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「ごめん」
「え」
驚愕した由伊の声が聞こえる。
「……ごめん。付き合えない」
律は再度、はっきりと困惑する由伊の瞳を見つめ返し思いを告げた。
「え、え、なんで?俺といた三ヶ月つまんなかった?俺、何が足りない?何かした?」
律の手をぎゅっと握り、捨てられた子犬のような瞳で切なく縋ってくる由伊の姿につきり、と心が痛む。
「由伊は何もしてない。悪くない。悪いのは、俺の気持ちだから、ごめん」
そう伝えると、由伊の両目にみるみる涙の膜が張る。
「お、俺が男だから……?本気って知ったら気持ち悪く、なった?引いた?……き、……きらいに、なった?」
ぽろぽろと大粒の涙を流し、鼻の頭を赤くしながら泣く彼に俺は首を振る。
「違う。由伊が男だからとか由伊が悪いんじゃない。……俺が、誰も好きになれないんだ」
言葉を聞いた彼の眼は見開かれ、律を捉えたまま固まる。待てどもさっきの台詞の真意が語られないことに少々不満げな顔をした由伊に、慰めにすらならないような言葉を何故か続けて聞かせていた。それは言い訳に似た本意。
律の言葉を聞いた由伊は、一瞬呆然としまた泣き出した。
学校のやつらが見たら驚愕するくらいにはぼろぼろと子供みたいに泣いて、言った。
「そういうのが……いちばん、残酷なんだよ……っ!」
律はただひたすら、こんな自分を好きになってくれた由伊に謝る事しか出来なかった。
謝り続けたが、いつまでも自分が此処に居座り、彼が望む言葉を返せない自分が中途半端な情を注ぎ続けていたら、ただ彼を傷つけ続けるだけなのではないかと思い、最後にもう一度「ごめん」と伝え、由伊の部屋を後にした。追いかけてくる事もなく、縋られることもなかった。
ただただ、切なげに涙を溢し続けていた。彼の綺麗な心を傷つけてしまったんだ。もう話しかけてこないだろうな、こんなクズなんかに。
……ごめん、由伊。
*
律が去っていた自室で一人、床に座り込み天井を見上げた。
夢かと思った。
「あー……別にいいよ」
ずっと好きだった人が、自分の告白にイエスと答えてくれたこと。好きな人と両思いになれたこと。
夢だと思った。でも、それは、本当に夢だった。
「……罰ゲーム、……だよね?」
今まで怖がらせることのないよう必死に抑えていた醜い己をさらけ出した由伊に、怯えていた彼。力任せに握ってしまったから、細く白い手首にはくっきり痕がついてしまっていた。それはそれでなんとも言えぬ満足感を心の奥底に感じたのは彼には言えない。
本当は大切で、壊さぬようにずっとずっと手を出さずに堪えていたのに。何度爪が手のひらに食い込もうと、何度下唇に血が滲もうと。だが律の思いもよらない台詞に、由伊の思いは呆気なく崩れ去ってしまった。
高校入学前に改めて律を見かけたとき、本当に綺麗で愛らしい人だと思った。
色素の薄い茶色の髪、白い肌、骨格が華奢で、そこら辺の女より細い腰、平たい身体、アキレス腱の筋が浮き出て、足首が細いせいでまるで、切ってください、と言っているようだ、と。
末広の二重垂れ目がちな大きめの瞳。長いまつ毛がアクセサリーのように縁取られていて、これが女だったらさぞ周りから羨まれていたのだろうなと思うほどに、彼の容姿はかわいらしかった。
人を映すことなんか滅多にないような彼の瞳に映ってみたかった。あわよくば入り込みたかった。
桜色の唇は、少しかさついているように見えた。しかしそれらの容姿の良さにまるで気づいていないとでも言いたげな着飾らず、表情を変えない彼を笑わせて見たかった。彼の、心からの笑顔が見てみたかった。細い首は、青い血管が透けていてとても美しい。
喉仏が出ているのが扇情的で、飲食物が通る度にそれが上下するのがやけに色っぽくてずっと眺めてしまう。
人を寄せつけないオーラを常に纏っているからか、彼には友達が居なかった。
……いや正確には居ないわけでは無かった。一人、滅多に学校に来ない男が彼と話しているのを唯一見た事がある。
だが、滅多に来ないから友達と呼べる程でも無いのだろう。だから由伊は、独りの律が好きなのだ。
誰のモノにもならない、そういう意思を感じさせるこの男が。着飾らない、自分の存在を鼻にかけない、寧ろ己の存在を認識されたくないとでも言いたげな孤高の人間が、自分だけを見つめてくれるようになったらどれだけの優越感を味わえるだろうか。この美しい男を、自分の手でぐちゃぐちゃにしてやりたい。蕩(と)かしたい。
……そう、思っていたのに。
「ごめん」
バレてしまったのか、醜い思惑が。でもただ由伊は、律を好きだっただけだ。聞こえた拒絶の声には意図せず涙が溢れてしまう。
どうして?俺は宮村を幸せにする自信があるよ?どうしてダメなの?何がダメなの?男だから?
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