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「まぁまぁキミ、そんくらいでええんちゃう?腹立つやろうけど、オッサンもう顔撮られとるみたいやし、SNSで広まんのも時間の問題やろ〜。どの道、お先真っ暗、やな」
真宏の暴走を止めたのかと思いきや、トドメを食らわせた男に真宏は、こいつも大分攻撃性ある性格してんな、と感心した。真宏の大声で一車両全体に知れ渡った痴漢ジジイは顔を青くしたり赤くしたり忙しそうだった。
本来ならこのまま捕まえて駅員に渡したいところだが、生憎真宏の遅刻はもう確定している。
これ以上遅れたくはない。
コイツの人生を終わらせたいところだが、自分の成績の方に響かせるわけにはいかない。今回は目を瞑ってやろう。そのかわり、社会的に死んだ気分にさせてやるしかないな、と思った時、ちょうど電車は駅に到着し、オッサンは降りる乗客を押し退けて一目散に飛び出して行ってしまった。真宏と男は顔を見合わせてくすくす笑う。
「あの、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げると、男は「かまへんよ別にぃ。おっさんの鼻息がうざかっただけやしぃ」とにこにこ笑う。にっこり笑う男の口から八重歯がちらりと見える。よく見ると目鼻立ちが整っている。瞳の色もカラコンなのかわからないけど、碧とグレーが混ざった色をしている。生きてきた中で見たことのない綺麗な色。
鮮やかな赤い髪に碧い瞳。 そして爽やかな笑顔……。
男は「明日から防犯ブザー持ち歩いた方がえーんちゃう?じゃあな」と手を振ってこちらに背を向けて行ってしまった。
……防犯ブザー、持ち歩こうかな?
真宏はやたら真剣に防犯ブザーについて考えつつ、男の顔がちらつく己の思考に首を傾げながら学校までの道を急いで歩いた……
というのが事の顛末。
あの時初めて知った「宇佐美」という存在に、確かに一時期心奪われた気はしたが、気の所為。
あれ以来学校で先輩を見かけるたびに、胸がドキリとなって思わず目で追ってしまうようになったがこれも気の所為。
真宏は宇佐美を好きな訳では無い。
一種の憧れのようなものなのだろう。
「でも真宏、あれ以来めちゃめちゃうさ先輩のこと見てんじゃん」
ドキリ、と胸が鳴り真宏は少し視線を落とした。
「……別に、派手だから見てるだけだよ」
……もしも、先輩が女だったら、もしくは自分が女だったら『恋』だと錯覚していたかもしれない。
「まあ確かに派手だわな」
久我はピコピコと携帯ゲームをやりながら賛同してくれる。
そう、自分は先輩が派手だから見てしまうだけで決して好きな訳では無い。綺麗な人が居たらついつ見てしまうのではないか。
綺麗な景色や綺麗な芸術があると否応なしに心奪われるのと同じように、そうこれは言わば自然現象である。
「真宏って恋した事ないの?付き合った事とか」
ハゼに問われた真宏はギクリとする。
「……」
「えっ無いの!?」
ハゼや久我に目を丸くされた真宏は不機嫌にムス、と不機嫌に返す。
「……悪いかよ」
「いや悪くは無いけどさぁ……」
ハゼらは顔を見合わせ、哀れみがこもった気まずそうな顔で真宏を見た。
なんだよその目線は……めちゃめちゃ腹立つな!!
「真宏、困ったり悩んだりしたらお兄さん達に頼るんだよ?」
「初めては誰にでもあるって!大丈夫、俺結構経験あっから」
「は、はあ!?なぁにがお兄さんだ!!」
悠々と馬鹿にされ思わず怒鳴った真宏の声が穏やかな昼休みの教室に響いてしまい、クラスがシィンとしてしまった。慌てて口を抑え、二人を睨んだ。
「……まあ冗談抜きにして、あんまり我慢し過ぎない方がいいよ?そういうのは」
「我慢?別にしてないよ」
何に対しての我慢なのか分からず、首を傾げてハゼを見るが、複雑そうな顔をしたまま見つめ返されるだけだった。
「……どんな物事に対しても、我慢し過ぎると毒だからね」
……だからしてないって、……と思ったけれど、ハゼの顔がいやに真剣だったので、真宏は何も言い返せなかった。
*
下校時間となり、真宏は部活に行くハゼを見送った後、日替わり女子とデート下校をする久我に冷ややかな視線を送って、自分も帰るために昇降口に行こうと廊下を歩いていた。今日の夕飯何だろうか、昨日は肉だったから今日は魚だろうか、なんて食べ物の事だけを考えつつボーッと歩いていると、なんとなく窓の外に意識が向いた。よく見ると中庭に派手な髪色の男が立っているのが見える。
……ん?あれうさ先輩じゃん。
何してるのかと目を凝らすと、宇佐美はもう一人居るピンク髪の男子生徒に胸倉を掴まれていた。
「えっ、なんだあれ……」
彼らの間に流れる不穏な空気に、真宏は思わずその場から走り出していた。運動音痴な真宏なりに一生懸命走って、中庭に出る。遠目だったからハッキリしないけれど、どうやら胸倉を掴んでいる男は泣いているようだった。
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