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(ふぁんぼサンプル)おねつとまひろくん。
以下本文一部抜粋
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「……少し、頭冷やそか」
ぱたん、と閉じられた玄関に佇む俺は、傍から見たら酷く滑稽だったと思う。
キッカケは極些細な事で、なんて事ないただの小さな諍いだったはずだ。
例えば、ドアは開けたらしめるだとか、靴下は放ったらかしにしないで洗濯機に入れるとか、カレー食べたら白い皿はちゃんと水につけておくとか、麦茶を飲み終わったら洗って作り足しておくとか。
一緒に暮らす上で当たり前のことで、そんな事を少しばかり言いたかったんだ。
いつもの通りで、自分も素直に気持ちを伝えて、だから「ごめんなぁ」って抱き締めてくれてまた終われると思ったんだ。
けど、現実はそうじゃなかった。
彼は……宇佐美は、ホストクラブでバイトをしていた。
今はプレイヤーから遠のき、黒服としてバイトしている。けれど、プレイヤー時代の宇佐美の客は、やっぱり宇佐美目当てで来てくれてるから、多少の酒は拒めないし、多少の接客はしなければならないのが常識というもの。
宇佐美がプレイヤー時代から付き合っていたから、彼が朝帰りで女物の香水まみれで、キスマークなんて日常茶飯事で、そんな事慣れっこだった。
なんだったら、「ワイシャツに平気で口紅付けるような女は絶対自分で洗濯したこと無いんですよ。相手にするなら爪が短くて目のラメがキツくない子がオススメです」なんて言って宇佐美を笑わせていたくらいだったのに。
黒服に転身して、……もしかしたら俺は慢心してたのかもしれない。
宇佐美がやっと、自分だけの宇佐美になった、なんて。
今朝起きて、天気がいいから洗濯を回してシーツも洗ってアイロンがけして今日は家中をぴかぴかにしてやろうか、なんて考えて、じゃあ朝ごはんはどうしようか……フレンチトーストも良いし、お茶漬けでもいい。
でも折角ならベランダの簡易な食事スペースで、フレンチトーストとコーヒーとちょっとしたサラダでもいいかもしれない。
そんな事を1人で考えながら、まだ酒の残る宇佐美の隣をすり抜けて起きた。
なんとなく目の奥がまだ重いななんて思いながら、寝ぼけ眼でクローゼットを静かに開ける。
着替えて顔を洗ってタオルで顔を拭こうとした時、ふと目に入ったのは宇佐美が脱ぎ捨てたらしいワイシャツだった。
これは手洗いか、なんて考えて何気なく手に持ったら、ふわりと香る女性物の香水の匂い。
あぁ、こんなの久々だなぁなんて感慨深げに思っていれば、その襟には口紅らしき痕跡が残っていた。
こんなのみるのも久々だなって。
今までなら何も考えずに洗面器に水を溜めてワイシャツを突っ込んで置くのに、なんだか今日はソレに僅かにムカついた気がしたんだ。
でもそんな自分にも驚いたし、すぐに「いやなんでムカついてんの自分」って自嘲して、今まで通り洗面器に水貯めてワイシャツを浸けた。
何だかどうにも虫の居所が悪い。
単純にそういう日なのかもしれないな、なんて頭を切りかえる為に、冷蔵庫に向かいアイスコーヒーのペットボトルを取り出して1口飲んだ。
(うん……さっぱりする)
やっぱりイラついたのは気の所為かな。
そんな自分に安心して、ペットボトルを冷蔵庫に戻し、洗濯機をごうごうと音を立てて回して、部屋中の窓を開けた。
観葉植物に水をやり、テレビをつけて天気を確認する。
(今日は夕方通り雨来るかもなのかぁ)
なら、夕飯の買い物は早めに済ませて、洗濯物も早めに取り込まなきゃな。
のんびりとそんなことを考えながらサラダを作り、フレンチトーストにする為にパンを漬け込んでおく。それらを冷蔵庫にしまって、静かに玄関をあけポストを確認して、新聞を取る。
宇佐美が職業柄、お偉いさん方を接客する機会が多いからと、新聞を契約しているのだ。
なので毎朝のルーティンとして、真宏も新聞を読むことにしていた。
おかげで時事にはだいぶ強くなったと思う。
一通り満足するまで新聞を読み込み、気になった記事になんとなく赤ペンで印をつけておいて、あとで調べようといったん閉じた。
脱水の終わった洗濯機を開け、カゴにポンポンと濡れそぼった服たちを突っ込み、重量のあるカゴをおいせと運びベランダに出た。
物干し竿にハンガーや洗濯バサミなんかを使って、手際よく干していく。
外の空気はひんやりしていて、秋を感じる。
この時間帯の外は空気が澄んでいて、金木犀の香りが鼻腔に届く。
少し先の家に金木犀があるのをこの間宇佐美と散歩していて見つけたのだ。
この香りもきっとその家から届いているのだろう。
干し終わり、空になったカゴを洗面所に戻しに行く。そこでなんとなく視界に入るつけおいたワイシャツ。
(……なんとなく、)
何となくだけど、なんだか今日は洗いたくない。しかし、今夜も宇佐美はバイトがあったはずだ。2人の予定を書き込むホワイトボードにそう書いてあった。
だから、洗うのなら今日洗って乾かしてアイロンをしてやらなければならない。
替えのシャツをこの間破けたから捨ててしまったのだ。
(でもまだいっか)
夕方までは晴れているし、なんなら、部屋干しでも良いだろう。最悪、ドライヤーで乾かしてやればいいさ。
そう思っていると、寝室から物音が聞こえてきた。
きっと宇佐美が起きたのだ。
仕込んでおいた朝ごはんを作るために台所へと戻る。
案の定宇佐美が起きていて、冷蔵庫から宇佐美用のアイスコーヒーを取り出してごくごく飲んでいた。
「おはようございます」
そう声をかけると、寝ぼけているふにゃふにゃ宇佐美はへにゃりと笑って「おはよぉ」と言う。
帰ってきたのは2~3時間前のはずなのに直ぐに起きてきてしまう宇佐美は、昼間一緒に昼寝をしてからバイトに行く。
「シャワーあびるなぁ」
「どうぞ」
宇佐美はふらふらとした足取りで半分目を閉じたまま脱衣所に行き、ぱたぱたと音を立てたあと、バタン、と風呂の扉をしめ、すぐにシャワーの音が聞こえてきた。
その間にフレンチトーストを焼き、盛り付ける。
サラダのドレッシングは……シーザーでいいか。
木のボウルに盛り付け、2人でつつくようにする。
ベランダに置いてある簡易の椅子とテーブルセットを拭いて、砂埃を払いランチマットを敷く。
飲み物は外なら……と、ホットコーヒーを入れた。
ミルで豆から挽いてドリップをして、マグカップに注ぐ。
蓋付きのマグカップの蓋をしめて、外のテーブルに置き、サラダ達も並べたところで宇佐美が出てきた。
「今日天気いいので外にしませんか?」
「お、ええなぁ。風呂洗ってあんねんけど、今日はカビキラーやらへんかったわあ。あ、それコーヒー?」
「ホットです。流石に外でアイスコーヒーほ冷えちゃうかなって。良いですよ。先週やったし、そんな生えてないでしょ?」
「せやなあ、さすがまひくん。おん。綺麗やったと思うわ」
「だよね。てか先輩、湯上りで体冷えちゃうからアレ来てきなよ。ニットカーディガン」
「せやな」
そうして料理にラップをかけ、ホットコーヒーを飲みつつ宇佐美を待っていると、宇佐美が顔を出した。
「まひぃ、頭かわかしてぇ」
「はぁい」
確かに濡れたまま風邪をひくな。
立ち上がり、宇佐美の髪をドライヤーで乾かす。ふわふわ香る同じシャンプーの匂い。
後ろから宇佐美を見つめていると、ふと頭に宇佐美があのワイシャツを着ている姿が思い浮かんでしまった。
敢えて考えないようにすると考えてしまう人間の脳構造は酷く不器用だ。
(あの口紅の位置だと……)
ぼんやりと想像して、唇を押し付けられたであろう宇佐美の首筋を無意識に撫ぜていた。
すると宇佐美はビクってと肩を揺らし、驚いた顔でこちらを振り返る。
「なに?虫?」
なんでもない、と笑って流せば良かったのだけれど、やっぱり今日の俺は何かがおかしい。
「……別に」
何とも機嫌の悪い声を出してしまった。こんなわかりやすい事があるか、と自分にガッカリする。
しかもまだ朝なのだ。今日1日不機嫌でいたくない。あんなワイシャツ如きで不機嫌になるなんて負けたみたいじゃないか。
だって俺はそんな口紅をこれみよがしに押し付けるだけしか出来ない赤の他人よりも、こんなに間近で宇佐美を見られて、こんな簡単に触れられて、一緒に寝ているんだ。
抱きしめてもくれるんだ。
俺らの関係にお金は発生しないんだ。
愛だけで成り立つこの関係に勝てる客なんかいやしないんだ。
気にする必要なんてない。
俺は言い聞かせて再び、わしゃわしゃと宇佐美の指通りの良い髪の毛を乾かす。
宇佐美は不思議な顔をしていたが、俺は気付かないふりをして乾かし続けた。
*
朝食を食べ終え、宇佐美は洗い物をしたあと眼鏡をかけてソファで新聞を読んでいる。
その間俺は簡単に掃除機をかけ、今度はシーツを洗濯機で回した。
掃除機をかけ終わったタイミングで洗濯機も仕事を終わらせたらしい。
電子音が聞こえ、シーツを取り出し宇佐美を呼ぶ。
「せんぱーい!シーツ広げるの手伝ってー!」
「あーい」
宇佐美は新聞から顔を上げ、俺が手一杯に持ってたシーツを取って、端っこを渡してくれる。
2人で広げてバッサバッサとシワを延ばし、竿に引っ掛け、大きな洗濯バサミで挟んで飛ばれないようにする。
宇佐美はしばらくベランダに寄りかかり外を見ていた。
俺は部屋に戻り窓を拭いたり、コンロを拭いたりしていた。
その間、あのワイシャツをどのタイミングで洗うか考えていた。
(昼過ぎでもいいかなぁ……)
やっぱりなんだか気が乗らない。無性にイライラする。
見知らぬ客の顔を勝手に想像して、声の高さだとか、胸の大きさ体のやわらかさなんかを、なんでか無意識に自分と比べていた。
(いや、こんなの今更考えたって……)
自分の思考に苦笑してオレンジスプレーを吹きかけ無我夢中でコンロ磨きをし続けた。
台所の水垢を落としてみたり、冷蔵庫の仕切りの汚れをアルコールで吹き続け、しまいにはサッシの間を綿棒や爪楊枝でかきだすまでやっていた。
「まひ、そろそろお茶飲まへん?汗だくやで」
気遣って声をかけてくれた宇佐美の両手には、いれてくれたらしいほうじ茶が入ったマグカップが握られていた。
「ありがとうございます」
そんな優しさにもなんだか今日は上手く返せない。けれど宇佐美はなんも言わずに「おいで」と言って俺を引き寄せた。
ソファに並んでくっついてお茶を飲む。
「……あったかい」
「なんかな、天気はええねんやけど風が冷たいねん」
「そっか……確かに」
「まひ?」
「ん?」
宇佐美に覗きこまれた俺は、首を傾げて宇佐美を見つめる。
「……一生懸命掃除してくれてありがとうな」
頬から耳まで撫でて、額に軽くキスをしてくれた。真宏は一瞬、宇佐美の手のひらの冷たさに目を細めたが、キスをされて、またあのワイシャツの存在がチラついた。
(……いい加減忘れろよ)
いつまでも女々しく存在を思い出してしまう自分にイラつき、気分を変えようと宇佐美にギュッと抱き着く。
「わ、どないしたん」
ケラケラ笑う宇佐美を無視して、宇佐美から香る同じボディソープやシャンプーやリンス、柔軟剤の香りを必死に吸い込んだ。
(大丈夫……香水の匂いはしないし……俺と同じ匂いしかしない)
その香りを嗅いでいると、なんだか段々と微睡んで来てしまう。
まだ朝だというのに、寝たくなんかない。
折角宇佐美といるのに、寝ちゃうのは勿体ないから。
ギュッと抱きついていると、宇佐美はマグカップをおいて背中を優しく撫でてくれた。
その手の大きさに安堵して、宇佐美の首筋にすり寄る。
(……)
そこは髪の毛を乾かしてやった時に撫でた場所。
(……やっぱり……やっぱりなんだか、……)
なんだか、……なんだかやだよ
全部俺のものなのに、ぜんぶぜんぶ、……
……全部俺の宇佐美なのに。
俺は無性に苛立って、その首筋に思い切り歯を食い込ませた。
「い゛っ!?」
不意打ちで鋭い痛みに襲われた宇佐美は慌てて俺の顔を引き離した。
「なに!?」
驚いた宇佐美は噛まれた箇所を抑えて、俺を見る。宇佐美が、噛んだ箇所から手を離すと手に血がついていた。
「まひ?」
「……」
謝らなきゃ。宇佐美は痛いのが嫌いなのに。
でも俺は、俯いたまま何も言えなかった。
いつもなら言葉で伝えられるのに、なんだか今日は上手く言葉出てこない。
「まひ、なんかあったやろ」
宇佐美の断定したその言い方に、僅かに瞳が揺らぐ。けれど、俺は顔をあげられなかった。
なんだか情けなくて、合わせられる顔がなかった。
「……まひ、やなことあるとむっちゃ掃除しまくるやんか。口数も減るしな」
宇佐美は噛まれたことなんて忘れたかのように血がついてない方の手で、俺の頬をそっと撫でる。
「……やなことあったん?」
首を横に振る。
今更、……だって今更、……『貴方にキスした見知らぬ女に嫉妬しました』なんて言えないよ。
だって俺はれっきとした宇佐美の恋人なんだ。
ちゃんと宇佐美から愛されてる。だから、嫉妬なんてお門違いなんだ。
愛されてるって自覚してるし、これは浮気じゃない。
宇佐美は仕事って割り切ってる。
昔からそういうとこ混同させない人なの俺がこの世で1番よく知ってる。
なのに、怒るなんて間違いなんだ。
これは俺が悪いことで、俺の考えが醜いだけだ。
いつもみたいに余裕でワイシャツの汚れ如き落としてやるんだ。
「まひ、話して?」
穏やかなうの声がじんわり心に溶け込んでゆく。まるでバターがカリカリにトーストした食パンに染み込んでゆくように、じんわりじんわり溶けてゆく。
そうだよ。こんな優しい声だって俺にしか向けないんだもの。大丈夫。
宇佐美は俺を好き。抱きしめてくれるしキスもしてくれる。だから大丈夫。
俺は顔を上げた。
「……なんも無いけど、なんだか心がささくれてます」
素直にそう言うと、宇佐美は安心したように笑う。
「そうか。どうしたらなおる気する?」
そう聞いてくれるのはやっぱり優しくて、俺を好きだから。大丈夫。
どうしたら?……どうしたらって、……
「満足するまで抱きしめてくれたら……」
(もう二度と、キスなんかさせないで)
「なおる気がします」
(俺以外に……触らせないで)
目を閉じて、宇佐美の胸に頭を預ける。
これで、いい。俺は平気だ。
ちゃんとしたかっこいい余裕のある男なんだ。
女と違うのなんて当たり前。
俺は柔らかくないし、胸もない。声も高くないし女の子特有の香りもない。
宇佐美と同じ男。
でもそれでいい。そんな俺を好きになってくれた。
そんな自分を俺は誇りに思っていて、俺は自分が好きだ。
だから大丈夫。全部大丈夫。
無かったことにしよう。
それがいちばん、『ウザがられない』デショ。
「よしよし、まひくん。かわえぇなぁ」
何も知らない宇佐美は俺を穏やかに愛で包み込んでくれる。
干渉が嫌いなこの人には決して伝えられない。こんな感情、伝えたら……要らないって思われるかもしれない。
捨てられたくないから、閉じ込めよう。
こんな偽物の感情。今日だけだ。
抱き締められて満足したら、サッサとワイシャツを洗ってしまおう。
そんでピッカピカにアイロンかけて、俺がボタンをしめてやる。
恋人に着せて貰ったワイシャツで、宇佐美は接客をする。それだけ。
あともう少し。もう少し充電しよう。
ぐりぐりと胸に額を押し付ける。すると宇佐美の近くから携帯の着信音が鳴った。
「……出ていいですよ」
本当はやだ。まだ俺だけが独り占めしたい。
今日はいつも以上に独り占めしなきゃ、自分の中の何かが壊れそうなんだ。
保つために、まだ充電したい。
俺は、良いよとしか言えないの。
だからお願い、断って。
後ででええねんって言って
「すまん、真宏。オーナーからやわ。ちょっと行ってくるな」
うん
うん
大丈夫
大丈夫
「……うん。大丈夫ですよ」
笑う。笑うしかない。
顔を上げて宇佐美から身体を離す。
離した箇所から身体が冷えていく気がする。
宇佐美は少し変な顔をしたけれど、電話に出るためにいちど俺の頭を撫でて寝室へと携帯を持って行ってしまった。
呆然とその場で俯くしか、おれにはできなかった。
撫でられた頭に僅かに触れて、この負の感情の元凶を片すべくふらりと立ち上がった。
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