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「どうして、貴方が……此処に?」
「ん? 俺はずっと、此処に居たよ」
戸惑いはまだあるものの、だいぶ落ち着いてきた私は立ち上がって、彼の言う“此処”という場所を見渡す。
仄暗めな木製の天井に床、青みがかかった緑色の天鵞絨の腰掛けたち、それをぼんやりと照らす橙色の電燈――まるで夜の軽便鉄道の列車の中みたいだ。
乗車客は……どうやら私達しかいないようだ。
座って、それから車窓に視線を移せば……数え切れないほどの白い光が闇の中で瞬いていて、瑠璃色に染め上げていた。
その景色の中で、ぼんやりと写っているのは……
「あ、あれ……私、若くなってる……?」
もう若い頃の自分の姿さえも忘れてしまっていたけど……車窓に写っている自分の姿を見て、確かにそうだったとようやく思い出せた。
茜色の矢絣模様の着物――間違いなく若い頃に好んで着ていた物だ。
髪型も当時流行っていたお下げになっていて、白髪はなく鴉の濡羽色に戻っていた。
「ずっと此処に居て、見守っていた」
「ずっとって……もしかして、あの日から……?」
彼は答える代わりに静かに微笑んで、頷いた。
よみがえる、あの日――――彼が永遠にいなくなった、夏祭りの夜。
あの頃。10代を迎えた私達は、あまりの仲の良さから周囲に揶揄われて、距離を取ってしまっていて。話すことがめっきり減ってしまっていた。
それでも、偶然でも良いから、彼と擦れ違った時。彼の眼に止まれば良いなと思い、めかし込んで浴衣を着た。
まるで水の中で咲いているような、白縹の布に描かれた朝顔の花々――仕立てたばかりの、とてもお気に入りの浴衣だった。
だけど彼がそれを見ることは、終ぞなかった。
一緒に行っていた友人たちとお祭りを楽しんでいる最中、1人の男の声が雷鳴のように轟いた。
「大変だっ! 幼い子供が其処の河に落ちちまって、その子を助けるためにッ……」
子供を助けた人の名前は、彼だった。
気が付けば、私は形振り構わず走り出していた。
現場に駆け付ければ、大勢の人が河を覗き込んでいた。
助けられた子供は、既に土手に上がっていて、大人たちに宥められながら泣きじゃくっていた。
そして河では大人たちが潜っては浮上してを繰り返して、僅かな提灯の灯りを頼りに彼を捜したけど……
ついに彼は見つからなかった。
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