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「おい、そろそろ夕立が降るぞ」
と、声をかけられて、僕はびっくりしてふりかえる。
声をかけてくれたのは、僕と同じゼミの早川だ。
早川は「急げ」と僕の手を取って、近くのコンビニに僕を退避させてくれた。
自動ドアが開くと、店内には思ったよりも客がいる。
多分、僕たちと同じ夕立から逃げてきたのだ。
……ややあって、夕立が降ってきた。
コンビニのガラス越しに外の惨状を見た僕は、早川に礼を言ってないことに気付いて慌てて言う。
「早川君、ありがとう」
「いいって、いいって」
仕方がなさそうに笑う早川に対して、僕は曖昧にほほえむと、再び外の惨状に視線を戻す。
「なぁ。教授が言ってたんだけど、夕立って昔の人は、【白い雨って書いて白雨】って呼んでいたらしいぜ」
「そうなんだ。だからなのかな? この【白い雨】を、みんなが夕立って呼ぶのは」
この現象が人類の罰だとか、某国の科学実験が失敗したからとか、数々の諸説があるが、真相は定かではない。
確かなことは、午後から夕方にかけて、不意打ちのように空から【人間だけを溶かす白い雨】が降るということ。
……それだけだ。
「はぁ……、ダルい」
「うん。雨が止むまで身動きがとれないからね」
この怪現象に、有効的な解決策を見いだせない政府は、現状維持を国民に強いて、国民も国民で普通に日常生活を送っている。
だって、回避策は簡単なのだ。空が曇ったら、夜になるまで近くの建物に避難すればいいのだから。
だけど、今日の僕のように、うっかり放心状態に陥ったり、曇り空に注意を払わなかったり、自分の置かれた状況を忘れた人間は、我が身に降りかかった不幸を嘆くしかない。
「そういえば、お前がぼーとしているなんて珍しいな。湯沢との別れ話、揉めているのか?」
湯沢とは、僕の恋人だった女性だ。だけど、相思相愛だと思っていたのは僕だけだったらしい。
「うん、困っちゃうよね。浮気したのは彼女なのに、別れたくないってごねるんだ」
「あー。確かに、アイツってちょっと粘着質だからな」
早川の言葉に頷く僕は、土砂降りの白い雨を見て、いまさら自分が危なかったことに気付く。
「早川君、本当にありがとう! 君は命の恩人だ。今度、なにかおごらせてくれ!!!」
「おいおい、どうしたよ。大げさだって、オレは人として当たり前のことをしただけだって」
「それじゃあ、僕の気が済まないよ。焼肉でも高級フレンチでも、なんでも頼んでくれ!」
「……あーあぁ、そう言われちゃうと、高いの頼んじゃおうかな」
「任せてくれ。闇金に借金してでもおごるよ!」
「気持ちは嬉しいけど、そこまでしなくていい!!!」
本当にあぶなかった。せっかく手に入れた自由を、僕自身が台無しにするところだった。早川が声をかけてくれなかったら、どうなっていたことか。
「おー。ずいぶん今日は、溶けているヤツが多いな」
「そうだね」
僕たちは狂っている。
のんきに人間が溶けていく光景を眺める早川も、そして湯沢を殺して、白い雨に死体を溶かそうと考えて実行した僕も。
【了】
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