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昔から度々ありはしたが、最近はぱったり無くなっていたため安心してしまっていた。その安心が油断になっていたようだ。
ぎゅうぎゅうすし詰め状態の通学電車内。右も左も前も後ろも、赤の他人。いつもは満員電車が大嫌いなので、二本前の電車でゆったりと行くのだが、今日は雨、加えて寝坊して二本分後どころか三本分も遅れてしまった。
つまり、もう普通に遅刻だ。
真宏は「またか」と心の中で深いため息をついた。朝の通勤時間のせいで満員電車にもみくちゃにされながら、必死に登校しているというのに。そんな自分のいたいけな尻に、何かが当たっている。
でかい手でまんべんなく制服のズボンの上から撫でられる感触にゾワゾワと鳥肌が立つ。逃げようにもすし詰め状態の為、次の駅で止まるまで身動きが取れない。
しかも運悪くこの区間は、真宏が乗る区間の中でまあまあ長めのため、あと十分はこのまま撫でられなくてはいけなくなる。
長年の経験から痴漢に下手に反応すると相手の思うツボだというのを心得ているので、この男の股間を蹴り上げたい気持ちを抑え真宏はただじっと耐えた。
大体真宏は昔からそうなのだ。
顔が母親似で女顔だからか、筋肉がつきにくい体のせいで弱く見えるのかなんなのかはしらないが、物心ついた時から何かと変質者に襲われることが多かった。
幼稚園の頃は公園で兄──涼雅──と遊んでいて、涼雅がトイレに行ったタイミングで知らない男に声をかけられ、危うく連れていかれそうになったところを、涼雅が相手の顔面に向かって飛び膝蹴りをしてくれたおかげで危機を免れた。
それ以来涼雅は執拗に真宏の安否を確認してくるようになってしまったし、中学に上がるまで登下校は何故か涼雅と一緒にしていた。小学校に上がってからはストーカーをされたり、露出狂にあったり色々あったがその度に涼雅が対処してくれた。中学校に上がると今度は外部のほかに学校内部の人間の犯行も何故か増えて、無駄な嫌がらせをされていた。
しかし全て涼雅に泣きつきなんとかしてもらうのも男として情けないと思い始め、必殺技だけは習得した。犯人を突き止めるたびに、相手の股間を満足するまで蹴り上げる。犯人たちは泣きながら帰って行き、その後二度と同じ人間は寄ってこなくなった。昔からこういう類には何故か好かれるわけだが、真宏だって泣き寝入りしてきた訳じゃない。小さい頃は変質者に遭遇する度に泣いて涼雅の元へ走ったが、成長は誰だってする。そのせいかは知らないが真宏は、やけに攻撃的な性格に成長したようだ。未だに自分の下半身でもぞもぞ動いているこの手を、へし折りたい。もしくは目ん玉を抉り出してやりたい。
ふと撫でる手が離れて行った。飽きたのだろうか、と思ってチラリと振り返るとじんわり汗ばんだスーツ姿の太ったオジサンの手を、満面の笑みで捻りあげている赤髪の派手な男の姿があった。
「えー趣味しとんなぁ〜、オッサン。ぶひぶひ豚みたいに鼻鳴らしおって、ここは養豚場ちゃうで」
関西弁で赤髪の、派手な男はニコニコしながらオッサンを見下ろしている。この騒ぎに気づいたのか、周りの乗客達も次第にチラチラこちらを見ている。
あと五分で到着駅。
真宏は、こっち見てんじゃねぇよとか、見るぐれぇなら助けろよ、とか、色んな苛立ちが募りはしたが、それらを怒鳴ったところで何も解決しない事は充分、分かっていたので、深呼吸をして大量に息を吸い込んだ。
「キャーチカンヨォーダレカヘルプミィー!チョットオジサン、ソノヒトアタシノダァリンダカラテェダサナイデヨネ、ネッ、ダァリン?」
真宏の真顔と大声でしん、と車内が静まりかえる。派手な男は一瞬ポカンとしていたけれど、真宏の作戦に気づいたのか、肩を震わせて「くくっ…せやなぁ〜、ハニィ〜」とグイッと真宏の肩抱き寄せた。真宏はおっさんをじとりと見やり、口を開く。
「ていうかぁ〜、いい歳こいて公衆の場で鼻息荒くして未成年のケツを揉みしだいた挙句、同じ高校生に腕捻りあげられて手も足も出ず汗だくになっているのって、めちゃくちゃ無様で醜いなって思うんですけど、その辺どうお考えで?」
「……あ、……ぃ、や……」
男は周囲から好奇の目に晒され、逃げ出したくて堪らないとでもいうように俯いていく。
「オッサンさぁ、スーツなんて着て鞄も持ってるけど働いてないの?通勤のフリ?それともマジの会社員なわけ?会社名教えてよ。人に自分を知ってもらうために、サラリーマンは何持ち歩いているんでしたっけ?ほら、ここで使わなきゃ」
ジリジリとドア側に追い詰めると、オッサンはヒイィッと涙目になってぷるぷる震え始める。
……くっそキモイ。
更に追い詰めようと口を開いたところで、ポンッと肩に手を置かれた。
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