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after story
最愛の恋人と別れなければならない。
そんな経験を、たったの十七歳で体験してしまった真宏は、気の抜けた日々を送っていた。
宇佐美たちの卒業式が終わってから、早一ヶ月が過ぎた。
幸い、宇佐美の手元には携帯というツールがある。別れる前に、偶然宇佐美が欲しがって契約したのだ。
メールを送れば、電話をかければ、繋がるのは分かっている。
けれど、そのせいで迷惑をかけてしまうことになったら。
かれんさんとの仲を裂くことになってしまったら。
いろんな不安があるけれど、一番不安なのは、宇佐美がもう自分を好きではないこと。
別れてたった一ヶ月だけれど、宇佐美が案外軽薄な男ではないことも知っている。
けれど不安なものは不安なのだ。怖いものは怖い。
そんな現実を見たくなくて、連絡してみるのは何十年ごとかでいいかな、なんて思ったり。
現実問題、今の自分はもう受験生の学年に上がってしまうのだ。
この一年、今度は将来の自分に向き合わなくてはいけなくなる。
「は〜あ〜。どうしようかなあ〜」
何をどうするのかも、さっぱりわからない。
呟かなくてはどうにも消化できないのだ。でも何を消化したいのかはわからない。
最後に見た宇佐美は一切、真宏を振り返らなかった。
彼は前を向いて、しっかりその足で歩いて行ったのだ。
その背中を後押ししたのは自分なのに、自分が下ばかり見て情けないな。
さて、そろそろ俺も切り替えなきゃ。忘れなくてはいけない。この恋心を。
永遠にもう繋がれることはないのだから。
真宏は気分を変えるためにダラダラしていたソファから立ち上がり、冷たい水を飲もうとした時、ピンポーンと玄関の呼び鈴が鳴った。
「はーい?」
杏のダイエットグッズだろうか。呑気にそんなことを考えながら、スリッパを音立てて玄関まで歩いた。
ガチャリとドアを開けると、外には宅配便のお兄さんが立っている。
両の掌を並べたくらいの大きさの段ボール箱を抱えて、「伊縫さんですね?サインかハンコをお願いします」と言って伝票を真宏に見せる。
真宏は「はぁい」と答えて、玄関に置いてあるハンコを押した。
「あざっしたー」
「ご苦労様ですー」
そう交わし合って、玄関のドアを閉める。段ボールの宛名を見て真宏は首を傾げた。
「?俺宛?」
送り主は、浅葱 天哉(アサギ タカヤ)とある。
天哉さんって確か、涼兄の友達の……あれ、そういえば宇佐美もお世話になったって言ってよな。
真宏は何だか心が騒ついて、自室に戻り急いで段ボールを開けた。
ほんの少しでも、宇佐美と繋がりのある人物からの荷物なのだ。
元カレの面影を未練がましく見てしまっても構わないだろう。
真宏はカッターを取り出し、頑丈に貼られたガムテープをサクサクと切り、ゆっくり蓋を開けた。
「……え?」
そこに入っていたのは、かつて宇佐美が使っていた携帯と酷似したものだった。
「宇佐美の携帯?」
何で?
その赤い携帯を手に取り、ゆっくり電源を入れるとなぜか充電は割と残ったままで、待ち受けが真宏の寝顔だった。
よだれを垂らして、あの懐かしい宇佐美のアパートの畳の上に頬を潰して眠りこけている。
じゃあこれは本当に宇佐美の携帯なんだ。何でこんなものが届くんだ?
疑問を抱えながら、ロック画面を解除する。
パスコードは真宏の誕生日を設定していたはずだった。その記憶を頼りに入力すると、やはり簡単に開くことができた。
ホーム画面の待ち受けは、海をバックにした真宏の後ろ姿。
そのまま無言で、宇佐美の携帯を操作していく。
連絡先にあったはずの義父の番号は消されていて、真宏の電話番号とメールアドレスのみ登録されていた。
チャットアプリには、真宏とのトーク履歴だけがある。
電話の発着信履歴も真宏のものだけが残されていて、カレンダーには真宏とデートした日、デート予定だった日、どこに行ったか、詳細に箇条書きでメモされていた。
メモ帳アプリには、真宏が喜びそうなデートスポットがメモしてあって、検索アプリの履歴も、デート場所の検索ばかりだった。
そして、カメラロールを開く。
やはりそこには、真宏の写真ばかりだった。
時折、真宏の隠し撮りに成功した宇佐美の満足そうな自撮りも混ざっている。
けれど、全部が真宏だった。
全部に自分がいたのだ。
「……ふふっ、俺ばっかりじゃん」
つい笑みがこぼれてしまう。
これが宇佐美がいつも見ていた俺の姿だったのか。
少し高い位置から撮られているそれらは、紛れもなく愛おしい彼が見てた世界だったのだ。
この空の写真も、木の写真も、俺も、宇佐美が見てきた景色。
こんな形で、今更知るなんて思ってもいなかった。
付き合っていても、彼の目線でものを見たことなんてなかったな。
自分はいつも彼を見上げて、眩しくて美しい彼が愛おしかった。
楽しそうにツーショットを撮っている写真の中の自分たちを見つめて瞬きを一つした。
瞬きをしても写真は消えたりしない。思い出は消えないのだ。
たったの102枚ほどしかない写真もあっという間に見終わり、真宏は何となくメールを開いた。
あとはここぐらいしか見るところがないと思ったからだ。
案の定、メールの受信箱は空っぽで、送信済みの箱の中も何もなかった。
連絡はほとんどチャットアプリか電話だったので、メールを使う機会はなかった。
宇佐美はゲームアプリだとか通販もしないから、メールを受け取る機会はなかったのだろう。
そのまま何気なく、下書きの箱を覗いて見た。
「あれ?」
すると、下書きの箱に「まひへ」と懐かしい呼び名で書かれたタイトルの下書きメールが目に入った。
親指が無意識にそこをタップする。
パッとメールが開き、白い背景に宇佐美が打ったであろう本文が映し出された。
《まひへ
元気か?今、何してん?また泣いてへんやろな。
学校の中庭なんかで泣いとっても誰も見っけてくれへんからなあ。
あん時はたまたま俺がサボっとったから見つけられたんやで。感謝せぇ!
泣く時は、誰かのそばで泣いてな。
ほんで笑っとるか?真宏は笑顔がいっちゃんかわええねんから、ちゃんと笑わへんとあかんで。
笑われへん時は、にゃんこにでも変顔してもらい。笑けるで。
カメラロールは見たか?
そこにまひの笑顔の写真だけあらへんやろ?
あれな、毎回撮って残したい思ててんけど、真宏の笑顔見るたびにな、瞬きしたくなくて、目そらしたくなくてな撮られへんかったわ。
せやから、笑顔だけないねん。
後ろ姿とか寝顔ばっかや。あと、むくれとる横顔もあったな。
どんな表情もかわええ真宏は天才や。
でな、今携帯届いとるやんか。
それはな、真宏にやるわ。いらへんかったら捨ててくれ。
向こうに持ってけへんから、日本に置いてくわ。
それ見て元気でたら、今度こそ前向いて、
真宏らしく強い男のままで、しゃんと気張ってな。
バイバイ、真宏。
今度こそ、元気でな。
壱哉》
読み終わった真宏の目からは、やっぱり涙が溢れている。
「……こんなん……読めたって、返事できなきゃ……言い逃げじゃんね……」
ほんのり笑いつつ、けど、宇佐美からの最後の愛に真宏は携帯を胸に抱えて泣くしかなかった。
ってか、携帯送られちゃったらもう宇佐美と連絡取れないね。何だよ。
じゃあもう一生……。
結局最後まで、彼は自分の心情を語ることはなかった。
行くのがやだとか、別れたくないとか。
そんなことを真宏に話すことなく、真宏のことばかりだった。
でもそれでいい。それでよかったのだ。
宇佐美はよく俺を『ヒーロー』だと言ってくれた。
けど本当の『ヒーロー』は、宇佐美だ。
俺にとって、彼がいてくれたことが何よりの救いだった。
強がりな俺も、宇佐美の腕の中なら、宇佐美のそばなら、宇佐美の声があれば、泣くことができた。強いフリができる自分に戻れた。
愛することを教えてくれたのは紛れもなく宇佐美で、俺を救ってくれたのも宇佐美なのだ。
宇佐美は俺を守るために、悪になって嘘をつけた。
けど俺は、貴方を救うために悪になりきれなかった。
こんな所で泣いてばかりで、下向いてばかりでごめんなさい。
出来損ないのヒーローでも、愛してくれてありがとう。
真宏は画面を落として寝転がった。
返事のできない手紙をもらったって。
愛が深まるばかりじゃないか。寂しいばっかだ。
「うさみの、ばーか」
真宏はくすくす笑って、目を閉じた。
「ウサミとマヒロ」
出来損ないヒーロー編 after story 了
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