるように視線を髪に向けた。
「ああ、仕事やともう染めれへんからなあ」
「ピアスも……あ、」
「せやねん。ピアスも外せ言われてんけど、これは外されへんて大げんかしたったわ。ピアス一つで仕事の能率が変わるか言うてな」
二人お揃いでつけていたピアスを、宇佐美は外さないでいてくれていた。
真宏の頬は自然と緩む。
「嬉しい」
きっと宇佐美と別れてから1番の笑顔をここで見せられた気がする。
それ程までに嬉しくて顔が緩んだ。
「当たり前やん。これは真宏との思い出やもん」
誇らしげにする宇佐美に、真宏は笑む。
「……でも結婚したら外していいよ。かれんさんに申し訳ないし」
真宏の言葉に一瞬何かを言いかけたが、宇佐美は結局言わずに一言だけ返した。
「……そのつもりや」
そしてまた無言の空気が二人の間を流れる。卒業式は既に終わっていて、正門の方で在校生と卒業生の交流する声が微かに聞こえる。
中庭には誰も来ない。
きっと宇佐美を探してる生徒も大勢いるだろうなと思うと、ほんの少しの優越感だ。
でもそれも、もう最後だけれど。
あーあ。
どうして俺は女じゃないのだろう。どうして俺には権力が無いのだろう。どうして俺はお金持ちじゃないんだろう。
……どうして俺は、子供なのだろう。
「……夢だったり、しないよね」
「夢?」
「宇佐美が結婚するのも、外国行っちゃうのも、もう会えないのも……夢だったりしないかなあって」
微笑む真宏に、宇佐美は何も言わなかった。
「本当なら卒業だってしてほしくないのに、そんな時限の話じゃなくなってるしさあもう。何に悲しめばいいのか」
自嘲気味に言う真宏に宇佐美は「……せやなあ」とだけ言った。
もう抱きしめてもくれないんだね。恋人じゃあないもんね。
「……もう戻ってこないんでしょ」
「ああ」
「もう会えないんだもんね」
「せやな」
「……そっか」
なんで、こうなっちゃうのかなあ。
どうしてもう、会えないんだろう。
クリスマスの夜、泣いてくれたのは宇佐美だった。
泣くほど嫌がってくれたはずのに、今はもう俺を見ても泣きそうな顔すらしてくれないね。
短い言葉で、別れを惜しむこともしてくれない。
「ほな時間やから。もう行くわ」
「……うん」
ほら、そんなに呆気ない。
そうだね、恋人じゃない。
恋人じゃないって、こんなに辛いんだ。
真宏は無意識にピアスに触れる。もうお守りになっているその癖をはじめて見た宇佐美は、そっと立ち上がった。
「まひ、体に気をつけて」
「うん」
「元気ーへん時はちゃんと食うて」
「うん」
「真宏は真宏らしくそのまんまで」
「……うん」
「ずっと、元気で生きとってや」
何も言わずに俯く真宏。
「……じゃあな」
しばらく見下ろしていたけれど、これ以上居ても仕方がないと思った宇佐美は、最後の言葉を言いかつての愛おしい恋人に背を向けた。
そして、ゆっくりと歩き出す。
もう永遠に会えない、愛おしい彼から遠ざかる。
一歩、また、一歩、着実に望まぬ未来へと足を踏み出す。
そして、中庭から抜けようとしたその時、
「宇佐美!!」
強く、懐かしい呼び名で叫ばれた。
そういえば、こうやって名前を呼び捨てして叫ばれるのは何度目やったか。
振り返った先にいた真宏は、満面の笑みで宇佐美に言った。
「逃げませんか!!」
……え?
「一緒に!!」
「遠くに!!」
そして、
そして、
「ずっと2人で生きようよ!!」
笑顔の真宏の瞳から、とめどなく涙が溢れていた。
陽の光に反射して、キラキラと輝くその涙。
「ねぇ」
ねぇ、
「宇佐美……っ」
ねぇ……
「……おねがい……っ」
最後の真宏の懇願を聞くのが早いか、真宏が言うが早いか、宇佐美は駆け出して真宏を抱きしめていた。
今度こそ真宏はわぁわぁと声を上げて泣いていた。
宇佐美のシャツにしがみついて、離したくないと言わんばかりに泣いていた。
額に汗を浮かばせて、目からは涙をこぼし続けて、宇佐美にしがみついて激しく泣いていた。
中庭だったからギャラリーが出来ていたかもしれない。
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