おやすみの甘い夜

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「俺が居なくて大丈夫か?」 時川マネージャーにそう言われた時、「大丈夫です。」と即答してしまったけれど、大丈夫なんかじゃ無かった。 私はその時、一回り年下の後輩と付き合っていた。 大型の飲食店で働いている私は新人教育係で、自分が教えた後輩たちはみんな本当に可愛い。 中でもアルバイトで入った専門学生の来斗は、私にとってまた違う理由で可愛いかったと思う。 私が締めの作業をしているといつも帰るまで休憩室で待っていて「奈々原さん、夜道は危ないので一緒に帰りましょう」なんて言ってくれた。 「まぁ、一緒に帰りたい理由は他にもあるんですけどね」と来斗が言いだした夜に告白をされた。 若い子に告白されて悪い気はしないし、いや…私もまだまだイケるかななんてちょっと浮かれていたけれど、実際付き合ってみるとプライベートでも仕事の関係性が抜けなくて、甘えるという事が出来ないし、相談事が出来ない事に少しばかり悩んでいた頃だった。 私より一つ年上の敏腕エリアマネージャーが来ると会社から聞いていたんだけれど、その話の通りすごく仕事の出来る時川さんがうちの担当になった。 「お兄ちゃん〜っ?!!」 時川さんの声が休憩室に響いた。 「し〜っ!時川さん恥ずかしいので大声で言わないで下さいよ!」 仕事の事でちょっと迷った事があって、休憩中お兄ちゃんに電話しているのを時川さんに見られてしまったのだ。 「彼氏は?うちで働いてる弓谷くんと付き合ってるんだろ?相談しないの?」 「来斗は…あ、弓谷くんには何も相談しません。お兄ちゃんの方が全然頼りになるんですもん!」 なんだそれと言いながら時川さんは笑った。 「これからは俺に相談しろ。お兄さんはうちの会社の人間じゃないし、それに俺はお前の上司だ。」 時川さんは言葉通り仕事のコツや私のまだ知らなかった事などをとても分かりやすく教えてくれた。店のみんなにアイスやお菓子を買ってきてくれる事も多くて、私も時川さんには色んな事を相談出来てすごく嬉しかったし、安心したし、仕事に来るのが更に楽しくなっていた。 「最近マネージャーと仲良いよね…。」 帰りに来斗にそう言われて、最近来斗の事を全然考えていなかった事に気が付いた。 「仕事の事教えてもらってるだけだよ!」 うん…そう。私は仕事を教えてもらっているだけ。私の彼氏は来斗なんだから…。 「なら良いけど。」 来斗は何か言いたそうな顔をしていたけど、お母さんから外食に行こうとメールがあったと言って喜んで家に帰って行った。 時川さんと比べてしまうと、来斗はすごく幼い。いや、比べちゃいけないよね。来斗じゃないけれど、最近私、時川さんの事考え過ぎかもしれない。 「緊急の件があって俺、来週から他エリアに移動になった」 営業終了後、時川さんから言われて私は放心してしまった。 「えっ、寂しいです。せっかく楽しかったのに」 「奈々原、俺が…居なくて大丈夫か?」 突然ドキッとする事を言われて私は慌ててしまった。 「だ、大丈夫です。大丈夫だと思います。マネージャーには色んな事教わってだいぶ成長できましたし、それに…」 …それにまた何かあったら時川さんに電話すれば良いかななんて思ったんだけれど、それは駄目だ。うちの担当じゃなくなるんだから時川さんは私の上司じゃなくなるし、それに彼氏でもないんだから私の話を聞く理由がない。私の彼氏は来斗なんだから…。 「…なんでもありません。大丈夫です!」 「分かった。もし…もしもどうしても困ったり泣きたいくらい悩む事があったら電話してこい。」 時川さんは私の頭をぽんぽんってしてくれた。 「ありがとう…ございます。」 ほんのちょっと寂しくなるだけだ。すごく楽しったから、それが無くなるだけ。時川さんが来る前に戻るだけだ。そう思っていた。 時川さんがいなくなってから、私は来斗と別れた。 もう来斗の事は考えられないくらい、毎日時川さんとの日々を思い出していた。 「奈々さんに男として見られてないのなんとなく分かってた。いつも頼りっぱなしだったし」不甲斐なくてごめんと謝ってくれた来斗に、別れてからもいつまでも可愛い私の後輩だよと私も言った。 今夜は眠る前にどうしてもしなきゃいけない事がある。私はドキドキしながら電話帳を開いて通話ボタンを押した。 「もしもし?奈々原どうした?」 久々の時川さんの声に胸がきゅーってなった。 「マネージャー、実はどうしても困ったり泣きたいくらい悩む事が出来ました。」 「えっ、どーした?大丈夫か?」時川さんの声が優しくて泣きそうになる。 「私、来斗と別れました!」 「えっ…」 「時川さんがいなくなってから、困るくらい毎日時川さんのこと思い出すんです。全然大丈夫じゃありません。すみませんでした!」 泣いてるのがバレないようにしたいけれど、涙も私の気持ちも今日は止まらないみたいだ。 「…ったく、だから言っただろ〜俺が居なくて大丈夫か?って」時川さんの声は更に優しくなって私はとろけそうになる。 「ですね。」 やっぱり時川さんには敵わないなぁ…。 「次の休み会いに行く。会おう、奈々原に会いたい。」 おやすみの前の甘い声に今夜は眠れなくなりそうだけど、世界一幸せな夢が見れる気がする。
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