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手当を終え、痛かった筈なのに何も言わずに我慢した涙目の彼をぎゅっと抱き締めて、「よく頑張ったね、いい子」と褒めてあげた。その言葉に律はやっと脱力できたのか、由伊にゆっくり体重を預けて、ほ、と息を吐いている。
「ココア、美味しい?」
「……ん」
赤い目尻が兎のようで愛らしい。よしよし、とサラサラの頭を撫でてやれば、心地よいのか律の方から擦り寄っていく。由伊サイズのスウェットはダボダボだし、パンツもウエストがゆるゆるだったけど、今の律にとってはそれが締め付けなくて心地よいのか、すっぽりハマってちゃんと着てくれているのが至極愛らしい。意図せず彼シャツゲット姿だな、と由伊は一人、心の中でガッツポーズをしていた。
「律くんの服、今洗濯しているから洗い終わって乾くまでここでちょっと寝ていな」
優しく言うと、律はこくり、と頷く。
犬を撫でるように、暫く律を撫でて可愛がっているといつの間にかすぅすぅ、と安らかな寝息が聞こえてきた。肩に寄り掛かる愛おしい重みに感動しつつ、あどけない寝顔を晒している律に、由伊はこっそりとフレンチキスを落とし、そのままソファに寝かせる事にした。
傍を離れると少し不安そうに唸っていたが、とんとん、と触ってあげるとすぐに眠りに戻った。由伊は律が眠っているソファの下に腰掛け、お気に入りの推理小説を開いた。
部屋には静寂が訪れ、がたんごとん、と回る洗濯機の音だけが聞こえてくる。
ああ、このままずっと洗濯機が止まらなければいいのに。
そして、宮村が俺のモノになればいいのに。
……なんて、不毛な事を考えては溜息を吐いたのだった。
目が覚めた。
初めに律の視界に入ったのは、オレンジ色の後頭部だった。根元が少し暗くてプリン気味になっている頭は、うとうとと船を漕いでいた。
そして少し辺りを見回すと、一か月前まで由伊と二人で肩を並べてゲームをしていた、律の家よりは幾らばかりか大きいテレビがあった。
いつだったか、律と由伊がお互いの勘違いに気づかずに恋人ごっこをしていた頃に「うちは家族が多いからでかいテレビ置いてんの」と聞いたことがあった。律が訊いたわけではなかったがきっと、大きいなと思っていそうな顔でもしていたのだろう。その時は「(王子もでかいって単語使うのか)」なんてどうでもよいことの方に関心があった気がする。窓枠にハンガーに引っ掛けられた自分の制服。綺麗に洗われていて、もうほとんど乾いていそうだった。
カーテンが閉められていないから外の暗さがよく分かる。掛け時計を見ればもう、十九時らしい。
電気がついているから部屋は明るいが、二時間程眠っていた事を知って、ゆっくりと身体を起こす。ギシギシと痛む身体に顔を顰めつつ、静かに船を漕ぐ頭に手を伸ばした。
「……ゆい」
思ったより掠れている自分の声に驚きつつも、いつの間にか自分に掛けてくれていたブランケットに身を包み、ソファの下に降りて由伊の傍に座った。
「ゆい、ゆい……」
疲れているのか、少し揺すっても目が開かない。つんつん、とシャツを引っ張るとやっと、「んん……?」と目を開けてくれた。
「……ん、あれ……?宮村、起きたの……?」
……あ……、呼び方、宮村、に戻ってる。
さっきまで自分が酷く混乱していたから、俺が分かるように下の名前で呼んでくれたんだな。
そんな小さな気遣いが嬉しくて、律はちょっとソワソワした。
「……ん、由伊。ありがとう……その、ごめん……」
シャツを掴んだまま律は謝る。
「……え?何に謝ってるの?」
由伊は謝られる意味が分からないらしく、キョトンと首を傾げる。
「……いや、あの、……。心配してくれていたのに、……突き放したし……でも、助けてくれて、その……」
色々言いづらいし何だかむず痒く思い、律はもじもじしてしまう。
「あぁ、なんだ。気にしなくていいのに」
由伊の言葉に律はぱっと顔を上げる。にっこり笑った由伊の顔に、よかった怒ってなかった、とこっそり安堵する。
「でもね宮村。困った事があったら遠慮なく言って欲しいな。こんな傷、作る前にさ」
由伊の細くて長い指が律の左手首を掴み、手のひら側を天井に向け、内側の皮膚の薄い部分をつつっと撫で上げた。そこにはボコボコとした白い線状の傷があるのだ。誰にも気付かれないように自分だけの秘密だったのに……。
バレていた事に、心臓がバクバク激しく鳴った。慌てて手を振り払ってしまったけれど、失礼な事をした、と謝ろうと顔を上げた。そこには、再び完璧に笑っている由伊が居る。
「ほら俺は、宮村を友達だと思っているし、何より生徒会の副会長なんだしさ」
由伊の笑顔に、安堵していた筈なのに律は何だか少し違和感に思う。
「……う、うん……?」
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